「歴史の教科書で名前は見たけど、本居宣長ってどんな人?」
そんな疑問をもつ人のために、この記事では“本居宣長とは何をした人なのか”を、子どもでもわかるようにカンタンに解説します。
日本の文化や心を大切にした偉人の生き方や考え方を知ることで、今の日本をもっと深く理解できるようになるかもしれませんよ。
本居宣長ってどんな人?ざっくりプロフィールを紹介
江戸時代の「学者さん」だった
本居宣長(もとおり のりなが)は、江戸時代中ごろに活やくした学者です。学者とは、いろいろなことを深く研究して、人に伝える仕事をする人のこと。本居宣長はとくに「日本の古い言葉や文化」を研究した人として有名です。とてもまじめで勉強熱心な人で、生涯にわたってたくさんの本を読み、そしてたくさんの本を書きました。学問の分野では「国学(こくがく)」とよばれる日本の伝統や神話などを研究する学問をきずいたことで知られています。
医者としての顔もあった!
本居宣長は学者として有名ですが、じつは「お医者さん」としても働いていました。お父さんのあとをついで松阪で医者をしていたのです。当時の医者は漢方医学をつかって人々の病気を治していました。昼間は患者さんを診て、夜は勉強や執筆(本を書くこと)をする、というとても忙しい生活を送っていたそうです。この努力家の一面が、のちに偉大な学問をうみだすもとになりました。
松阪(まつさか)で生まれ育った
宣長は三重県の松阪市で生まれました(当時は伊勢国と呼ばれていました)。この松阪という町は、商人や文化人が多く住むにぎやかな場所で、本屋さんも多かったため、子どものころから本を読むことができました。とくに「源氏物語」や「古事記(こじき)」など、日本の古い物語にふれることで、古典文学や歴史への興味をもつようになったのです。
書いた本がめちゃくちゃ多い!
本居宣長は、書いたりまとめたりした本がとにかく多い人です。なかでも一番有名なのは『古事記伝(こじきでん)』という作品ですが、それだけではなく、『玉勝間(たまかつま)』や『うひ山ぶみ』など、国語、歴史、文化、思想について幅広く書いています。本を書くときは、内容を深く調べてから書くのが彼のスタイルでした。
子どものころから読書が大好きだった
本居宣長は、子どものころからとにかく本が好きでした。小さいときから『源氏物語』や『万葉集』など、むずかしい日本の古典を読んでいたというから驚きです。成長するにつれて、「どうして昔の人はこういうふうに言葉を使ったのか?」といったことにも興味を持ち、研究を深めていきました。
「古事記伝」ってなに?本居宣長の代表作をカンタン解説
神話のお話をくわしく調べた本
『古事記伝(こじきでん)』は、本居宣長が書いた代表的な本で、日本最古の歴史書である『古事記』をていねいに読み解いて、その意味や物語の背景をわかりやすく説明したものです。『古事記』には日本の神話や天皇の歴史が書かれていて、当時の人々がどんなふうに物ごとを考えていたのかを知る手がかりになります。宣長はこの本を通して「日本人の心の原点」を伝えたかったのです。
35年かけて書いたすごい本
この『古事記伝』を書くために、本居宣長はなんと35年もかけました。日々の診察や生活の合間にコツコツと原文を読み、調べ、書き記していったのです。全44巻にもおよぶ大作で、いまでも学者たちが『古事記』を研究するときに必ず読む本とされています。ひとつの仕事に何十年もかける、というその情熱と根気が、多くの人に感動を与えています。
日本の歴史を大事にしたかった
宣長が『古事記』を大切に考えたのは、そこに「日本の本当の歴史」があると思ったからです。外国の文化や考え方ではなく、日本人が昔から大切にしてきた神話や価値観にこそ意味があると感じたのです。そのため、ただ読みくだすだけではなく、「どうしてこの言葉を使ったのか」「この話はどんな意味があるのか」といった部分まで、細かく分析しました。
「日本らしさ」を探していた
『古事記伝』のなかで本居宣長は、「日本らしさ」を見つけようとしていました。日本語独自の響きや、感性、ものの感じ方を大事にしようとしたのです。その背景には、「外国の考え方にまどわされず、日本本来の文化や感覚を見つめ直そう」という強い気持ちがありました。
ほかにもたくさんの本を出している
本居宣長の作品は『古事記伝』だけではありません。他にも、『玉勝間』という雑記集や、『うひ山ぶみ』という入門書なども書いています。どれも日本の文学や文化にふれてみたい人にとって、重要な資料となっています。
なんで「国学(こくがく)」ってよばれるの?その理由とは
「国学」ってどんな学問?
「国学(こくがく)」とは、日本の昔の文学や歴史、言葉などを研究する学問です。本居宣長はこの「国学」を大切にしたことで知られています。当時、学問といえば中国の「漢学(かんがく)」が中心でしたが、宣長は「日本の文化にもすばらしい価値がある」として、日本独自の学びの道をつくろうとしました。
外国のマネばかりじゃダメだと思った
江戸時代、多くの学者たちは中国の思想を学んでいました。しかし宣長は、「それでは本当の日本の心はわからない」と考えました。だからこそ、日本の古典や言葉の中にこそ本当の日本らしさがあると信じ、それを追求したのです。この考え方が、のちの明治時代の国づくりにも影響をあたえました。
日本のことば・文化を研究した
国学では、日本語の意味や使い方、昔の物語や詩(うた)なども研究します。たとえば、『万葉集』や『源氏物語』といった作品を読み、そこにこめられた感情や文化を考えることが中心です。本居宣長も、古い言葉の意味をていねいに調べて、日本人の感性を大切にしました。
「もののあはれ」って何?
本居宣長が大事にした言葉のひとつに「もののあはれ」があります。これは「ものごとに心を動かされる気持ち」のことです。悲しい、うれしい、美しい、さびしい…そんな感情を大切にしようという考え方です。彼は、この感性こそが日本人らしさの中心だと考えました。
和の心を大切にしたかった
宣長がめざしたのは、「和=日本の心」を見つけて、未来に伝えることでした。そのために国学という道を選び、多くの人に「日本には日本のよさがある」と伝えようとしたのです。
本居宣長がのこした言葉や考え方
「しきしまの道」ってなに?
本居宣長が大切にしていた言葉のひとつに「しきしまの道」があります。これは「日本人が昔から大切にしてきた生き方」や「日本の文化や考え方の根本」という意味です。しきしまの道とは、日本人らしい感性や、自然や人とのつながりを大切にする心を表すことばです。本居宣長は、外国からの文化がどんどん入ってきても、この「しきしまの道」だけは忘れてはいけないと強く信じていました。
「もののあはれ」の意味をやさしく解説
「もののあはれ」とは、物事に対して自然と心が動かされる気持ちのことを言います。たとえば、夕焼けを見て「きれいだな」と感じたり、落ち葉を見て「さびしいな」と思ったりする、その気持ちが「もののあはれ」です。本居宣長は、このような感情がとても大切で、人間らしい心の表れだと考えました。無理にがんばることよりも、心で感じることに価値があるというメッセージをのこしています。
心で感じることを大切にした人
江戸時代の多くの学者たちは、理屈やルールを重んじていましたが、本居宣長は「感情」や「心の動き」に目を向けた珍しい学者でした。たとえば、詩や物語の中にある登場人物の気持ちや、読者の感情のうごきをとても大切にしたのです。そのため、宣長の考え方は今の文学研究や哲学にもつながるところがあります。
言葉にこめられた想い
宣長は「言葉」というものをとても大事にしていました。言葉には、その人の想いや文化、感性がこめられていると考えていたからです。日本語の古い言葉を読み解きながら、「なぜこの言い方をしたのか?」ということをていねいに考え、それを人々に伝えました。その結果、私たちが古典を読むときにも、より深く意味を理解できるようになったのです。
今の日本にどう役立っているの?
本居宣長がのこした考え方は、今でも多くの人に影響を与えています。たとえば、現代の日本文学や日本語の研究では、彼の『古事記伝』や国語学の考え方が土台になっています。また、「日本人らしさとは何か?」を考えるときにも、宣長の「もののあはれ」や「しきしまの道」といった考えが参考にされることがあります。彼の思想は、今の時代にも通じる大切なヒントを与えてくれるのです。
本居宣長のまとめと今の評価
歴史の教科書にものってる人
本居宣長は、現在の小学校や中学校の教科書にも登場するほど有名な歴史人物です。なぜなら、彼の考え方がその後の日本の文化や国のあり方に大きな影響を与えたからです。特に「国学」という新しい学問の道をきりひらいたことで、多くの人に影響を与えました。そのため、彼は「近代日本の精神的な土台をつくった人」として評価されています。
なぜ今も注目されているのか
現代においても、本居宣長の考え方は新しい気づきをあたえてくれます。グローバル化が進む中で、「自分の国の文化ってなんだろう?」「日本人らしさって何だろう?」と考える人が増えています。そうした時、本居宣長の言葉や研究は、ヒントや参考になるのです。「もののあはれ」などの感性は、今の人間関係や感情表現にも通じるところがあります。
学校や博物館で見られる資料
本居宣長が書いた本や日記、資料の多くは、いまでも学校の授業や博物館などで見ることができます。三重県松阪市には「本居宣長記念館」があり、彼の手書きの原稿や使っていた道具などを見ることができます。これらを通して、「昔の人がどんな思いで勉強していたか」を知ることができます。
いまも残る「宣長記念館」
三重県松阪市には、本居宣長の功績をたたえる「本居宣長記念館」があります。ここでは彼の研究内容や人生についてくわしく知ることができ、当時の書物や日用品なども展示されています。また、子ども向けのガイドやイベントも行われており、家族で訪れる人も多くいます。もし近くに行くことがあれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
日本の文化を見つめ直すヒントになる
本居宣長の研究や思想は、今の日本人にとって「自分たちの文化をどう大事にしていくか」を考えるヒントになります。外国の文化にふれることも大切ですが、自分たちのルーツや伝統を知ることもとても重要です。その点で、宣長が生涯をかけて追い求めた「日本らしさ」は、私たちにとっての宝物と言えるでしょう。
本居宣長は何した人?まとめ
本居宣長は、江戸時代の医者でありながら、国学という日本文化の研究をきずいた偉人です。彼の代表作『古事記伝』は、日本最古の歴史書である『古事記』を35年かけて解説した大作であり、今なお日本文学や国語教育の基礎とされています。
彼が大切にした「もののあはれ」や「しきしまの道」といった考え方は、日本人の心のあり方を深く見つめ直すヒントになります。また、現代においても「日本らしさとは何か?」を問い直すときに、本居宣長の研究や思想はとても役立ちます。
学問とは、自分のルーツや感性を知るための旅でもあります。本居宣長の歩んだ道のりから、私たちも多くを学ぶことができるでしょう。