感動した気持ちを文章にしようとして、「胸を打たれた」と「心を打たれた」のどちらを使うべきか迷ったことはないでしょうか。
どちらもよく見かける表現ですが、似ているからこそ、意味の違いや使い分けが気になるものです。
結論からいえば、二つはどちらも強く感動することを表しており、多くの文章で言い換えられます。
ただし、感情が込み上げる印象を出したい場合と、相手の言葉や考え方を深く受け止めた印象を出したい場合では、選ぶ言葉によって文章の雰囲気が少し変わります。
この記事では、辞書に示された語義を基に、二つの共通点と違いを整理します。
映画やスピーチ、人の行動など、場面別の例文も紹介するので、自分の伝えたい感動に合う表現を選べるようになります。
「胸を打たれる」と「心を打たれる」の違いを先に結論
どちらも「強く感動する」という意味で基本的には同じ
「胸を打たれる」と「心を打たれる」は、どちらも何かに強く感動したときに使う表現です。
結論からいえば、感動を表す場面では、両者の意味に大きな違いはありません。
小学館の『デジタル大辞泉』では、「胸を打つ」は強く感動させることと説明され、同じ説明の中に「心を打つ」が示されています。
一方の「心を打つ」も、強く感動させることを意味します。
辞書の語義から見ても、両者は非常に近い関係にあると分かります。
たとえば、次の二つの文章は、ほぼ同じ内容を伝えています。
「最後まで諦めない選手の姿に胸を打たれた。」
「最後まで諦めない選手の姿に心を打たれた。」
どちらも、選手の姿を見て強く感動したという意味です。
片方が正しく、もう片方が間違っているわけではありません。
ただし、使われている「胸」と「心」から受ける印象には、わずかな違いがあります。
「胸を打たれる」は、感情が胸の奥から込み上げてくるような語感を出しやすい表現です。
「心を打たれる」は、言葉や行動の意味を深く受け止め、内面が動かされたような語感を出しやすい表現です。
これは厳密な使い分けの規則ではありません。
文章の雰囲気や、書き手がどのように感動を伝えたいかによって選べばよいでしょう。
多くの文章でそのまま言い換えられる
「胸を打たれる」と「心を打たれる」は、多くの文章で入れ替えて使えます。
次の例を見てみましょう。
「被災地で助け合う人々の姿に胸を打たれた。」
「被災地で助け合う人々の姿に心を打たれた。」
どちらも、人々の助け合いに深く感動したことを表しています。
意味の中心は変わりません。
映画や小説に対して使う場合も同じです。
「家族の再会を描いた場面に胸を打たれた。」
「家族の再会を描いた場面に心を打たれた。」
この場合も、どちらか一方だけが正しいということはありません。
人の言葉や行動についても言い換えられます。
「先生の温かい言葉に胸を打たれた。」
「先生の温かい言葉に心を打たれた。」
両者の違いを強く意識しすぎると、かえって文章が書きにくくなります。
まずは、どちらも強い感動を表す言葉だと理解しておきましょう。
そのうえで、涙が込み上げるような感情の動きを表したい場合は「胸を打たれる」がよくなじみます。
考え方や生き方に感銘を受けたことを落ち着いて伝えたい場合は、「心を打たれる」がなじむことがあります。
ただし、この選び方も絶対ではありません。
実際の文章では、言葉の響きや前後の表現との重なりを見ながら決めるのが自然です。
たとえば、同じ段落に「心」という言葉が何度も登場しているなら、「胸を打たれる」に替えると文章が読みやすくなります。
反対に、「胸が苦しくなる」「胸がいっぱいになる」といった表現が続いているなら、「心を打たれる」を選ぶと重複を避けられます。
意味だけでなく、文章全体のリズムも考えて選ぶことが大切です。
「感動」と「驚き」で分けるのは絶対的なルールではない
「胸を打たれるは感動を表し、心を打たれるは驚きを表す」と説明されることがあります。
しかし、このように二つを明確に分けることはできません。
「心を打つ」の基本的な意味は、相手を強く感動させることです。
少なくとも辞書の中心的な説明では、驚きだけを表す言葉とはされていません。
一方で、『精選版 日本国語大辞典』の「胸を打つ」には、感動させられるという意味に加えて、驚くという語義も収録されています。
また、悲しみや無念さから自分の胸をたたくという意味も記録されています。
ただし、辞書に複数の語義が載っていることと、現代の「胸を打たれる」と「心を打たれる」を感動と驚きで分けることは別の話です。
「胸を打たれる」を感動専用、「心を打たれる」を驚き専用と考える根拠にはなりません。
驚いたことだけを伝えたいなら、「驚かされた」「衝撃を受けた」「息をのんだ」などの表現を使うほうが明確です。
「突然の発表に心を打たれた」と書くと、発表に感動したのか、内容に驚いたのかが分かりにくくなります。
驚きを表したいなら、「突然の発表に驚かされた」とするのが自然です。
感動を伴う驚きなら、「思いがけない心遣いに心を打たれた」と書けます。
この文章では、予想外だったことよりも、心遣いに感動したことが中心です。
重要なのは、出来事が意外だったかどうかではありません。
その出来事によって、自分の内面が深く動かされたかどうかです。
迷ったときの選び方を比較表で確認
二つの表現に厳密な境界線はありませんが、文章を作るときの目安はあります。
| 表現 | 基本的な意味 | 出しやすい語感 | なじみやすい場面 |
|---|---|---|---|
| 胸を打たれる | 強く感動する | 感情が込み上げる印象 | 映画、物語、再会、努力する姿 |
| 心を打たれる | 強く感動する | 内面を深く動かされる印象 | 言葉、行動、考え方、生き方 |
| 衝撃を受ける | 強い刺激や驚きを受ける | 驚きや動揺 | 予想外の発表、事件、急な変化 |
| 感銘を受ける | 深く感じ、心に刻まれる | 改まった印象 | 講演、仕事、思想、優れた実績 |
胸が熱くなり、涙が出そうになった場面では、「胸を打たれた」と書くと感情の動きが伝わりやすくなります。
相手の言葉や考え方を受け止め、自分の考えまで変わった場面では、「心を打たれた」がよくなじみます。
改まった文章やビジネス上の感想では、「感銘を受けた」も使えます。
ただし、「感銘」は単に一時的に感動しただけでなく、忘れられないほど深く感じ、心に刻まれたことを表す言葉です。
迷ったときは、どちらを選んでも大きな誤りにはなりません。
文章を声に出して読み、前後の言葉となじむほうを選ぶ方法も有効です。
「胸」という言葉が続きすぎていないか、「心」という言葉が重なっていないかも確認しましょう。
「胸を打たれる」と「心を打たれる」の意味
「胸を打たれる」の意味と成り立ち
「胸を打たれる」は、「胸を打つ」を受け身の形にした言葉です。
「胸を打つ」は、人を強く感動させることを意味します。
たとえば、「彼女の勇気ある行動が人々の胸を打った」という文章では、行動した側が感動を与えています。
これを感動した人の立場から書くと、「人々は彼女の勇気ある行動に胸を打たれた」となります。
能動形と受け身の形を並べると、関係が分かりやすくなります。
「少年の優しさが、私の胸を打った。」
「私は、少年の優しさに胸を打たれた。」
伝えている出来事は同じですが、注目する場所が異なります。
前者は少年の優しさが持つ力に注目しています。
後者は感動した自分の気持ちに注目しています。
「打つ」という言葉には、外から強い刺激を与えるような印象があります。
そのため、「胸を打たれる」には、予想していなかったほど強く感情を揺さぶられた様子が感じられます。
もちろん、本当に胸をたたかれたという意味ではありません。
ここで使われている「胸」は、体の部分を示すだけでなく、心や思いを表しています。
なお、「胸を打つ」には、辞書上では驚くという語義や、嘆き悲しんで胸をたたくという語義もあります。
文章の前後によって意味が決まりますが、現代の「姿に胸を打たれた」「言葉に胸を打たれた」という形では、強く感動した意味として受け取るのが自然です。
「心を打たれる」の意味と成り立ち
「心を打たれる」も、「心を打つ」を受け身の形にした表現です。
「心を打つ」は、人を強く感動させることを意味します。
「監督の言葉が選手たちの心を打った」という文章では、監督の言葉が感動を与えています。
感動した側を中心に書くと、「選手たちは監督の言葉に心を打たれた」となります。
「心」は、感情、考え、意思など、人の内面を広く表す言葉です。
そのため、「心を打たれる」は、涙が出るような感動だけでなく、相手の考え方に共感した場合や、生き方に感銘を受けた場合にも使いやすい表現です。
「彼の誠実な仕事ぶりに心を打たれた。」
「困っている人へ迷わず手を差し伸べる姿に心を打たれた。」
「卒業式で聞いた先生の言葉に心を打たれた。」
いずれも、単に「よいと思った」だけではありません。
相手の言葉や行動が自分の内面まで届き、強く感じ入った状態を表しています。
「感心した」と比べると、「心を打たれた」のほうが感情の動きは強くなります。
「よくできていると思った」という程度なら、「感心した」のほうが合う場合があります。
「心を打たれた」は、自分の考え方や気持ちに影響するほど深く感じた場面で使うと、言葉の強さが生きます。
慣用句で「胸」が「心」を表す理由
「胸」は、体の一部を指すだけの言葉ではありません。
辞書には、「胸」の意味として、心、思い、心の中という語義も収録されています。
「胸の内を明かす」という表現を考えると分かりやすいでしょう。
この場合の「胸の内」は、体の中を見せることではありません。
自分が心の中で考えていることや、隠していた気持ちを打ち明けることです。
ほかにも、感情を表す表現には「胸」が多く登場します。
「胸がいっぱいになる」は、うれしさや悲しさによって心が満たされることを意味します。
「胸が熱くなる」は、感動が込み上げてくることを表します。
「胸に迫る」は、ある思いが強く押し寄せて感動することを意味します。
感情が大きく動くと、胸が締め付けられるように感じたり、鼓動が速くなったように感じたりすることがあります。
そのため、日本語では「胸」が心や感情を表す言葉として広く使われてきました。
「胸を打たれる」の「胸」も、心と切り離された別のものではありません。
この点を理解すると、「胸を打たれる」と「心を打たれる」の意味が近い理由も分かります。
「胸」と「心」は異なる漢字ですが、この慣用表現では、どちらも人の内面を表しているのです。
場面による自然な使い分け
映画・小説・音楽などの作品に感動した場合
映画や小説、音楽などに感動した場合は、どちらの表現も使えます。
「家族の絆を描いた映画に胸を打たれた。」
「家族の絆を描いた映画に心を打たれた。」
二つの文章は、どちらも自然です。
ただし、場面の描写に合わせて選ぶと、感想がより伝わりやすくなります。
物語の結末で涙が込み上げたことを伝えたいなら、「胸を打たれた」がよく合います。
「最後に主人公が母親と再会する場面に胸を打たれた。」
この文章からは、感情が一気に込み上げた様子が伝わります。
作品に込められた考えやメッセージに深く共感した場合は、「心を打たれた」もよく合います。
「世代を超えて平和の大切さを問いかける作品に心を打たれた。」
こちらは、作品の意味を受け止めたうえで感動した印象になります。
音楽の場合も同じです。
歌声や演奏の迫力に圧倒され、胸が熱くなったなら、「力強い歌声に胸を打たれた」と書けます。
歌詞に込められた思いへ共感したなら、「自分の弱さを肯定してくれる歌詞に心を打たれた」と書けます。
この使い分けは、正誤を決めるものではありません。
自分が作品の何に感動したのかを明らかにするための工夫です。
「映画に感動した」だけで終わらせず、「どの場面に」「何を感じたか」まで書くと、読み手にも感動の理由が伝わります。
人の言葉・行動・生き方に感動した場合
人の言葉や行動に深く感動した場合も、両方の表現を使えます。
特に「心を打たれる」は、相手の考え方や姿勢を受け止めたことを表しやすい言葉です。
「失敗した部下を責めず、励ました上司の言葉に心を打たれた。」
「自分の利益よりも地域の将来を優先する姿勢に心を打たれた。」
「長年にわたって子どもたちを支えてきた活動に心を打たれた。」
これらの文章では、相手の価値観や人柄に強く感じ入ったことが伝わります。
一方で、その場で目にした行動によって感情が一気に動いた場合は、「胸を打たれる」も自然です。
「転んだ選手を敵チームの選手が助け起こす姿に胸を打たれた。」
「最後まで仲間に声をかけ続けた選手の姿に胸を打たれた。」
「避難所で食事を譲り合う人々の姿に胸を打たれた。」
行動を目にした瞬間の感情を描く場合には、「胸を打たれる」の持つ力強い響きが生きます。
ただし、「言葉には心を使い、行動には胸を使う」という決まりはありません。
「先生の言葉に胸を打たれた」も自然です。
「選手の行動に心を打たれた」も自然です。
選ぶ基準は、感動した対象の種類ではなく、自分がどのような語感で伝えたいかです。
言葉選びに迷ったら、強い感情の高まりを表すなら「胸」、内面的な共感を表すなら「心」という目安を使ってみましょう。
悲しい話や衝撃的な出来事にも使える?
「胸を打たれる」と「心を打たれる」は、楽しく明るい感動に限って使う言葉ではありません。
悲しい物語や、苦しい経験を語った言葉に深く感じ入った場合にも使えます。
「戦争を体験した人の証言に胸を打たれた。」
「家族を失いながらも前を向いて生きる姿に心を打たれた。」
このような文章では、悲しさだけでなく、共感、敬意、祈りなどの感情も含まれています。
ただし、単に恐ろしい出来事や悲惨な事件を知って驚いた場合には、使い方に注意が必要です。
「大きな事故の知らせに胸を打たれた」と書くと、事故そのものに感動したようにも読めます。
この場合は、「大きな事故の知らせに衝撃を受けた」や「被害の大きさに胸を痛めた」とするほうが意図が明確です。
「胸を打たれる」を使うなら、何に感動したのかを具体的に書きましょう。
「事故現場で救助を続けた人々の勇気に胸を打たれた。」
「被害を受けながら互いに支え合う住民の姿に心を打たれた。」
このように書けば、事故ではなく、人々の勇気や助け合いに感動したことが分かります。
衝撃と感動は、同時に起こることもあります。
ただし、文章では一つの表現だけにすべてを任せると、意味が曖昧になることがあります。
「突然の知らせに衝撃を受けると同時に、冷静に行動した人々の姿に胸を打たれた」と分ければ、驚きと感動の両方を正確に伝えられます。
例文で比べる「胸を打たれる」と「心を打たれる」
「胸を打たれる」を使った自然な例文
「胸を打たれる」は、感情が強く揺さぶられた場面で使いやすい表現です。
「けがを乗り越えて優勝した選手の姿に胸を打たれた。」
この文章では、選手の努力や苦労を知り、強く感動したことが伝わります。
「離れ離れになった家族が再会する場面に胸を打たれた。」
再会の瞬間に涙が込み上げるような感情を表せます。
「名も知らない人のために行動した少年の勇気に胸を打たれた。」
行動のすばらしさだけでなく、それを見た人の感情の高まりも伝わります。
「卒業生一人ひとりに声をかける先生の姿に胸を打たれた。」
温かい場面を目にして、深く感動した様子が表れています。
「何度失敗しても舞台に立ち続ける彼女の姿勢に胸を打たれた。」
「姿勢」のような考え方に関する言葉と組み合わせても不自然ではありません。
文章を作るときは、「何に胸を打たれたのか」を具体的にすると伝わりやすくなります。
「試合に胸を打たれた」だけでは、どこに感動したのか分かりません。
「最後まで勝負を諦めなかった選手たちの姿に胸を打たれた」と書けば、感動の理由が明確になります。
また、「とても胸を打たれた」と強調するより、感動した対象を詳しく説明したほうが文章に説得力が出ます。
感情を大きな言葉で表すだけでなく、その感情が生まれた場面を示すことが大切です。
「心を打たれる」を使った自然な例文
「心を打たれる」は、言葉、考え方、生き方などに深く共感した場面で使いやすい表現です。
「失敗を恐れず挑戦してほしいという先生の言葉に心を打たれた。」
言葉の内容が自分の内面まで届いたことを表しています。
「利益にならなくても必要な支援を続ける経営者の姿勢に心を打たれた。」
単に立派だと思っただけでなく、その考え方に感銘を受けたことが伝わります。
「何年たっても支えてくれた人への感謝を忘れない彼の人柄に心を打たれた。」
「人柄」のように形のないものにも自然に使えます。
「自分の経験を若い世代へ伝えようとする語り部の言葉に心を打たれた。」
言葉の重みや、伝えようとする思いを受け止めた表現です。
「苦しい状況でも笑顔を忘れない子どもたちの姿に心を打たれた。」
「姿」に対して使っても問題ありません。
「心を打たれる」は、「胸を打たれる」よりも静かな感動しか表せないわけではありません。
涙が出るほど強く感動した場合にも使えます。
大切なのは、「心」という漢字だけを見て、理性的な感動に限定しないことです。
感情が強く揺れた場面でも、考え方が変わった場面でも使えます。
ただし、軽く好印象を持っただけの場面で使うと、表現が大げさに感じられることがあります。
「店員の説明が分かりやすくて心を打たれた」では、特別な背景がなければ少し重く感じられます。
その場合は、「説明が分かりやすくて感心した」や「丁寧な対応が印象に残った」などが自然です。
二つを入れ替えても意味が変わらない例文
次の例文では、「胸」と「心」を入れ替えても、中心的な意味はほとんど変わりません。
「祖父が残した手紙に胸を打たれた。」
「祖父が残した手紙に心を打たれた。」
どちらも、手紙を読んで強く感動したという意味です。
「地域のために働き続けた彼の生き方に胸を打たれた。」
「地域のために働き続けた彼の生き方に心を打たれた。」
この二つも、彼の生き方に深く感じ入ったことを表しています。
「子どもたちの合唱に胸を打たれた。」
「子どもたちの合唱に心を打たれた。」
どちらを選んでも自然です。
ただし、同じ意味でも文章から受ける印象がまったく同じになるとは限りません。
「胸を打たれた」と書くと、歌声を聞いた瞬間に感情が込み上げたような印象を出せます。
「心を打たれた」と書くと、歌声や歌詞に込められた思いを深く受け止めたような印象を出せます。
この差は、辞書で定められた厳格なルールではありません。
読み手が言葉から受け取る語感の違いです。
入れ替えられるかを確認するときは、文章の中心的な意味が保たれているかを見ましょう。
どちらも「強く感動した」と言い換えられるなら、基本的には入れ替えられます。
入れ替えたあとに文章内で同じ言葉が続いていないかも確認してください。
「心のこもった手紙に心を打たれた」は誤りではありませんが、「心」が重なります。
この場合は、「心のこもった手紙に胸を打たれた」とすると、すっきり読めます。
類語との違いと間違えやすい表現
「胸に響く」「心に響く」との違い
「胸に響く」と「心に響く」も、強く感動したときに使える表現です。
『デジタル大辞泉』では、「心に響く」は強く感動して印象に残り、心が引き付けられることと説明されています。
「胸に響く」は、「胸に応える」と同じ意味の表現として収録されています。
「打たれる」と「響く」の違いは、言葉が持つイメージを考えると分かりやすくなります。
「打たれる」は、強い刺激を受けた瞬間に注目する表現です。
「響く」は、言葉や音が内面に届き、その後も残り続けるような印象を与えます。
「彼の演説に心を打たれた」と書けば、演説を聞いて強く感動したことが中心になります。
「彼の演説が心に響いた」と書けば、演説の言葉が自分の中に残ったことが中心になります。
ただし、実際には両方の感覚が含まれることも多く、明確に切り分けられるものではありません。
「励ましの言葉に胸を打たれ、その言葉は今も心に響いている」と書くこともできます。
この文章では、最初の強い感動と、その後も残っている影響を分けて表しています。
「胸に響く」と「心に響く」にも、大きな意味の違いはありません。
前後の文章との重なりや、音の流れに合わせて選ぶとよいでしょう。
「心を動かされる」「感銘を受ける」との違い
「心を動かされる」も、感動を表すときに使われます。
辞書では、「心を動かす」に、感動することや心を打たれることのほか、興味を引かれることや、相手の気持ちを変えることなど複数の意味があります。
そのため、「心を動かされる」は「心を打たれる」よりも広い場面で使えます。
「熱心な説明に心を動かされ、計画への参加を決めた。」
この文章では、感動しただけでなく、その結果として決断が変わったことまで表せます。
「商品を購入する気はなかったが、作り手の話に心を動かされた。」
この場合も、気持ちが変化したことが中心です。
一方の「心を打たれる」は、強い感動そのものに重点があります。
必ずしも、その後に行動や判断が変わる必要はありません。
「感銘を受ける」は、忘れられないほど深く感じ、心に刻み込まれることを意味します。
「心を打たれる」よりも改まった響きがあり、講演、仕事上の姿勢、研究成果、優れた実績などについて使いやすい言葉です。
「社長の経営に対する考え方に感銘を受けました。」
「長年にわたる研究活動に深い感銘を受けました。」
ビジネス文書や式典の挨拶にもなじみます。
ただし、日常的な出来事に使うと、少し堅く聞こえる場合があります。
友人の優しい一言に感動した場面なら、「友人の言葉に心を打たれた」のほうが自然で親しみやすいでしょう。
「胸が熱くなる」「胸に迫る」との違い
「胸が熱くなる」は、感動が込み上げ、胸がじんとするような状態を表します。
「胸を打たれる」が感動を受けたことを示すのに対し、「胸が熱くなる」は感動したときの自分の状態を描く表現です。
「選手の努力に胸を打たれた。」
「選手が表彰台に立つ姿を見て胸が熱くなった。」
前者では、選手の努力が与えた感動に注目しています。
後者では、感動が込み上げた自分の様子に注目しています。
二つを続けて使うこともできます。
「長年の努力を知っていただけに、表彰台に立つ姿に胸を打たれ、胸が熱くなった。」
ただし、「胸」が続くため、文章によってはくどく感じられます。
その場合は、「表彰台に立つ姿に心を打たれ、思わず涙がこぼれた」とすると読みやすくなります。
「胸に迫る」は、ある思いが強く押し寄せてくることや、感動することを意味します。
「亡き父の手紙を読み、さまざまな思いが胸に迫った。」
この表現は、一つの感情だけでは説明できない場面によく合います。
うれしさ、悲しさ、懐かしさ、感謝などが同時に込み上げる場面です。
「胸を打たれる」が感動の原因を示しやすいのに対し、「胸に迫る」は自分の中へ押し寄せる思いを描きやすい表現です。
「琴線に触れる」の意味とよくある誤用
「琴線に触れる」も、感動に関係する表現です。
文化庁は、「琴線に触れる」の本来の意味を、感動や共鳴を与えることと説明しています。
「琴線」は、もともと琴の糸を指す言葉です。
そこから、物事に感動する心の奥深い部分を琴の糸にたとえた表現として使われます。
「彼女の歌声は、多くの人の琴線に触れた。」
この文章は、歌声が多くの人に感動や共鳴を与えたという意味です。
注意したいのは、「怒らせる」や「不快にさせる」という意味ではないことです。
怒りに触れる意味で使いたい場合は、「逆鱗に触れる」や「癇に障る」など、別の表現を選びます。
文化庁が公表した平成27年度の「国語に関する世論調査」では、「琴線に触れる」を本来の意味である「感動や共鳴を与えること」と答えた人は38.8%でした。
一方、「怒りを買ってしまうこと」と答えた人は31.2%で、「分からない」と答えた人は21.8%でした。
この調査結果からも、意味を取り違えやすい表現であることが分かります。
「琴線に触れる」は、「胸を打つ」や「心を打つ」と近い意味を持ちますが、使い方には違いがあります。
「私は彼の言葉に心を打たれた」では、感動した本人を主語にできます。
一方、「彼の言葉は私の琴線に触れた」では、感動を与えた言葉を主語にする形が自然です。
「私は彼の言葉に琴線を触れられた」とは、通常は表現しません。
また、「琴線に触れる」は少し文学的で、日常会話では意味が正しく伝わらない可能性があります。
分かりやすさを優先する場面では、「心を打たれた」「深く感動した」「強く共感した」と言い換えるとよいでしょう。
「胸を打たれる」と「心を打たれる」の違いまとめ
「胸を打たれる」と「心を打たれる」は、どちらも何かに強く感動したことを表す言葉です。
辞書でも「胸を打つ」は「心を打つ」と結び付けて説明されており、感動を表す場面では、ほぼ同じ意味で使えます。
「胸を打たれる」は、感情が込み上げる様子や、胸が熱くなるような感動を表しやすい言葉です。
「心を打たれる」は、言葉、行動、生き方などを深く受け止め、内面を動かされたことを表しやすい言葉です。
ただし、これは厳密な規則ではありません。
映画にも人の言葉にも、どちらの表現を使えます。
また、「胸を打たれるは感動、心を打たれるは驚き」と明確に分けることもできません。
驚きだけを伝えたい場合は、「驚かされた」や「衝撃を受けた」と書いたほうが正確です。
表現に迷ったときは、何に感動したのかを具体的に書いてみましょう。
感情が一気に込み上げた様子を出したいなら、「胸を打たれる」が候補になります。
相手の考えや言葉に深く共感した様子を出したいなら、「心を打たれる」が候補になります。
最後は前後の文章との重なりや、声に出したときの読みやすさで選んでも問題ありません。
二つの違いを必要以上に難しく考えず、伝えたい感動の形に合うほうを選びましょう。
