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昭和50年代の学校給食メニューまとめ 揚げパン・ソフトめん・カレーの懐かしい献立大全

昭和50年代の学校給食メニューまとめ 揚げパン・ソフトめん・カレーの懐かしい献立大全

「昭和50年代の給食」と聞いて、あなたはどんなメニューを思い浮かべますか。

揚げパンの甘い香り、ソフトめんにからんだミートソース、月に数回だけやってくるカレーライスの日、牛乳に混ぜるミルメークや、ひんやり冷たい冷凍みかん。

思い出せば思い出すほど、お腹だけでなく心までじんわり温かくなる人も多いのではないでしょうか。

この記事では、昭和50年代(1975〜1984年ごろ)の学校給食に焦点を当て、当時の時代背景や、パンとごはんの割合、具体的な献立例、地域ならではのメニュー、そして令和の給食との違いまで、たっぷり掘り下げて紹介します。

実際の献立資料や公式のデータも参考にしながら、ノスタルジーだけでなく、「なぜあのメニューだったのか」という理由もわかりやすく整理しました。

最後には、昭和風給食を家庭で再現するためのポイントもまとめていますので、「あの味をもう一度」と思っている方は、ぜひ最後まで読んでみてください。

目次

昭和50年代の学校給食とは?時代背景と基本スタイル

昭和50年代の学校給食とは?時代背景と基本スタイル

昭和50年代=1975〜1984年ごろの日本と子どもたちの食生活

昭和50年代というと、西暦で言えばだいたい1975年から1984年ごろ。

高度経済成長が一段落し、多くの家庭でカラーテレビや冷蔵庫、電子レンジが当たり前になっていった時代です。共働き家庭も徐々に増え始め、夕食の準備に冷凍食品やレトルトが使われることも少しずつ広まっていきました。

一方で、まだ外食チェーンは今ほど多くなく、ハンバーガーやファミレスは「たまのお楽しみ」という感覚の家庭も多かったようです。

そんな中で、子どもたちにとって学校給食は、「毎日必ず出てくる、おいしいごはん」であり、「友達とワイワイ食べるイベント」でもありました。

家庭ではまだ珍しかったメニューに初めて出会う場にもなっていて、グラタンやハンバーグ、スパゲッティなどの“洋食っぽい料理”を給食で初めて食べた、という人も少なくありません。

また、このころの日本は、戦後の食糧難からは完全に抜け出していて、子どもたちの栄養状態も大きく改善していました。

ただし、まだ肥満や生活習慣病といったキーワードが一般的になる前で、「とにかくしっかり食べて元気に育ってほしい」という考え方が強く、カロリーも今と比べると高めの献立が多かったとされています。

白いごはんやパンに、肉や魚のおかず、具だくさんのスープ、そして牛乳。この組み合わせが、元気な子ども時代を支えるベースになっていたのです。

パンと牛乳が主役だったころの給食スタイル

昭和50年代前半の給食は、まだ「パンと牛乳」が主役でした。戦後再開された学校給食は、パンと脱脂粉乳が中心で、西洋風の食事に慣れてもらうというねらいもあったとされています。

昭和50年代になると脱脂粉乳は姿を消し、代わりに瓶やパックの牛乳が出るようになりますが、「パン+牛乳+おかず+スープ」というスタイル自体は、そのまま受け継がれていました。

パンにもいろいろな種類があり、コッペパン、ロールパン、ぶどうパン、ツイストパンなど、日によって形や味が変わります。

さらに、マーガリンやジャム、いちごクリームなどがつく日もあって、「今日はどのパンかな」と献立表を見てワクワクした人も多いはずです。八宝菜やシチュー、スープと組み合わせると、パンで汁物をすくうようにして食べた記憶を持つ人もいるでしょう。

牛乳は、毎日ほぼ必ず出る存在でした。まだ「牛乳が背を伸ばす」と本気で信じられていた時代でもあり、牛乳を飲み干すことが元気の証のように扱われることもありました。

苦手な子は、クラスの中で「牛乳担当」の友達にこっそり渡したり、時間をかけて少しずつ飲んだりと、それぞれ工夫していたようです。

パン中心の時代の給食風景は、「パンと牛乳の思い出」とセットで語られることがとても多いのが特徴です。

米飯給食が正式導入された1976年と、その広がり方

昭和50年代の大きな転換点が、1976年(昭和51年)の「米飯給食」の正式導入です。

学校給食の制度上、米飯が正式に位置づけられたのはこの年で、当時の米飯給食の実施率は約36%、週あたりの実施回数は平均0.6回とされています。つまり、導入されたばかりのころは、まだ月に数回の「特別なごはんの日」だったわけです。

背景には、パン中心だった給食を日本の伝統的な食文化に近づけたいという考え方に加え、「米余り」の問題がありました。

国内に余るようになったお米を有効に使うためにも、学校給食でごはんを積極的に出していこうという流れが生まれたのです。

昭和50年代後半から昭和60年代にかけて、ごはんの日はどんどん増えていき、現在のように「週のうち数回はごはん」というパターンが主流になっていきました。

子どもたちにとって、最初のうちは「パンじゃない日」というだけでちょっとしたイベント。

カレーライスやハヤシライスの日はもちろん、「ごはん+和風の煮物+牛乳」という、家庭に近い組み合わせの日もあり、「今日はごはんだ」と喜んだり、「パンのほうが好き」という声があったり、反応はさまざまでした。

それでも、ごはんの日が当たり前になっていくにつれ、「給食=パン」というイメージから、「パンもごはんも出る給食」へと、ゆっくりとイメージが変わっていったのです。

栄養バランス重視のメニューづくりと当時の栄養基準

昭和50年代の給食は、見た目は素朴でも、中身はかなり綿密に計算されていました。

学校給食には法律や省令にもとづく栄養基準があり、エネルギー量やたんぱく質、カルシウム、ビタミンなどを一定以上とることが目標とされていました。

その基準に合わせて献立を組む役割を担っていたのが、学校栄養職員や栄養教諭の先生たちです。

具体的には、主食(パン・ごはんなど)、主菜(肉・魚・卵・大豆製品などのたんぱく源)、副菜(野菜中心のおかず)、汁物、そして牛乳やデザートという組み立てで、1食の栄養バランスが整うように考えられていました。

たとえば、ハンバーグが出る日はサラダやスープにたっぷり野菜を入れたり、魚フライの日には豆が入ったスープを組み合わせたりと、「おかず同士が補い合う」ようになっていることが多かったのです。

昭和50年代は、今ほど「カロリーオフ」や「減塩」という言葉は意識されていませんでしたが、その分、しっかり食べてしっかり動く前提のボリューム感がありました。

それでも、揚げ物ばかりにならないように煮物や和え物を入れたり、カルシウムをとるために小魚やチーズ、ヨーグルトを取り入れたりと、工夫はたくさん盛り込まれていました。

時代背景を知ると、「懐かしいだけでなく、ちゃんと考えられていたんだな」と感じられるはずです。

献立表から読み解く「家庭の食卓」と「給食」の役割の違い

給食の献立表をじっくり眺めると、家庭の食卓との役割分担が見えてきます。

昭和50年代のレプリカ献立の例として、「昭和50年:バターロールパン・牛乳・沖あみチーズロールフライ・八宝菜・くだもの(メロン)」「昭和52年:カレーライス・牛乳・塩もみ・くだもの・スープ」「昭和54年:ごはん・牛乳・がめ煮・ヨーグルトサラダ・チーズ」などが紹介されています。

これを見ると、給食が担っていた役割がいくつか浮かび上がってきます。ひとつは、「家庭ではなかなか作らないメニューを体験させる場」という役割です。

八宝菜やグラタン、ヨーグルトサラダなど、当時の一般家庭の夕食では、毎日は登場しなかった料理も多かったはずです。

もうひとつは、「地域の郷土料理を知る場」。がめ煮のような郷土料理が給食に登場することで、子どもたちは地元の味を学校で学ぶことができました。

一方で、家庭の食卓は、家族の好みや予算に合わせたメニューが中心。

煮物や焼き魚、味噌汁など「いつものごはん」は家庭で、給食は「ちょっと特別なメニューも混ざった、学びの場」という位置づけだったとも言えます。

献立表を見比べると、昭和50年代の子どもたちが、家庭と学校の両方からどんな食体験をしていたのかが、よりリアルに想像できるでしょう。

みんなが大好きだった昭和50年代の定番メニュー

みんなが大好きだった昭和50年代の定番メニュー

きなこ揚げパン・砂糖パンなど甘いパン系メニューの魅力

昭和の給食を語るうえで外せないのが、揚げパンです。コッペパンを油で揚げて砂糖をまぶした、シンプルだけれど強烈に記憶に残る一品。

もともとは、欠席した子のパンをおいしく食べられるようにと、硬くなったパンを揚げたのが始まりと言われています。

戦後しばらくは甘いものが貴重だったこともあり、砂糖たっぷりの揚げパンは、子どもたちにとってちょっとしたごちそうでした。

昭和50年代になると、プレーンな砂糖味だけでなく、きなこ揚げパンやココア味など、バリエーションも増えていきます。

きなこ揚げパンは、香ばしいきなこと砂糖の甘さ、パン自体のふわふわ感が合わさって、今でも根強い人気があります。

教室中が甘い香りに包まれて、配膳の途中からソワソワしたり、揚げパンの日だけはいつもより静かに列に並んだり。そんな光景が目に浮かびます。

パンの表面にまぶされた砂糖やきなこが机にこぼれてしまうこともよくあり、口のまわりを白くしながら食べていた子も多かったはずです。

食べ終わったあと、トレイの上に残った砂糖だけを指でつまんで食べる、という“お約束”の行動もよく聞かれるエピソードです。

今、家で再現するときは、少し油を控えめにしてみたり、オーブンで焼き揚げ風にするなど、昭和の記憶をヘルシーに再現するのも楽しいポイントです。

ソフトめん+ミートソース/カレーあんの最強コンビ

揚げパンと並ぶ昭和給食の代表選手が、ソフトめん。正式には「ソフトスパゲッティ式めん」と呼ばれ、袋に入ったやわらかい太めの麺を、ミートソースやカレーあん、ナポリタン風ソースなどと一緒に食べるスタイルです。

多くの地域では、ソフトめんはビニール袋に入った状態で配られ、子どもたちは自分で袋を開けて、スープ皿にソースをかけて混ぜて食べました。

ミートソースの日はトマトの香りが広がり、カレーあんの日は教室いっぱいにカレーのにおいが漂い、配膳が終わる前からお腹が鳴りそうになるほど。

麺が少しのび気味で、もっちりした独特の食感が「給食のソフトめんらしさ」として記憶に残っている人も多いでしょう。

ソフトめんは、家庭ではなかなか同じものを再現しづらいのもポイントです。

普通のうどんやスパゲッティとは少し違う太さと弾力、そして給食用のミートソースやカレーあんの味付けが組み合わさって、“あの味”ができあがっていました。

現在も、当時のソフトめんを復刻して販売するイベントや、給食を再現する飲食店などが登場していて、多くの大人たちが懐かしさを味わっています。

カレーライス・ハヤシライス・スパゲッティなど洋食メニュー

昭和50年代の給食における「ごちそう枠」といえば、やはりカレーライス。

米飯給食が導入されてからは、カレーライスの日は特に人気が高く、献立表を見て「カレーの日」を指折り数えて待っていたという人も多くいます。

年代別レプリカ献立でも、「昭和52年:カレーライス・牛乳・塩もみ・くだもの・スープ」といった王道の組み合わせが紹介されています。

カレーは、家庭でもよく作られるメニューですが、給食のカレーはまた別物。大きな釜で大量に作るため具材は比較的小さめながら、じっくり煮込まれて味がなじみ、ほどよくとろみがあるのが特徴でした。

辛さも子ども向けに控えめで、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、肉のうまみが溶け込んだ、やさしい味わい。ハヤシライスの日もあり、こちらはトマトの風味とデミグラスソースのようなコクが楽しめました。

スパゲッティも人気メニューのひとつで、ミートソーススパゲッティやナポリタン風などが定番でした。

昭和40年代の献立例としてミートスパゲッティが挙げられており、その流れを受けて昭和50年代も定番として続いていたと考えられます。

給食のスパゲッティは、家庭のものより少し柔らかめで、たっぷりのソースを絡めて食べるのが普通でした。

洋食メニューが給食に登場することで、子どもたちは「外食で食べるようなおしゃれな料理」にも身近に触れることができたのです。

鯨の竜田揚げ・魚フライ・ハンバーグなどおかず系人気メニュー

今ではほとんど見かけなくなったメニューとしてよく語られるのが、「鯨の竜田揚げ」です。

戦後しばらくの間、鯨肉は貴重なたんぱく源として広く利用され、昭和の給食でも人気メニューのひとつでした。

醤油やしょうがで下味をつけた鯨肉に片栗粉をまぶし、カリッと揚げた竜田揚げは、噛みごたえがありつつも、噛みしめるほど味が出てくる独特のおいしさがあります。好き嫌いは分かれるものの、「あれが一番好きだった」という声も根強く聞かれます。

その他にも、白身魚のフライやアジフライ、チキンカツなどの揚げ物系おかずは、子どもたちに大人気でした。

外はサクッと、中はふんわりした食感に、ソースやタルタルソースがかかると、パンにもごはんにもよく合う主役級の一品になります。

ハンバーグも、昭和50年代の給食を代表するメニューのひとつ。レプリカ献立には昭和49年の「ハンバーグ・せんキャベツ・粉ふきいも」などが紹介されており、その流れで昭和50年代にも多く出されていたと考えられます。

こうしたおかず系メニューは、「今日は揚げ物だからパンを最後までおいしく食べられる」といった形で、主食との相性も重要でした。

当時は今よりも揚げ物の頻度が高かったと言われることもありますが、その分、子どもたちにとっては“テンションが上がる日”が多かったとも言えます。

ミルメーク・冷凍みかん・フルーツポンチ…お楽しみデザートたち

昭和50年代の給食には、今でも語り継がれるデザートがいくつもあります。

まず代表的なのが「ミルメーク」。牛乳に混ぜる粉末や液体のフレーバーで、コーヒー味やココア味、いちご味などがありました。

牛乳の味が少し苦手な子でも、ミルメークを入れるとゴクゴク飲めるようになり、配られる日には「今日は何味かな」とちょっとしたお祭り気分になったものです。

そして、夏場の定番として人気だったのが「冷凍みかん」。みかんをそのまま冷凍させたもので、表面が少しシャリッとしていて、中はほどよく解凍されたジューシーな食感が楽しめます。

昭和の給食デザートとして、今でも名前がよく挙がる存在です。フルーツポンチやフルーツカクテル、ゼリー、プリンなども定番で、ガラスの器やアルミカップに入ったカラフルなデザートは、食後の小さな楽しみでした。

季節の果物がそのまま出る日もあり、バナナやオレンジ、メロンが献立に登場すると、教室がちょっとざわつきます。

昭和50年のレプリカ献立ではメロン、昭和52年にはバナナ、昭和58年にはみかんなどが記録されています。

デザートは単なるおまけではなく、「今日の給食、当たりの日だ」「友達と交換しよう」といったコミュニケーションのきっかけにもなっていました。

昭和50年代の実際の献立例と1週間モデルメニュー

昭和50年代の実際の献立例と1週間モデルメニュー

【昭和50年】バターロールパン+八宝菜+メロンの献立を再現

年代別のレプリカ献立によると、昭和50年の一例として、「バターロールパン・牛乳・沖あみチーズロールフライ・八宝菜・くだもの(メロン)」という組み合わせが紹介されています。

この献立を眺めるだけで、当時の食卓の雰囲気がかなり具体的にイメージできます。バターロールパンは、マーガリンやジャムと相性のいい、ふんわりした甘さのパン。そこに、沖あみを使ったチーズロールフライという、海の香りとチーズのコクを組み合わせたおかずが加わります。

八宝菜は、中華風のとろみのあるおかずで、野菜や肉、魚介類がたっぷり入った、栄養満点の一品です。

給食版八宝菜は、大きな中華鍋や釜で一気に作られ、白菜やにんじん、たまねぎ、豚肉、かまぼこなどが使われることが多かったとされています。

とろみがあるのでパンにも合わせやすく、バターロールで八宝菜をすくって食べるスタイルは、昭和の給食ならではと言えるかもしれません。

デザートのメロンは、当時としてはかなりリッチな印象です。今でこそカットフルーツのバリエーションは豊富ですが、昭和50年代にとってメロンは決して安い果物ではなく、「今日は特別な日なのかな」と感じさせる存在でした。

この献立ひとつをとってみても、パン中心の給食が、洋風だけでなく中華風のメニューも取り入れながら、多彩な食文化に触れさせようとしていたことが伝わってきます。

【昭和52年】カレーライス+牛乳+塩もみ+バナナの王道献立

昭和52年のレプリカ献立には、「カレーライス・牛乳・塩もみ・くだもの(バナナ)・スープ」という、まさに王道といえる組み合わせが掲載されています。

カレーライスは、子どもたちから圧倒的な人気を誇るメニュー。そこに牛乳がつくことで、たんぱく質とカルシウムをしっかり補い、成長期の体づくりを支えるバランスになります。

「塩もみ」は、きゅうりやキャベツなどの野菜に塩をふって水分を出し、軽く絞ったシンプルなおかずです。

カレーのように味がしっかりした主菜のときには、あえてさっぱりした副菜を合わせることで、口直しの役割を果たすとともに、野菜をしっかりとらせる意図も感じられます。

ここに、野菜やマカロニが入ったスープが加わることで、さらにビタミンや食物繊維がプラスされ、1食としてかなりバランスのよい献立になっています。

デザートのバナナも、昭和50年代の給食を象徴する果物のひとつです。

皮をむくだけで食べられ、適度な甘さと腹持ちのよさがあり、子どもたちからの人気も高い食材でした。家庭でもよく食べられていましたが、給食で出ると「今日はデザートつきだ」と少しうれしくなったものです。

この献立は、今見てもほぼそのまま通用する完成度で、「昭和の給食ってよく考えられていたんだな」と改めて実感できる組み合わせと言えます。

【昭和54年】ごはん+がめ煮+ヨーグルトサラダ+チーズの和洋ミックス

米飯給食が少しずつ広がってきた昭和54年の献立例として、「ごはん・牛乳・がめ煮(郷土食)・ヨーグルトサラダ・チーズ」という組み合わせが紹介されています。ここには、和食と洋食、そして郷土料理と新しいデザート文化が一度に詰め込まれています。

がめ煮は、九州北部を中心とした郷土料理で、鶏肉やれんこん、ごぼう、にんじん、こんにゃくなどを甘辛く煮込んだ料理です。地域によって「筑前煮」とも呼ばれます。給食で郷土料理を出すことで、子どもたちは自分たちの地域の味を自然と学ぶことができます。

一方、ヨーグルトサラダは、果物や野菜にヨーグルトを和えた、当時としては新しいタイプのサラダ。酸味のあるヨーグルトに、リンゴやみかん、きゅうりなどが組み合わさり、さっぱりとしたデザート風の一品として人気でした。

さらに、チーズがつくことでカルシウムが補強され、成長期の子どもに必要な栄養がしっかりとおさえられています。ごはん+和風の煮物という伝統的な組み合わせに、牛乳・ヨーグルトサラダ・チーズという乳製品が加わることで、昭和50年代ならではの「和洋折衷」な給食スタイルが完成していると言えるでしょう。

【昭和58年前後】ツイストパン+グラタンなど“リッチ化”したメニュー

昭和58年のレプリカ献立には、「ツイストパン・牛乳・卵とほうれん草のグラタン・えびのサラダ・くだもの(みかん)」など、少し“リッチ”に感じられる組み合わせも見られます。ツイストパンは、ねじった形の甘めのパンで、見た目も楽しく、当時の子どもたちにとってはちょっとおしゃれな印象のパンでした。

卵とほうれん草のグラタンは、ホワイトソースとチーズを使った洋風のオーブン料理。家庭のオーブンやグラタン皿が今ほど普及していなかった時代には、「レストランで出てくるような料理」が給食に登場するイメージだったかもしれません。えびのサラダも、えびという食材の特別感から、「今日は豪華だ」と感じさせてくれる一品です。

昭和50年代後半は、経済的にも安定し、食生活がさらに豊かになっていった時期です。

給食にもその流れが反映され、メニューのバリエーションが増えたり、グラタンやドリア風メニューなどの洋風料理が取り入れられたりしました。

とはいえ、すべてが派手になったわけではなく、和風の煮物や素朴なスープ、シンプルなサラダも引き続きしっかり登場しており、全体として見るとバランスの良い移行だったと言えます。

昭和50年代風にアレンジした1週間モデル献立と栄養バランス

ここまで見てきた情報をもとに、昭和50年代風の1週間モデル献立を簡単にまとめてみます。パンとごはん、洋風と和風、定番おかずとデザートのバランスを意識した例です。

曜日主食主な料理副菜・スープデザート・その他
コッペパンソフトめん用ミートソース野菜スープなし(牛乳)
ごはん鯨の竜田揚げ風から揚げキャベツの塩もみ、みそ汁オレンジ
バターロールパン沖あみ風魚フライ八宝菜メロン風カットフルーツ
ごはんがめ煮ヨーグルトサラダチーズ
ツイストパン卵とほうれん草のグラタンえびのサラダ冷凍みかん

このように組み立てると、1週間の中で主食のパンとごはんがバランスよく登場し、肉・魚・卵・大豆製品など、さまざまなたんぱく源をとることができます。

さらに、煮物やサラダ、スープで野菜をしっかり補い、果物やデザートでビタミンもプラス。牛乳とチーズ、ヨーグルトでカルシウムもカバーできる構成です。

実際の昭和50年代の献立も、このような考え方をベースにしながら、地域や学校ごとの工夫が加えられていました。

地域でこんなに違う!ご当地色あふれる昭和の給食

地域でこんなに違う!ご当地色あふれる昭和の給食

北海道・東北のホッキカレーやスープメニューなど寒い地域の工夫

昭和50年代の給食は、全国共通の定番メニューがある一方で、地域色の強いメニューもたくさん存在しました。北海道や東北など寒い地域では、体を温めるスープメニューや、地元の魚介類を使った料理が多く取り入れられていました。たとえば北海道の一部地域では、ホッキ貝を使った「ホッキカレー」などが給食に登場した例も知られています。

寒い地域の給食では、具だくさんの味噌汁やポトフ、シチューなど、体が温まる汁物が充実していたのも特徴です。冬場は外での体育や登下校で体が冷えやすいため、熱々の汁物は子どもたちにとって何よりのごちそう。パンの日でも、スープがしっかりとした味わいだと、それだけで満足感が高くなります。地域の野菜やじゃがいも、とうもろこしなどをふんだんに使ったスープは、まさに“地元の味”そのものだったと言えるでしょう。

また、雪国では、冬でも保存しやすい根菜類や乾物をうまく活用したメニューが目立ちます。切り干し大根の煮物や、ひじきの煮物、豆の煮込み料理などは、全国的にも見られますが、特に寒い地域では頻度が高かったと考えられます。こうしたメニューは、見た目は地味でも、栄養価が高く、家庭の味ともつながっているため、今でも懐かしく思い出されることが多い料理です。

関東のソフトめん文化と武蔵野うどん風メニュー

ソフトめんは全国各地で出されていましたが、特に関東地方ではその存在感が大きかったと言われています。うどん文化の強い地域では、ソフトめんが「うどんの延長線上」のような感覚で受け入れられ、ミートソースやカレーあんだけでなく、和風だしを使ったメニューに組み合わせることもありました。

武蔵野うどんのような、太くてコシのある麺文化があるエリアでは、具だくさんの汁にソフトめんを入れて食べるスタイルも見られます。

豚肉や根菜が入ったけんちん汁風のつけ汁に、ソフトめんを絡めて食べるメニューは、ボリュームもあり、寒い季節にもぴったりです。こうした地域アレンジは、献立表には単に「ソフトめん」としか書かれていないことも多く、実際に食べた人の記憶の中で語り継がれているパターンも少なくありません。

また、関東圏ではパン工場と連携した給食センターも多く、パンの種類が豊富だったという話もよく聞かれます。

コッペパンだけでなく、揚げパン、黒糖パン、レーズンパンなど、同じパンでもバリエーションを楽しめる環境が整っていた地域もありました。こうした背景が、ソフトめんやパン文化の発展と結びついていったと考えられます。

関西の粉もの・和風だしがきいたメニューいろいろ

関西圏の給食では、和風だしを活かしたメニューや、粉もの文化を感じさせる料理が多く登場しました。

たとえば、お好み焼き風のチヂミや、うどん、和風だしで煮込んだ煮物などが定番です。昆布やかつお節のだしをしっかりきかせた汁物は、ごはんにもパンにもよく合い、優しい味わいが特徴です。

粉もの文化の影響を受けたメニューとしては、お好み焼き風の焼き物にキャベツや豚肉を入れ、ソースとマヨネーズをかけたものが給食に登場した学校もありました。また、関西特有の甘めの味付けの煮物や、薄口しょうゆを使ったすっきりした色合いの煮物も、地域色を感じさせるポイントです。

昭和50年代は、まだ今ほど全国チェーンや全国共通メニューが浸透していない時代だったため、同じ「カレーうどん」でも、地域によって味付けがまったく違うこともありました。関西ではだしの風味を大切にしつつ、スパイスを控えめにしたマイルドなカレー味が好まれることが多く、給食でもその傾向が反映されていたと考えられます。

九州のがめ煮・ちゃんぽん風スープなど郷土色の強い献立

九州地方の給食を語るうえで外せないのが、先ほども紹介した「がめ煮」です。昭和54年のレプリカ献立に登場するこの料理は、地域の郷土料理として、給食の場で子どもたちに受け継がれていました。

また、長崎のちゃんぽん文化の影響を受けた「ちゃんぽん風スープ」なども、九州ならではのメニューとして知られています。太めの麺とたっぷりの野菜、豚肉やかまぼこが入ったスープは、栄養バランスもよく、見た目にも満足感のある一品です。給食では本場のちゃんぽんより少しあっさりめの味付けにするなど、子ども向けのアレンジが加えられていました。

九州は魚介類や野菜、肉など食材が豊富な地域でもあり、地元の食材を活かしたメニューが積極的に取り入れられていたと考えられます。たとえば、さつまいもを使った甘煮やサラダ、地元の魚を使ったフライや煮付けなど、家庭の味にも通じるメニューが並びました。こうした郷土色の強い献立は、大人になってからも「地元の給食はちょっと違った」と語りたくなるポイントです。

今も各地で行われる「昭和給食再現デー」と人気メニュー

近年、一部の学校や自治体では、「昭和の給食を再現する日」が設けられることがあります。そこでは、揚げパンやソフトめん、鯨の竜田揚げに似せたから揚げ、冷凍みかん、ミルメークなど、昭和50年代を代表するメニューが現代風にアレンジされて登場します。

鯨肉については、現在では捕鯨をめぐる国際的な議論もあり、当時と同じ形で出すことは難しい場合が多いため、味や見た目を似せたメニューで代用されることもあります。それでも、「給食でこんなメニューがあったんだよ」と保護者世代が子どもに話してあげられるきっかけになり、親子で昭和と令和をつなぐ楽しいイベントになっています。

再現イベントでは、当時のアルマイト食器を使ったり、黒板に昭和風の献立表を書いたりして、雰囲気づくりにこだわるケースもあります。昭和50年代の給食は、単なるノスタルジーの対象ではなく、「今の給食を見直すヒントが詰まった教材」としても注目されており、地域や学校ごとにさまざまな形で工夫が続けられています。

令和の給食と比較してわかる昭和50年代メニューの魅力

カロリー・栄養バランスの変化から見る昭和と令和の違い

昭和50年代と令和の給食を比べると、まず大きく違うのは「カロリーと脂質への意識」です。

昭和50年代は、子どものやせや栄養不足を防ぐことが重要な課題で、「しっかり食べて、しっかり動く」ことが前提でした。そのため、揚げ物やボリュームのあるメニューも多く、全体としてエネルギー量は今より高めだったと考えられます。

一方、現代の給食は、肥満や生活習慣病の予防という観点から、カロリーや脂質、塩分をコントロールしつつ、バランスよく栄養をとることが重視されています。

油を使う量を減らしたり、揚げ物の回数を調整したり、野菜を多くする工夫が行われています。もちろん昭和50年代も栄養バランスは意識されていましたが、「カロリーを抑える」という考え方は今ほど強くありませんでした。

ただし、これはどちらが良い・悪いという話ではなく、「時代の課題が違う」ということです。

戦後の栄養不足から立ち上がった昭和の給食は、「足りない栄養をしっかり補う」ことが使命でした。豊かな食環境の中で育つ令和の子どもたちには、「摂りすぎを防ぎながら、質のよい栄養をとる」ことが求められています。

昭和50年代のメニューを振り返ると、その背景にあった願いや工夫が、よりはっきりと見えてきます。

アレルギー対応・食の多様性がなかった時代の良さと課題

今の給食では、食物アレルギーへの対応が大きなテーマになっています。卵・乳・小麦・そば・落花生など、さまざまなアレルギーを持つ子どもがいるため、事前の聞き取りや個別対応、代替メニューの提供などが行われています。

昭和50年代には、アレルギーという概念自体が今ほど一般的ではなく、給食メニューも基本的には「全員同じものを食べる」前提で作られていました。

その分、準備はシンプルで、クラス全員で同じメニューを楽しむ一体感がありましたが、アレルギーを持つ子どもにとっては、つらい場面もあったはずです。当時を振り返るときには、その点も忘れてはいけません。

宗教上の理由や、ベジタリアンなどの食の多様性についても、昭和50年代にはほとんど考慮されていなかったのが実情です。

現在は、地域や学校によって差はあるものの、可能な範囲で個々の事情に配慮しようとする動きが広がっています。

昭和の給食は、「みんな同じものを食べる」ことを前提とした時代の産物。そこには良さも課題もあり、その両方を踏まえて、今の給食はアップデートされてきたと言えるでしょう。

アルマイト食器から現在の器へ…食器・配膳スタイルの変化

昭和50年代の給食を思い出すとき、多くの人が真っ先にイメージするのが「アルマイト食器」です。

薄い銀色の金属製の器やトレーで、少し触るとカチャカチャと音が鳴る独特の質感。ごはんやおかず、牛乳瓶を、アルマイトのトレーにのせて配膳するスタイルは、昭和の給食風景を象徴するアイテムでした。

現在では、プラスチック製や強化磁器製の食器が主流になり、温かいものはより温かく、冷たいものはより冷たく保てるように工夫されています。

また、見た目にもカラフルで、料理がよりおいしそうに見えるようデザインされた食器が使われることも多くなりました。

配膳方法も、給食当番がクラスでよそるスタイルに加え、配膳室からワゴンで運ばれてくる形など、学校ごとにさまざまな形が見られます。

昭和50年代のアルマイト食器には、「ぬるい味噌汁がすぐ冷めてしまう」「金属の匂いが苦手だった」という声もある一方で、「あの器を見ると、なぜか落ち着く」「給食の日のワクワクを思い出す」という、懐かしさ混じりの愛着も根強く残っています。器ひとつをとっても、時代とともに給食が少しずつ進化してきたことがわかります。

人気メニューランキングを比較してわかる“昭和の強さ”

今も昔も、給食の「人気メニューランキング」を作ると、必ず上位に食い込んでくるのがカレーライスと揚げパンです。昭和50年代の世代にアンケートを取ると、揚げパン、ソフトめん、ミルメーク、冷凍みかん、鯨の竜田揚げなどが特に印象深いメニューとして挙げられています。

令和の子どもたちを対象にした調査でも、カレーライスや揚げパンは依然として人気が高く、年代を超えて愛されていることがわかります。一方、昭和ならではのメニューだった鯨の竜田揚げやソフトめんは、今ではほとんど見られなくなり、「親世代の思い出の味」として語られる存在になりました。

こうして比較してみると、昭和50年代の給食メニューには、「シンプルだけど、記憶に残る味」が多かったことがわかります。調味料や香辛料の種類が今ほど多くない中で、限られた材料と調味料を工夫して、「また食べたい」と思わせる味を作り出していたこと自体が、とても大きな魅力と言えるでしょう。

昭和50年代の給食メニューを家庭で再現するためのポイント

最後に、昭和50年代の給食メニューを家で再現するためのポイントを整理してみます。

まず大切なのは、「完璧に同じ味を再現しようとしすぎない」ことです。給食の味は、大きな釜で大量に作ることや、使っていた調味料・食材の違いも含めて生まれたものなので、家庭のキッチンで一字一句同じように再現するのは現実的ではありません。その代わり、「記憶の中の味に近づける」ことを目標にすると、再現がぐっと楽しくなります。

たとえば揚げパンなら、市販のコッペパンを少量の油で揚げるか、オーブンで軽く焼いてから溶かしバターをからめ、砂糖やきなこをまぶすだけでも、かなり雰囲気は出ます。

ソフトめんは、太めのうどんやスパゲッティを少し長めにゆでてやわらかくし、給食風のミートソースやカレーあんをかければ、「あの食感」に近いものが楽しめます。

カレーライスやグラタン、がめ煮なども、給食レシピを参考にしつつ、塩分や油の量を今の生活に合わせて調整すれば、昭和と令和のいいとこ取りができます。

家族で「今日は昭和給食の日」と決めて、献立表を作り、アルマイト風の皿やトレーを用意してみると、食卓が一気にタイムスリップしたような雰囲気になるはずです。

昭和50年代の学校給食まとめ

昭和50年代の学校給食は、単なる「お昼ごはん」ではなく、時代の空気や家庭の食卓、地域の文化がぎゅっと詰まった存在でした。

パンと牛乳が主役の時代から、1976年の米飯給食正式導入をきっかけに、ごはんの日が増えていき、洋食メニューや郷土料理、デザートまで、バラエティ豊かなラインナップが子どもたちの毎日を彩っていました。

揚げパン、ソフトめん、カレーライス、ミルメーク、冷凍みかん、鯨の竜田揚げ。これらのメニューは、栄養をとる手段であると同時に、友達との会話や、クラスの思い出を生み出すきっかけでもありました。

地域ごとのオリジナルメニューや郷土料理、アルマイト食器や配膳スタイルの違いも含めて、昭和50年代の給食は、「その地域、その時代にしか味わえなかった体験」として、多くの人の中に生き続けています。

令和の給食は、アレルギーや生活習慣病予防など、新しい課題に対応しながら進化を続けていますが、その原点には、昭和の給食が長年積み重ねてきた工夫や経験があります。

昭和50年代のメニューを振り返ることは、ただ懐かしむだけでなく、「子どもたちにとって、本当に豊かな食体験とは何か」を考えるヒントにもなるはずです。

家で再現メニューを楽しんだり、親子で当時の話をしたりしながら、昭和と令和、二つの時代の給食をつなげてみてはいかがでしょうか。

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