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榎本武揚とは何をした人?どんな人?簡単にわかる偉人のすごい功績

「榎本武揚って、名前は聞いたことあるけど、何をした人なの?」

そんな疑問を持っているあなたのために、この記事では榎本武揚がどんな人物だったのか、簡単にわかりやすく解説しています。

幕末から明治という激動の時代を生き抜いた彼の人生には、現代人にも通じるヒントがたくさんあります!

目次

幕末から明治へ、時代の変わり目を生きた「榎本武揚」とは?

江戸幕府のエリート官僚として育つ

榎本武揚(えのもと たけあき)は、幕末から明治にかけて活躍した日本の政治家・外交官です。彼は1836年、江戸(現在の東京)に生まれ、父は幕府の役人でした。子どものころから優秀で、蘭学(オランダ語を中心とした西洋学問)に興味を持ち、若くして幕府の海軍伝習所に入学。ここで航海術や地理、科学などの西洋知識を学びます。

当時の日本は鎖国が終わり、開国とともに西洋の技術や考え方を必死に取り入れようとしていた時代。榎本は、その最先端の知識を持った若者の1人として、将来を大いに期待されていました。のちに幕府の海外留学生としてオランダに派遣されることになります。

つまり榎本武揚は、元々は「将来の幕府を支えるエリート官僚」として育てられていた人物だったのです。

オランダ留学で海軍技術を学ぶ

1862年、榎本は幕府によってオランダに派遣され、約5年間、現地で海軍技術や自然科学、国際法などを徹底的に学びました。これは日本人としては非常に珍しい長期留学であり、現地のオランダ語をマスターしたうえで、実際に艦船の操縦訓練や軍事教育も受けました。

この時代の日本では、西洋の知識を身につけた人材が極めて重要でした。榎本は、ただ学んだだけでなく、その知識を持ち帰り、日本の近代海軍の基礎を築く手助けをします。また、西洋諸国の外交の考え方や力の使い方も学んでおり、これが後の榎本の外交官としての活躍につながっていきます。

つまり、榎本は「日本を近代化させるために、知識と経験を持ち帰った先駆者」でもあったのです。

戊辰戦争で旧幕府軍を率いる

1868年、明治新政府と旧幕府側の間で「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」が始まります。榎本は、すでに帰国して幕府海軍の中心人物となっており、幕府側としてこの戦いに参戦します。

特に有名なのは、幕府が倒れてからも榎本が軍艦を率いて箱館(現在の函館)に向かい、旧幕府軍の残党とともに「蝦夷共和国(えぞきょうわこく)」を設立したこと。これは日本史上初の「共和制国家」を名乗った出来事で、榎本はその「総裁(リーダー)」に就任します。

しかし、明治政府軍が大軍で攻め込み、榎本らは箱館の五稜郭(ごりょうかく)で最後の戦いに臨みます。そして1869年、ついに降伏。榎本は捕らえられ、投獄されることになります。

彼は単なる反乱者ではなく、「理想を掲げて最後まで戦った指導者」として歴史に名を刻んでいます。

函館戦争と五稜郭での最後の戦い

五稜郭の戦いは、日本史でも有名な「最後の内戦」とされています。榎本武揚はここで、数千人の旧幕府軍をまとめ、徹底抗戦を行いました。しかし、兵力や物資の差は歴然としており、次第に劣勢になります。

榎本は最終的に、「これ以上血を流すことは無意味」と判断し、降伏文書を提出。これにより蝦夷共和国は解体され、明治政府の完全な勝利となります。

榎本の降伏は「負け」ではありましたが、その潔さや冷静な判断は高く評価されました。その後、彼の人生は意外な方向へと進んでいきます。

明治政府に出仕して外務大臣に

降伏後の榎本はしばらく投獄されますが、明治政府は彼の能力を高く評価し、1872年に釈放。その後、外務省に迎えられ、外交官としての道を歩み始めます。

榎本はロシアとの国境交渉、樺太・千島交換条約の交渉など、国益をかけた重要任務を数多く担当しました。後には外務大臣、逓信大臣(通信・郵便の大臣)などを歴任し、明治日本の礎を築いた人物として重用されます。

つまり榎本武揚は「幕府の武士」から「明治の官僚」へと大きな転身を遂げた、非常にユニークな歴史的人物なのです。


榎本武揚の名言・人物像・功績まとめ

「理想」よりも「現実」を重んじた人物

榎本は理想に走らず、常に「現実主義者」だったことで知られています。函館での戦いも、完全な勝利を狙ったわけではなく、名誉と筋を通すことを優先した結果とも言われています。明治政府に出仕してからも、「日本のためになるか」を第一に考え、かつての敵とも協力していきました。

榎本が語った「教育」の重要性

榎本はオランダ留学の経験から「教育こそが国の未来を決める」と語っていました。彼の考えは、後の日本の教育制度にも影響を与えたと言われています。自分が学んだことを次の世代にどう伝えるかを常に考えていたのです。

後世に影響を与えた思想とは?

榎本の生き方は、「敵と味方を分けず、能力がある者を活かすべきだ」という思想につながります。この考え方は、後の日本の人材活用にも受け継がれていきました。過去にこだわらず、未来を見据えた姿勢が、今も高く評価されています。

歴史上での評価と現代の見方

現代では「幕府側の英雄」としてではなく、「時代の変化を受け入れて、国のために働いた人物」として広く認識されています。彼のように柔軟な発想と行動力を持った人物は、どの時代にも必要とされる存在です。

今の時代に活かせる教訓とは?

現代でも「変化の時代」をどう生き抜くかは重要なテーマです。榎本のように「知識を持ち、柔軟に対応する」姿勢は、ビジネスや政治、教育などあらゆる分野で参考になります。失敗しても諦めず、次のチャンスを活かす。その生き方こそ、今の私たちにも響く教訓です。


まとめ

榎本武揚は、「幕末の最後の将軍」とも言える存在でありながら、明治政府でも重要な役割を果たした、極めて珍しい歴史的人物です。
彼はただの武士ではなく、留学経験を活かして日本の近代化に貢献した「知識と行動の人」でもありました。

時代の大きな転換点において、過去に縛られず、未来を見据えて行動した榎本の姿から、今の私たちも多くの学びを得られるはずです。

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