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桜桃忌とは?太宰治との関係と由来 6月19日の意味までやさしく解説

桜桃忌とは?太宰治との関係と由来 6月19日の意味までやさしく解説

6月19日になると、太宰治にまつわる話題の中でよく出てくるのが、この日です。

ただ、名前は知っていても、なぜその呼び名なのか、命日なのか誕生日なのか、どこで何が行われるのかまでは、意外とあいまいなままになりがちです。

しかも、入水した日、戸籍上の死亡推定日時、遺体が発見された日がそれぞれ異なるため、話がややこしく見えやすいのも事実です。

この記事では、読み方、由来、太宰治との関係、6月19日の意味、三鷹や金木で受け継がれている行事まで、事実ベースでわかりやすく整理しました。

名前だけ知って終わるのではなく、太宰治の作品や人生にまで自然につながるように、ひとつずつ丁寧に見ていきます。

目次

桜桃忌の意味をまず簡単に知る

読み方は「おうとうき」

この日の名前は「桜桃忌」と書いて、「おうとうき」と読みます。

辞書では、太宰治の忌日を表す言葉として載っており、代表作のひとつである『桜桃』にちなむ呼び名だと説明されています。

ふだんの会話ではあまり使わない漢字なので、初めて見た人が読み方で止まってしまうのは自然なことです。

「おうとう」は、もともとさくらんぼを表す言葉です。

そのため、この名前には文学の雰囲気だけでなく、初夏の果物を思わせる季節感も重なっています。

まずは、太宰治をしのぶ日に付けられた呼び名であり、読み方は「おうとうき」だと押さえておけば十分です。

どんな日なのか

この日は、作家の太宰治をしのぶ日として知られています。

辞書では「忌日」とされていて、作品名の『桜桃』を取って付けられた名だと説明されています。

ただし、一般的な命日だけをそのまま指すと考えると少しずれます。

太宰治は1948年6月13日に玉川上水に入水し、その遺体が見つかったのは6月19日早朝でした。

そして6月19日は、太宰治の誕生日でもありました。

その重なりの強さから、毎年6月19日に人びとが集まり、太宰治をしのぶ日として定着していったのが、この日の大きな特徴です。

太宰治との関係

この日が太宰治と結びついているのは、単に有名作家の記念日だからではありません。

太宰治の最期の日付、遺体の発見日、そして誕生日が深く重なっているため、文学史の中でも印象の強い一日になっています。

しかも名前の由来になった『桜桃』は、1948年に発表された晩年の短編です。

つまりこの日は、作家の人生の終わりと、最後期の作品世界とが一つの名前の中に重なっているのです。

三鷹市は、太宰治が1939年9月から1948年6月まで暮らし、『走れメロス』『斜陽』『人間失格』などを生み出した土地として顕彰事業を続けています。

だからこそ、この日を知ることは、太宰治という作家の人物像だけでなく、作品の背景を知る入口にもなります。

6月19日が特別な理由

6月19日が特別視されるいちばん大きな理由は、この日が太宰治の誕生日であり、同時に遺体が発見された日でもあるからです。

五所川原市の略年譜でも、1909年6月19日に生まれ、1948年6月19日早朝に遺体が発見されたことが確認できます。

一方で、戸籍上の死亡推定月日は1948年6月14日午前0時とされています。

このため、6月13日の入水日、6月14日の死亡推定日時、6月19日の発見日と誕生日が混同されやすくなっています。

実際に人びとが集まり、法要が営まれてきたのは6月19日であり、その日付が記憶としてもっとも強く残った結果、現在もこの日が広く知られています。

ここを整理して理解しておくと、なぜ太宰治の「命日」として6月19日が語られるのかが、すっきり見えてきます。

なぜ「桜桃忌」と呼ばれるのか

「桜桃」はさくらんぼを意味する言葉

「桜桃」は、辞書でさくらんぼを指す語として説明されています。

現代の生活では「さくらんぼ」と書くほうが圧倒的に身近なので、「桜桃」という表記には少し文学的な響きがあります。

この言葉が使われたことで、この日は堅い法要名というより、太宰治の作品と季節を結びつける名になりました。

六月はちょうどさくらんぼの季節でもあり、言葉の持つ季節感と、太宰治をしのぶ時期が自然に重なります。

そのため、この名前を聞くだけで、初夏の空気とともに太宰治を思い出す人が多いのです。

漢字だけ見ると難しそうですが、意味を知ると、文学の記念日としてとても印象に残る呼び方だとわかります。

短編『桜桃』が名前の由来

この日の名前は、太宰治が亡くなる年に発表した短編『桜桃』にちなみます。

青空文庫の図書カードでは、『桜桃』の作品名読みが「おうとう」で、初出は1948年5月の『世界』とされています。

つまり、この作品は太宰治の最晩年に世に出た短編であり、その題名がそのまま忌日の名に用いられたことになります。

作品の冒頭には「桜桃が出た。」という書き出しがあり、日常の食卓の場面から始まります。

さらに有名な一文として「子供より親が大事、と思いたい。」が知られており、この作品が今も読み継がれる理由のひとつになっています。

作品名そのものが忌日の名になったことで、この日は出来事の記録にとどまらず、太宰治の文学そのものを思い出させる日になりました。

名づけたのは今官一

この呼び名を付けたのは、太宰治と同郷で交流のあった作家の今官一です。

三鷹市の案内では、「桜桃忌」の名は今官一によって付けられたと説明されています。

弘前市の文学館案内でも、今官一がこの名前の名付け親であることが紹介されています。

太宰治と今官一は同郷で、しかも同じ明治42年生まれという近い関係にありました。

この背景を知ると、機械的に記念日名が決まったのではなく、太宰治をよく知る人の実感から生まれた呼び名だったことが見えてきます。

名前に作品名が選ばれたことも含めて、この日は人間関係と文学が結びついて生まれた、密度の高い記念日だと言えます。

命日と誕生日と発見日を整理する

この日を理解しにくくしている最大の理由は、関連する日付が一つではないことです。

太宰治は1948年6月13日に玉川上水へ入水しました。

戸籍上の死亡推定月日は6月14日午前0時とされています。

そして6月19日早朝に遺体が発見され、その日が39歳の誕生日でもありました。

一般には6月19日が強く記憶されているため、「命日」として6月19日が紹介されることも多いのですが、厳密には入水日、死亡推定日時、発見日がそれぞれ異なります。

この違いを押さえておくと、話題にしたときに説明がぶれず、文学の雑学としてもかなり深みが出ます。

桜桃忌には何が行われるのか

禅林寺で法要と墓参が行われる

太宰治の墓がある東京都三鷹市の禅林寺は、この日にとくに多くの人が訪れる場所です。

三鷹市の案内では、第一回の集まりが太宰治の死の翌年である昭和24年6月19日に禅林寺で開かれたと説明されています。

現在も6月19日には墓前を訪れる人が多く、三鷹市はこの光景を長年続く地域の風景として紹介しています。

太宰治文学サロンでも、この時期は来訪者の増加を見込み、特別開館や運営対応が行われた実績があります。

それだけ、この日は単なる文学の豆知識ではなく、実際に人が動く年中行事として今も生きているのです。

本で名前だけ知っていた人が現地に行くと、この日がいまなお現在進行形の文化であることを実感しやすいはずです。

墓前にさくらんぼが供えられる理由

この日にさくらんぼが供えられるのは、名前の由来になった『桜桃』と、言葉そのものが持つ意味が重なっているからです。

三鷹市の説明では、発足当時の集まりは、遺族を招き、桜桃をつまみながら酒を酌み交わして太宰治をしのぶ会だったとされています。

つまり、さくらんぼは後から観光的に付け足された演出ではなく、初期の追悼の場面にすでに深く結びついていました。

『桜桃』という作品名が忌日の呼び名になり、その作品名がさくらんぼを意味する以上、墓前にその果実が置かれるのはとても自然な流れです。

文学作品の題名が、実際の供花や供物のように現場の風景まで形づくっている例は、そう多くありません。

この日を象徴するものを一つ挙げるなら、墓前のさくらんぼは外せない光景だと言えます。

生誕地では現在「太宰治生誕祭」が行われる

青森県五所川原市の金木では、かつて三鷹の禅林寺と同じく6月19日に太宰治をしのぶ催しが行われてきました。

ただし、五所川原市の公式案内によると、生誕九十周年にあたる1999年に、遺族の要望を受けて現地の名称は「太宰治生誕祭」へ改められました。

現在は毎年6月19日に、金木芦野公園の太宰治文学碑のある場所で式典が開かれています。

この変更は、太宰治をしのぶ気持ちが薄れたからではなく、生まれた土地では生誕を祝う形がふさわしいという考え方に基づくものでした。

同じ6月19日でも、三鷹では墓前でしのび、金木では生誕をたたえるという違いがあるのは、とても興味深い点です。

土地ごとの受け止め方の違いを知ると、太宰治が一人の作家でありながら、複数の地域で大切にされていることがよくわかります。

現地に行けなくても知る方法

実際に三鷹や金木へ行けなくても、この日について理解を深める方法は十分にあります。

まず確実なのは、青空文庫で『桜桃』を読むことです。

作品そのものに触れると、単なる記念日名ではなく、太宰治の晩年の言葉と結びついた呼び名だと体感できます。

また、三鷹市や五所川原市の公式ページには、年譜、施設情報、顕彰事業の案内がまとまっているため、出来事の順番や土地との関係を整理しやすいです。

太宰治文学サロンや展示室の案内を見ると、三鷹でどのように太宰治が顕彰され続けているかもつかめます。

まず作品を読み、そのあとに年譜と地域の案内を確かめる順番で触れると、知識がばらばらにならず、理解がかなり深まります。

桜桃忌を知ると太宰治がもっとわかる

太宰治の最期とこの日のつながり

太宰治の最期を知ると、この日がなぜこれほど強い印象を持つのかが見えてきます。

三鷹市スポーツと文化財団の紹介では、太宰治は『人間失格』の一回目を発表した直後、1948年6月13日に山崎富栄とともに玉川上水へ身を投じたとされています。

五所川原市の年譜でも、6月13日の入水、6月19日早朝の遺体発見、そしてその日が誕生日だったことが明記されています。

この出来事の連なりが、6月19日という日付に、たんなる年中行事以上の重みを与えました。

しかも、同じ1948年には『桜桃』や『人間失格』が残されており、人生の終わりと作品の記憶が切り離しにくい形で重なっています。

この背景を知ってから作品を読むと、文章の温度や痛みの感じ方まで変わってくる人は少なくありません。

『桜桃』はどんな作品なのか

『桜桃』は、1948年5月の『世界』に発表された短編です。

青空文庫でも公開されており、現在でも比較的気軽に本文へ触れられます。

作品は、桜桃が食卓に出る場面から始まり、家庭の空気、親であることの感情、自意識の揺れが濃くにじむ内容として読まれています。

冒頭の「桜桃が出た。」や、有名な一文として知られる「子供より親が大事、と思いたい。」は、短いのに強く記憶に残る言葉です。

この短編は、声高に人生を語る作品ではありませんが、日常の小さな場面から人間の弱さや切実さが立ち上がるところに、太宰治らしさがあります。

記念日の名前だけ覚えるよりも、まず短編を読んでからこの日を考えたほうが、なぜこの題名が選ばれたのかを自然に感じ取りやすくなります。

夏の季語としても知られている

この日の名前は、文学の記念日であるだけでなく、俳句の世界では夏の季語としても扱われます。

コトバンクに収録された『精選版 日本国語大辞典』でも、「季語・夏」と明記されています。

つまり、この言葉は太宰治の忌日を指すだけでなく、俳句では季節の気配を運ぶ語としても機能しているのです。

ここでも「桜桃」という果物の季節感が効いていて、六月の空気と文学の記憶が一つの言葉の中に収まっています。

普通の記念日名なら、そこまで広く文芸の用語として広がることは多くありません。

そう考えると、この日の名前は、出来事を記録する言葉でありながら、同時に美しい表現としても生きている、かなり珍しい存在だと言えます。

初心者におすすめの太宰治作品

はじめて太宰治を読むなら、入り口は一冊にしぼらなくて大丈夫です。

五所川原市の公式ページでは、『走れメロス』『女生徒』『津軽』『桜桃』『人間失格』などが代表作として挙げられています。

読みやすさを重視するなら『走れメロス』が入りやすく、人物の感情の動きを味わいたいなら『女生徒』、土地と太宰治の距離感まで知りたいなら『津軽』が向いています。

この日の意味に直結する一作を選ぶなら、やはり『桜桃』が最優先です。

さらに晩年の重みまで見たいなら『人間失格』へ進むと、太宰治の最後期の表現をより立体的に受け止めやすくなります。

最初から難しく考えすぎず、この日に関係する短い作品から触れていくほうが、太宰治の世界には自然に入りやすいです。

桜桃忌とは?まとめ

この日は、太宰治をしのぶ日として知られています。

読み方は「おうとうき」で、名前は晩年の短編『桜桃』にちなみ、同郷の作家である今官一が付けました。

太宰治は1948年6月13日に入水し、戸籍上の死亡推定月日は6月14日午前0時、遺体発見は6月19日早朝で、その日が誕生日でもありました。

三鷹の禅林寺では、この6月19日に人びとが集まり、太宰治をしのぶ営みが続いてきました。

また、この言葉は夏の季語でもあり、文学と季節感が一つになった珍しい名前でもあります。

意味だけを覚えるより、『桜桃』の本文まで読んでみると、この日の重みはずっとはっきり伝わってきます。

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