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昭和は毒親が多いって本当?時代背景と生きづらさ 連鎖をほどく完全ガイド

昭和は毒親が多いって本当?時代背景と生きづらさ 連鎖をほどく完全ガイド

「昭和の親は毒親が多い」とか「昔はみんな叩かれて育った」といった言葉を聞いて、モヤモヤしたことはありませんか。怒鳴られるのが当たり前、比べられるのが当たり前の家庭で育ったけれど、「自分だけが大げさに感じているのかもしれない」と心のどこかで自分を責めてしまう。そんな感覚を抱えている人は少なくありません。

この記事では、「昭和」という時代の背景を振り返りながら、「毒親」という言葉の意味や、昭和毒親育ちが抱えやすい生きづらさ、その連鎖をどう止めていけばいいのかを、できるだけわかりやすく整理しました。親を悪者にするためではなく、「自分のしんどさに名前をつけて、少しでも楽に生きられるようになる」ことが目的です。

今感じている息苦しさや罪悪感は、あなたのわがままでも、弱さでもありません。昭和という時代と、その中で育った親たち、そしてその親に育てられた私たち。その関係を一緒にほどいていきましょう。

目次

そもそも「毒親」とは?昭和の“普通”との違い

最近よく聞く「毒親」の意味と主なタイプ

「毒親」という言葉は、ここ10年ほどで一気に広まりましたが、元になっているのはアメリカの心理学者スーザン・フォワードの本だと言われています。彼女の著書『Toxic Parents(毒になる親)』では、子どもの人生に長く悪い影響を与える親を指して「毒親」と説明しています。

ポイントは「完璧じゃない親」ではなく「悪影響がくり返されて、子どもの人生を支配してしまう親」というところです。たとえば、日常的に暴言を吐く、暴力をふるう、無視する、子どもの選択をことごとく否定するなどが続く場合です。単発で怒鳴ってしまったとか、うっかりきついことを言ってしまったからといって、すぐ毒親認定されるわけではありません。

よく言われるタイプとしては、子どもの行動すべてを管理したがる「過干渉型」、暴力や暴言が多い「虐待型」、放置して世話をしない「ネグレクト型」、何でも先回りし過保護すぎる「過保護型」、罪悪感やお金を使って支配しようとする「支配型」などがあります。

大事なのは、ラベルを貼ることではなく「自分がしんどいかどうか」です。ある日本の研究でも、毒親という言葉には医学的に厳密な定義はなく、当事者が自分の体験を言語化するために使ってきた概念だとまとめています。 「親との関係がつらい」「普通だと思ってきたけど、実はおかしかったのかも」と感じているなら、その違和感を大事にしていいということです。

この記事では、「完璧ではないけれど大筋では子どもを尊重している親」と「子どもを自分の持ち物のように扱い続ける親」を分けるための言葉として「毒親」を使っていきます。

体罰・暴言が「しつけ」で済まされていた昭和という時代

昭和の子育てを思い出すと「たたかれて当たり前だった」「怒鳴られるのは普通だった」という声がたくさん出てきます。昭和のころには「地震・雷・火事・親父」という言葉もあり、父親は家の中でとても強い権力を持っていたと回想されることが多いです。

当時は家庭でも学校でも体罰が広く行われていました。スポ根アニメの中でも、主人公が親やコーチに殴られながら練習するシーンが当たり前のように描かれていました。これはフィクションに見えて、実際の価値観をかなり反映しています。「叩かれて強くなる」「愛のムチ」という言葉が、悪びれもなく使われていました。

もちろん今でも体罰を容認する考えは一定数あります。2017年の調査では、子どもへの体罰を「しつけとしてあり」と考える大人が半数を超えていたという結果もあります。 つまり、昭和どころか平成・令和になっても、体罰を完全に否定する考えは、まだ社会全体に広がりきってはいません。

ただし、法律や行政の方針は大きく変化しています。近年の児童虐待防止法や体罰禁止の流れによって、学校でも家庭でも体罰は「しつけ」ではなく「問題行為」として扱われるようになりました。昭和のころは、今よりもずっと「子どもの心の傷」に目が向けられていなかったと言えます。

このような背景があるため、昭和の時代に子どもだった人の中には、今の基準で見ると毒親的な関わりを受けていた人が少なくないと感じる人が出てくるのです。

昭和の「いい親像」と今の子育て観のギャップ

昭和の「いい親像」は、今とはかなり違っていました。高度経済成長期からバブル期にかけては「父親は外で働き、母親は家庭を守る」というモデルが理想の家族像として広まりました。 父親は長時間労働で家にいないことが多く、その分、家にいる時間は「怒る役」になりがちでした。

一方、母親には「良妻賢母」像が根強くありました。家事も育児も完璧にこなすのが当たり前、子どもの成績や態度は母親の責任、という空気も強かったと言われています。結果として、母親自身が精神的に追い詰められ、子どもに過干渉になったり、ちょっとした失敗にも激しく叱りつけたりすることが起きやすい状況でした。

今は「子どもの自己肯定感を大事にする」「体罰はダメ」「子どもの権利を尊重する」といった考え方が一般的になりつつあります。児童虐待の相談件数を見ても、ここ10年ほどで大きく増えていますが、これは必ずしも虐待が増えたというより「それを問題として相談しよう」という意識が高まった面もあると分析されています。

昭和の親世代にとっては、当時の常識をベースに子育てをしていただけ、という感覚かもしれません。しかし、子どもの側から見ると「怒鳴られるのが当たり前」「比べられるのが当たり前」という環境は、今の価値観から見ればかなりきついものです。このギャップが、「昭和の親=毒親が多い」と語られやすい理由の一つだと言えるでしょう。

昭和世代の親が背負っていたプレッシャー(貧困・戦後・性別役割)

昭和の親を語るとき、忘れてはいけないのが「時代そのものが親を追い込んでいた」という側面です。戦争を経験した世代や、戦後の貧しい時代を生き抜いてきた人たちは、「生きるだけで精一杯」という感覚を強く持っていました。貧困や仕事の不安定さの中で、「子どもにだけは苦労させたくない」という思いがプレッシャーとなり、厳しいしつけに向かいやすかったとも考えられます。

また、日本では長く家父長的な家制度が続き、戦後の民法改正で形式上は廃止されても、意識の中では「家長である父」「それを支える母」といった役割観が根強く残りました。 父親は「弱音を見せてはいけない」「家族を養えないのは男失格」と教えられ、母親は「夫を立てて子どもを立派に育てなければ」と思い込まされてきました。

このような状況では、親自身のメンタルケアはほとんど話題にのぼりません。うつ病や不安障害といった心の問題も、「気合が足りない」「甘えだ」と見なされることが多かった時代です。その結果、親のストレスが子どもへの暴言や暴力、過干渉として噴き出してしまうこともありました。

だからといって、つらい経験をした子ども側が我慢すべきという話ではありません。ただ、「親もまた時代に追い込まれた存在だった」という視点を持つことで、自分の受けた傷を整理しやすくなることがあります。

「厳しい親」と「毒親」の境界線をどこで引くか

「昭和の親はみんな厳しかったし、自分だけが特別ではないのでは」と悩む人も多いと思います。そこで大事なのが、「厳しさ」と「有害さ」を分けて考えることです。

たとえば、ルールを守らなかったときに注意される、テストの点が悪かったら真剣に叱られる、というのは、多くの家庭で起こりうることです。一方で、親の機嫌次第で怒鳴られる、人格そのものを否定する言葉を繰り返し浴びせられる、物を投げられたり日常的に叩かれたりする、無視され続ける、といったことが積み重なると、子どもの心には深い傷が残ります。

児童虐待に関する資料では、身体的虐待だけでなく、言葉や無視による心理的虐待も大きな問題として扱われています。最新の統計では、児童相談所が対応した虐待相談のうち、構成割合が最も高いのは心理的虐待で、全体の半分以上を占めています。 つまり「叩かれていないから大丈夫」とは言えない時代になっているということです。

境界線を引く一つの目安は、「その関わりによって、子どもの安心感や自己肯定感が長く損なわれているかどうか」です。大人になっても、親の声が頭の中で再生されて自分を責めてしまう、人間関係で異常に相手の顔色をうかがってしまう、という状態が続いているなら、自分の育ちに少し丁寧に光を当てても良いサインかもしれません。

厳しかったけれど支えられた部分もあったのか、厳しさよりも恐怖が勝っていたのか。この記事を読みながら、自分の感覚で確かめていきましょう。

「昭和に毒親が多い」と言われる5つの背景

家長制度と男尊女卑が生んだ「支配型の親」

日本の家族の歴史を振り返ると、明治時代に作られた家制度は、家長である父親に強い権限を与える仕組みでした。戦後の民法改正で法的には廃止されましたが、その価値観は長く人々の意識に残りました。

昭和の家庭では、「父親の言うことは絶対」「父親が怒ると家中が凍りつく」といった雰囲気が珍しくありませんでした。母親もまた「夫を立てるべき」と考え、父親の言動を止められないケースも多かったとされています。結果として、父親が支配的な態度を取っても、それを誰も止められない構造になっていました。

性別役割分業の考え方も、支配的な親を生みやすい土壌になりました。 「男は強くあるべき」「女はおとなしく従うべき」という思い込みは、父親が感情的に怒鳴ることを正当化し、母親が子どもに対してだけストレスをぶつける状況を作ることもありました。

こうした背景から、「親の言うことは絶対」「親に逆らう子は悪い子」という価値観が強まりました。子どもは、自分の感情よりも親の機嫌を優先せざるを得ず、その影響は大人になっても残りやすくなります。

「みんな同じ」が正解だった時代と同調圧力

昭和の学校や職場では、「出る杭は打たれる」という言葉が、今よりもずっと強く働いていました。クラス全員で同じことをする、みんなと同じ制服や髪型にそろえる、会社でも「空気を読む」ことが重視される。そんな環境で育った親世代は、「人と違うことをする=恥ずかしい」「世間体が何より大事」と教えられてきました。

その価値観のまま親になると、「変わった子と思われたら困る」「みんなと同じようにしてほしい」という気持ちが強くなります。勉強、部活、進学先、就職先、結婚相手にまで「世間体」を持ち込んで、子どもをコントロールしようとすることもあります。

昭和は高度経済成長期で、「いい学校に入り、いい会社に入り、結婚して子どもを産む」というモデルが幸せのテンプレートのように語られていました。 そのため、そこから外れようとする子どもに対して、「そんな生き方はダメ」「恥をかかせる気か」と強く押さえつける親もいました。

ここでつらいのは、「子どものためを思って」という口実で、子どもの人生を自分の不安からコントロールしてしまう点です。結果として、子どもは自分の本音を押し殺し、「親の望む自分」を演じ続けることになります。

情報不足と「根性論」に頼った子育て

昭和の時代には、今のようにインターネットで子育て情報を検索することはできませんでした。育児書やテレビの情報はあっても、選択肢は限られていましたし、心理学や発達障害、トラウマなどの知識も一般にはほとんど広がっていませんでした。

その代わりによく使われたのが「根性」「気合い」「努力が足りない」といった言葉です。学校でも会社でも根性論が重視され、体育会系の厳しい指導や長時間労働が「普通」とされてきました。家庭内でも、この感覚がそのまま持ち込まれ、「泣くな」「弱音を吐くな」「我慢しろ」という言葉が子どもに向けられました。

現代では、暴力や過度な叱責が脳や心の発達に悪影響を与えることが、研究からも示されていますが、昭和の親世代はそうした情報に触れる機会がほとんどありませんでした。 だからこそ、「たたいてでも正しい道に戻すのが親の役目」と信じてしまった人も多かったと考えられます。

情報が少ないことは、選択肢が少ないということでもあります。今なら「これは毒親かもしれない」と気づけるような言動も、当時は「みんなそうだから」と流されやすい状況でした。この点を押さえておくと、「昭和に毒親が多いと言われやすい理由」が少し見えやすくなってきます。

親のメンタルケアがほぼなかった社会構造

今でこそ、うつ病や発達障害、カウンセリングといった言葉はかなり身近になりましたが、昭和の時代には「心の病気」はタブーに近い話題でした。精神科に行くことは「恥」と思われることもあり、カウンセリングに通うなどという発想は、一般の人にはほとんどありませんでした。

その一方で、経済成長に伴い、父親の長時間労働や転勤、母親のワンオペ家事育児など、親のストレスは大きくなっていました。専業主婦だった母親は、社会的な評価を得づらく、「子どもをきちんと育てること」だけが自分の価値だと感じやすい状況でもありました。

心のケアを受ける場が少ない中で、親自身のトラウマや不安、怒りが子どもに向けられてしまうケースは、今よりも多かったかもしれません。ただし、これはあくまで構造として「そのリスクが高まりやすい環境だった」という意味であり、すべての昭和の親がそうだったという話ではありません。

大事なのは、「自分の親が完璧でなかったこと」と「自分が受けた傷を見つめ直すこと」を切り分けることです。親の時代背景を知ることは、親を免罪するためではなく、連鎖を断ち切るための土台作りと考えるとよいでしょう。

子どもの権利意識が弱く、声を上げづらかった理由

子どもの権利についての国際的な議論が本格化したのは、1989年の国連子どもの権利条約採択以降です。日本がこれを批准したのは1994年で、昭和の大部分の期間はまだ「子どもにも権利がある」という考え方が一般には浸透していませんでした。

そのため、「親に口答えするな」「親の言うことを聞くのが当たり前」という価値観が強く、子どもが家庭内の暴力や暴言を誰かに相談することはかなりハードルが高い状況でした。児童相談所の虐待相談件数の統計でも、平成以降になってから数字が急増しており、これは問題が「見える化」されてきたことを示しています。

もし昭和の時代に同じような意識や制度が整っていたら、相談件数は今と同じか、もしかするとそれ以上になっていた可能性もあります。ただ、当時は「家庭の問題に外部が口出ししない」という風潮も強く、学校や地域も積極的に介入しにくい空気がありました。

このように、子どもの側が「これはおかしい」と感じても、声を上げにくい仕組みの中にいたことが、「昭和には毒親が多かったのではないか」という感覚を強めている面もあります。今、あなたが自分の育ちを振り返っていること自体が、新しい時代の流れの一部なのかもしれません。

昭和毒親育ちが抱えやすい生きづらさ

自己肯定感が低く「どうせ自分なんて」と思ってしまう

昭和の毒親的な環境で育った人がまず抱えやすいのが、「自己肯定感の低さ」です。小さいころから「何やってもダメだな」「そんなこともできないのか」「お姉ちゃんはできるのに」などと繰り返し言われ続けると、「自分は価値がない」「失敗するのが当たり前だ」という前提が心の中に根を張ってしまいます。

心理学的にも、親の養育態度は子どもの自己評価やストレスの感じ方に大きく影響することが報告されています。 毎日のように否定的な言葉を浴びせられると、自分を守るために「どうせ自分なんて」と先回りしてあきらめるクセがついてしまうことがあります。

大人になってからも、「褒められても信じられない」「うまくいってもたまたまだと思う」「失敗が怖くて新しいことに挑戦できない」といった形で表れます。逆に、少しでも失敗すると「やっぱり自分はダメだ」と強く落ち込んでしまうこともあります。

ここで重要なのは、「それはあなたの性格の問題ではなく、育った環境の影響も大きい」という視点です。子どものころに植えつけられたメッセージは、大人になっても自動的に頭の中で再生されます。しかし、そのメッセージを書き換えていくことも、少しずつなら可能です。このあとパート5で、自己肯定感を取り戻すための具体的なステップも紹介していきます。

人間関係で「相手に合わせすぎる」クセがつくワケ

親の顔色をうかがって育った人は、大人になってからも無意識のうちに「相手に合わせてしまう」ことが多くなります。小さいころから「怒らせないように」「機嫌を損ねないように」と先回りして行動していたため、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先するのが当たり前になってしまうのです。

たとえば、友達や恋人との約束で、相手の行きたい場所ややりたいことを優先しがち、自分の都合が悪くても無理に予定を合わせてしまう、断るだけで強い罪悪感を覚える、といったことが起きやすくなります。仕事でも、頼まれごとを断れずに残業を抱え込んでしまう、上司や先輩の機嫌を過剰に気にして疲れ切ってしまう、という形で表れます.

これは決して「優しすぎるから悪い」という話ではありません。親との関係の中で「自分の本音を出すと危険」「相手に合わせていれば安全」という学習をしてしまった結果の、生き残りのための工夫なのです。

ただ、そのパターンが大人になってからも続くと、自分の心身がすり減ってしまいます。「嫌われたくない」「怒られたくない」という思いが強すぎて、本当に大事な人間関係を築く前に疲れてしまうこともあります。自分を守りながら人とつながるためには、「相手に合わせるだけが優しさではない」という新しい感覚を身につける必要があります。

仕事観・お金の価値観に残る昭和親の影響

昭和の価値観の中では、「仕事はつらくて当たり前」「我慢して働くのが美徳」という考えが強くありました。高度経済成長期の日本を支えたのは、長時間労働をいとわないサラリーマンたちであり、「会社に尽くす」「上司に尽くす」ことが当たり前とされてきました。

そうした親のもとで育つと、「楽しい仕事なんて存在しない」「好きなことを仕事にするなんて甘い」「正社員になって安定するのが一番」といったメッセージを繰り返し聞かされることがあります。その結果、自分の適性よりも「親が安心する選択」「世間的に見栄えの良い選択」を優先してしまいがちです。

また、お金に関しても「苦労して稼いだお金なんだから、親の言うことを聞け」「誰のおかげで飯が食えていると思っているんだ」という言葉で支配される経験をした人もいます。お金が親子関係の力関係の道具として使われると、大人になってからも「経済的に自立しないと自由になれない」という感覚が強く残ります。

仕事選びやキャリアに迷ったとき、自分の本音を探ろうとしても、頭の中に親の声が響いてしまうのは自然なことです。「どこまでが自分の価値観で、どこからが親から受け継いだ価値観なのか」を整理していくことが大切になってきます。

恋愛・結婚観にまで残る「昭和の呪い」

昭和の親から「早く結婚しろ」「孫の顔が見たい」「女は結婚して一人前」「男は家庭を持ってなんぼ」などと言われて育った人は、恋愛や結婚に対するプレッシャーを強く感じやすくなります。独身でいることや、子どもを持たない選択をすることに、どこか「悪いことをしている」ような罪悪感を抱いてしまうこともあります。

また、親が夫婦仲の悪い関係を続けていた場合、「結婚=我慢」「家族=つらいもの」というイメージが刷り込まれてしまうこともあります。父親が暴力的だったり、母親が常に不満を口にしていたりすると、「自分も同じような関係を繰り返してしまうのではないか」という不安から、親密な関係を避けてしまう人もいます。

逆に、親のようになりたくないあまり、「完璧なパートナー」を求めすぎてしまうこともあります。少しでも不安を感じるとすぐに距離を取ってしまう、相手に少しの弱さも許せない、といった形で、「安全な関係」を求める気持ちがかえって自分を孤立させてしまうことがあります。

ここでも大事なのは、親の影響に気づくことです。自分の恋愛観や結婚観の中に「昭和の親から受け取ったメッセージ」がどれくらい入り込んでいるのかに気づければ、「これは本当に自分の望みなのか?」と立ち止まりやすくなります。

きょうだい間の“えこひいき”と今も続くわだかまり

昭和の家庭では、長男が家を継ぐ、男の子が優先される、といった考え方が今より強く残っていました。 そのため、きょうだいの中で一人だけ期待をかけられすぎたり、逆に「おまけ扱い」されたりするケースも少なくありませんでした。

たとえば、長男だけ大学進学を許され、下の子は経済的な理由を口実に専門学校や就職を勧められる。姉には家事を手伝うことを強く求めるのに、弟にはほとんど何も言わない。そんな不公平さを味わった人も多いかもしれません。

このような“えこひいき”は、きょうだい同士の関係にも長く影を落とします。一方は「期待に応えなきゃ」と自分を追い込み、もう一方は「どうせ自分は愛されていない」と感じてしまう。大人になってからも、集まるたびに昔の役割が再現されてしまい、どこか居心地の悪さを感じることがあります。

親は「きょうだいを比べているつもりはなかった」と言うかもしれませんが、子ども側がどう感じたかが重要です。自分の中に残っているわだかまりを無視し続けると、心のどこかでずっとモヤモヤした状態が続いてしまいます。

「昭和=毒親」ではないと理解するための視点

昭和の親もまた時代の被害者だったという見方

ここまで読むと、「昭和の親=悪者」と感じてしまうかもしれませんが、少し視点を変えてみることも大切です。昭和の親たちは、多くが戦争や貧困、高度経済成長期の激しい競争社会を生き抜いてきた人たちです。その過程で、「休んだら負け」「弱音を吐いたら終わり」という価値観を身につけざるを得なかった人も少なくありません。

親たちは、自分なりの「正しさ」を信じて子育てをしていた面もあります。体罰をしながらも「子どものため」と本気で信じていた人、厳しいしつけをしないと社会で生きていけないと本気で心配していた人もいるでしょう。それが結果として子どもを追い詰めてしまったとしても、親自身もまた、時代の価値観に縛られていた被害者だったという側面があります。

この視点は、親を免罪するためのものではありません。あなたが受けた傷が軽くなるわけでもありません。ただ、「親を完全な加害者、自分を完全な被害者」とだけ捉えると、どこかで自分の人生を取り戻しにくくなってしまうことがあります。

「親も不器用な一人の人間だった」「時代に追い込まれていた部分もあった」と考えられるようになると、自分の心の中にある怒りや悲しみを、少しずつ別の形に変えていく余地が生まれます。

親自身も毒親育ちだった可能性と“連鎖”のしくみ

ある研究では、親の養育態度と子どものストレスや心理状態には関連があるとされており、厳しすぎる親に育てられた人ほど、自分も子どもに厳しくなりやすい傾向が指摘されています。 つまり、毒親的な関わりは、世代をまたいで連鎖しやすいということです。

昭和の親たちの多くは、戦前や戦中のもっと厳しい親のもとで育っています。体罰や暴言が今よりさらに当たり前だった時代に、「親の言うことを聞くのが常識」と教えられてきました。自分がされて嫌だったことを、無意識のうちに子どもにもしてしまっていた、というケースも考えられます。

この連鎖のしくみを理解すると、「自分の親もまた傷ついた子どもだったのかもしれない」という視点が生まれます。それは、親の行為を肯定することではありませんが、「自分の代で連鎖を止めよう」という前向きなエネルギーにつながりやすくなります。

大切なのは、「連鎖は理解するもの、責任は分けて考えるもの」ととらえることです。親が自分の傷に向き合わなかった責任は親にあります。一方で、自分の傷にどう向き合うかを選べるのは、今のあなた自身でもあります。

つらかったことと感謝できることを切り分けて考える

昭和毒親育ちの人の中には、「親への感謝もあるのに、怒りもある」「嫌な記憶といい記憶がぐちゃぐちゃになっている」という人も多いはずです。白か黒かではなく、両方の感情が同時に存在しているのが、親子関係のむずかしいところです。

ここで役に立つのが、「事実」と「評価」を切り分けて書き出してみることです。たとえば、「大学まで学費を出してくれた」「ご飯はいつもちゃんと用意してくれた」といった事実と、「でも成績が悪いと人格を否定された」「失敗したときに寄り添ってもらえなかった」といったつらい体験を、同じ紙に並べてみます。

このとき、「してもらったことがあるから、我慢しなきゃ」と自分を責める必要はありません。どれだけ物質的に支えてくれたとしても、心が傷ついたことは事実です。その両方を認めることが、「親への感謝もあるけれど、同時に傷ついた自分もいる」という、少し複雑な現実を受け止める一歩になります。

つらかったことと感謝できることを切り分けて考えられるようになると、「全部ダメな親」「全部良い親」という極端な見方から少し離れることができます。それは、最終的に親を許すかどうかとは別の話として、自分の心を整理するうえで大きな助けになります。

親を「許さない自由」と「距離を取る自由」

親子関係の本やドラマでは、「最終的には親を許してハッピーエンド」という展開が多いですが、現実の人生では、必ずしもそうする必要はありません。許すかどうかは、その人それぞれのタイミングと価値観によります。

「どうしても許せない」という気持ちを抱えたまま生きることも、一つの選択です。その場合でも、「許さない自分はダメだ」と二重に責めないようにすることが大切です。あなたには、「許さない自由」もあります。

同時に、「距離を取る自由」についても考えてみましょう。親が高齢になってきたり、自分が結婚や出産をしたりすると、「親を大事にすべき」というプレッシャーが強くなることがあります。しかし、精神的にも身体的にも限界を感じているなら、物理的・心理的な距離を取ることは、自分を守るために必要な選択です。

法的にも、成人した子どもは親と同居する義務はありません。介護や金銭的支援についても、「できる範囲でよい」と考えるべきだという議論が進んでいます。 親子だからといって、すべてを背負い込む必要はありません。

実家との距離感を決めるためのチェックポイント

実家との距離感に悩んでいる人は、次のようなポイントを目安に考えてみてください。

チェックポイント今の自分の状態
実家に行ったあと、数日間しんどくなるかはい・いいえ
親と話すと、自分を責める気持ちが強くなるかはい・いいえ
親の頼みを断ると、強い罪悪感におそわれるかはい・いいえ
実家からの電話やLINEを見るだけで胃が痛くなるかはい・いいえ
実家に行く前後で、睡眠や食欲が乱れやすいかはい・いいえ

「はい」が多いほど、実家との関わりが今の自分にとって負担になっている可能性があります。その場合は、頻度を減らす、電話の時間を決める、一人で行くのではなく信頼できる人と一緒に行く、といった工夫を検討してもよいでしょう。

大事なのは、「親がどう思うか」ではなく「自分の心と体がどう感じているか」です。距離感は、一度決めたら永遠に同じである必要はありません。時期によって近づけるときもあれば、離れたほうがいいときもあります。自分のコンディションを見ながら、調整していく感覚を持てると楽になります。

昭和毒親育ちが今日からできるセルフケアと対処法

自分の体験を言語化する(ノート・日記・カウンセリング)

まずおすすめしたいのは、「自分の体験を言葉にすること」です。頭の中だけで親との関係を考えていると、同じところをぐるぐる回ってしまいやすいです。そこで、ノートやスマホのメモアプリに、子どものころの記憶や、今でも思い出してつらくなる場面を書き出してみます。

書き方に決まりはありません。時系列に整理してもいいですし、「印象に残っているシーンベスト10」を書き出す形でもかまいません。そのとき、「事実(何が起きたか)」と「感情(自分はどう感じたか)」を分けて書くと、後から読み返したときに整理しやすくなります。

もし可能であれば、カウンセリングを利用するのも一つの方法です。毒親問題に詳しいカウンセラーは、親との関係で生まれたトラウマや自己肯定感の低さに対して、専門的な視点からサポートしてくれます。 公的機関や自治体の相談窓口では、無料や低料金で相談を受けられるところもあります。

言語化の目的は、「親を責めるため」だけではありません。自分がどんな環境で生きてきて、どんな工夫をして乗り越えてきたのかを知ることで、「よくここまで頑張ってきたな」と自分をねぎらえるようになることが大切です。

心の中の「親の声」を入れ替える具体的なステップ

頭の中で、自動的に流れてくる親の否定的な言葉。これをそのままにしておくと、いくら環境が変わっても自分を責め続けることになります。そこで、「親の声」と「自分の声」を意識的に分けていく練習をしてみましょう。

まず、ふだん自分を責めている言葉をノートに書き出します。たとえば「どうせ自分なんて」「迷惑をかけているに違いない」「失敗したら終わりだ」などです。それぞれの言葉の横に、「これは誰に言われた言葉に似ているか?」とメモしてみてください。親や先生、過去の恋人など、思い当たる人が出てくるかもしれません。

次に、その言葉に対して「今の自分なら、友達にどう声をかけるか」を考えます。「失敗したら終わりだ」と思っている友達に、本当にそう言うでしょうか。きっと、「失敗しても大丈夫だよ」「一回のミスで終わりなんてことはない」と声をかけるはずです。その言葉を、自分に向けて書き出してみます。

こうして、「親の声」と「今の自分の声」を並べて書くことで、少しずつ頭の中の自動再生を上書きしていきます。一気に変わるわけではありませんが、気づいたときに繰り返すことで、だんだんと自分に優しい声が増えていきます。

実家との距離の決め方(物理的・経済的・心理的)

実家との距離をどう取るかは、多くの昭和毒親育ちにとって大きなテーマです。ここでは、「物理的距離」「経済的距離」「心理的距離」の三つの観点から考えてみます。

物理的距離としては、同居・近距離・遠方という選択肢があります。親との接触で強いストレスを感じる場合は、物理的に距離を置くことが、心の安定につながることも少なくありません。一方で、地理的に離れられない事情がある場合は、会う頻度や滞在時間を調整するだけでも負担が軽くなることがあります。

経済的距離では、仕送りや生活費の負担、親の介護費用などがテーマになります。経済的に深く結びついていると、「お金を出してもらっているから言いなりになるしかない」「親を支えないと申し訳ない」という気持ちが強くなりがちです。可能であれば、自分の生活をまず安定させ、その上で無理のない範囲の支援を考えることが大切です。

心理的距離は、「どこまで親の言動を自分ごととして受け取るか」です。たとえ物理的には近くにいても、「これはこの人の問題であって、自分の価値とは別」と境界線を引ければ、心の距離を保つことができます。逆に、遠くに住んでいても、常に罪悪感や不安で頭がいっぱいなら、心理的にはべったり依存している状態とも言えます。

自分が親になったときに連鎖を止めるための工夫

昭和毒親育ちの人が自分の子どもを持ったとき、「親みたいになりたくない」という思いから、子育てに強い不安を感じることがあります。時には、子どものちょっとした行動に、親にされたことがフラッシュバックして感情的に怒ってしまい、自己嫌悪に陥る人もいます。

連鎖を止めるための第一歩は、「完璧な親を目指さない」と決めることです。どんな親でも失敗します。大切なのは、失敗したときに「ごめんね」と謝れるかどうか、後からでもいいので振り返って修正できるかどうかです。

また、子どもの行動を「自分の評価」と結びつけない練習も必要です。子どもが泣いたり、言うことを聞かなかったりしたときに、「自分の育て方が悪いせいだ」「親失格だ」と自分を責めすぎると、かえって子どもに厳しく当たってしまうことがあります。「子どもはそういうもの」「成長の一部」と考えられるかどうかが鍵になります。

必要に応じて、子育て支援センターや育児相談窓口、カウンセリングなど外部のサポートを利用することも検討してみてください。昭和の親世代と違い、今の時代は子育てを一人で抱え込まなくていい仕組みが少しずつ整ってきています。

しんどくなったときに頼れる相談先・公的支援・サービス

最後に、しんどくなったときに頼れる場所についても触れておきます。

親との関係や子どものころのトラウマでつらくなったときは、自治体の精神保健福祉センターや保健所、こころの健康相談ダイヤルなど、公的な相談窓口を利用できます。厚生労働省や各自治体のサイトでは、電話相談や面談の情報が公開されています。

また、民間のカウンセリング機関では、毒親問題やアダルトチルドレンに詳しいカウンセラーが在籍しているところもあります。 経済的な負担が気になる場合は、オンラインカウンセリングや、回数を絞って利用する方法もあります。

すぐに専門機関に相談するのが難しい場合は、信頼できる友人やパートナーに話を聞いてもらうことも一つの手です。ただし、相手が「親なんだから大事にしなよ」と価値観を押しつけてくるタイプだと、逆につらくなることもあります。話す相手は慎重に選びましょう。

一番伝えたいのは、「一人で抱え込まなくていい」ということです。昭和の時代にはなかった支援や情報が、今は少しずつ増えています。それを使うことは甘えではなく、自分の人生を取り戻すための大事な行動です。

昭和は毒親が多いと言われる理由まとめ

「昭和は毒親が多い」と言われる背景には、家父長的な家制度や男尊女卑、根性論、子どもの権利意識の低さなど、時代特有の要素がいくつも重なっていました。体罰や暴言が「しつけ」とされやすかったこともあり、今の基準から見れば明らかに行き過ぎている関わりが、当時は普通として受け入れられていた側面があります。

その中で育った人たちは、自己肯定感の低さや人間関係で相手に合わせすぎるクセ、仕事観やお金の価値観への影響、恋愛や結婚への不安など、さまざまな生きづらさを抱えやすくなります。きょうだい間のえこひいきや、実家との複雑な距離感に悩む人も少なくありません。

一方で、昭和の親たちもまた、戦争や貧困、厳しい競争社会の中で追い込まれていた存在でした。親自身が毒親的な環境で育ち、その連鎖の中で子育てをしていた可能性もあります。親を完全に許す必要はありませんが、「時代の被害者でもあった」という視点を持つことで、自分の心を少し違う角度から見つめ直すことができます。

これから大切になるのは、自分の体験を言語化し、心の中の「親の声」を少しずつ入れ替えていくことです。実家との距離感を見直し、必要であれば公的機関やカウンセリングの力を借りながら、自分のペースで連鎖を断ち切っていく。そのプロセスの中で、「昭和毒親育ち」という言葉に縛られすぎず、一人の大人としての自分の人生を取り戻していけたら、という思いを込めてこの記事を書きました。

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