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「ケツの穴が小さい」の語源は?なぜ“お尻の穴”で心の狭さを表すのか徹底解説

「ケツの穴が小さい」の語源は?なぜ“お尻の穴”で心の狭さを表すのか徹底解説

誰かのことを「ケツの穴が小さい」と言うことがあります。

意味はなんとなくわかっても、「そもそも、どうしてお尻の穴の大きさで人間の器を表すの?」と考えると、かなり不思議な言葉です。

「出すものが少ないからケチという意味になった」という話を聞いたことがある人もいるかもしれません。

ところが古い資料をたどっていくと、江戸時代には現在の「小さい」ではなく「狭い」という表現があり、さらに正反対の「穴が広い」という言い方まで存在していたことがわかります。

この記事では、1780年の『風来六部集』、1787年の山東京伝『通言総籬』、1915年の長谷川如是閑『搦手から』などの用例を手がかりに、この言葉がどこまで昔にさかのぼれるのか、なぜ人間の度量をお尻の穴で表すようになったのかをわかりやすく解説します。

史料で確認できる事実と、後から生まれた可能性のある語源説を分けながら見ていきましょう。

  • 現在の「ケツの穴が小さい」は、主に「度量が狭い」「心が狭い」「器が小さい」という意味で使われます。
  • 1780年の『風来六部集』には、現在につながる「穴のせまい」という用例が確認できます。
  • 1787年には反対方向の「尻の穴の広」も確認できるため、「狭い・広い」と度量を重ねた比喩として考えると理解しやすくなります。
  • 「出す量が少ないからケチになった」という説明は、確認できる史料だけでは確定した語源とは言えません。
目次

「ケツの穴が小さい」とは?まず意味と語源の結論を知ろう

「ケツの穴が小さい」は度量が狭い・心が狭いという意味

「ケツの穴が小さい」と聞くと、文字どおり身体的な特徴を表しているように見えます。

しかし、実際には人の性格や振る舞いを評価するときに使われる慣用的な表現です。

意味として中心にあるのは、「度量が狭い」「おおらかさがない」「小さなことにこだわる」といった性質です。

たとえば、ほんの少しの失敗をいつまでも責め続ける人や、自分が少し損をしただけで激しく不満を口にする人に対して使われることがあります。

「尻の穴が小さい」という形では、他人の言動をおおらかに受け入れる心の広さがなく、度量に乏しいことを表します。

興味深いのは、もともとの表現には「心が狭い」だけでなく、「けち」「吝嗇」「小心」といった意味も含まれていることです。

江戸時代に確認できる「穴の穴が狭い」という表現には、金品を惜しむことと、人間としての度量が狭いことの両方が含まれていました。

つまり、この言葉を単純に「心が狭い人」という一つの意味だけで理解すると、昔から続くニュアンスの一部を取りこぼしてしまいます。

お金を惜しむこと、小さなことを気にすること、度胸がないことなど、「人間としての余裕のなさ」を広く表す言葉だったと考えると理解しやすいでしょう。

現代では「そんな細かいことを気にするなんて、器が小さい」という場面で使われることが多く、「器が小さい」にかなり近い表現になっています。

ただし、「ケツ」という語そのものがかなりくだけているため、意味だけでなく言葉の強さにも注意が必要です。

「ケチ」「小心者」という意味で使われることもある

この表現には、「心が狭い」以外にも「けち」「気が小さい」という意味があります。

これは後から適当に付け加えられた意味ではありません。

1780年序の『風来六部集』に収められた『放屁論後編』には、「穴のせまい仕送り用人」という用例が確認されています。

この「穴」は「けつ」と読みます。

この用例を収録する語義には、けちであること、金品を惜しむこと、度量が狭いこと、考えが浅いこと、小心であることが含まれています。

そのため、「ケツの穴が小さい」は昔から金銭面の細かさと性格面の狭さが重なった表現だったことがわかります。

たとえば、飲み会で一円単位まで他人の支払いを追及する人を「細かい」と感じることがあります。

一方で、節約のために無駄遣いをしないだけなら、それは単なる倹約です。

この言葉が向けられるのは、金額そのものよりも、「そこまで細かく言わなくてもいいのでは」と周囲が感じるような態度です。

そのため、「けち」と「度量が狭い」が自然につながります。

また、「小心」という意味も見逃せません。

昔の語義には、単なる金銭的な惜しみだけでなく、思い切りの悪さや肝の小ささまで含まれていました。

現在の「器が小さい」という言い方も、かなり似た発想です。

人間そのものの物理的な大きさではなく、目に見えない度量や包容力を「大きい・小さい」で表しているからです。

「ケツの穴が小さい」も、少なくとも歴史的な用例を見る限り、単なる下品な悪口ではなく、人間の度量を空間的な大きさで表した慣用表現として長く使われてきたことがわかります。

語源は一つに断定できないが江戸時代にはすでに使われていた

  • 1780年の資料に用例があることと、1780年にこの言葉が生まれたことは同じではありません。
  • 文字資料に残る前から、会話の中で使われていた可能性があります。
  • そのため、確認できる最古級の用例と、言葉そのものの誕生時期は分けて考える必要があります。

この言葉について最も気になるのは、「そもそも、なぜお尻の穴なのか」という点でしょう。

結論から言うと、現在確認できる資料だけで「この出来事がきっかけで生まれた」と一つの語源に断定することはできません。

一方で、少なくとも江戸時代には、現在につながる表現が実際に使われていました。

『風来六部集』は風来山人、つまり平賀源内による作品で、安永9年の1780年序として現存資料が確認されています。

その中には『放屁論』『放屁論後編』などが収録されています。

『放屁論後編』には「穴のせまい」という形が登場します。

したがって、この表現を昭和や平成に生まれた俗語だと考えるのは正しくありません。

さらに7年後の1787年には、山東京伝の洒落本『通言総籬』に「尻の穴の広」という反対方向の表現も確認できます。

「狭い」だけでなく「広い」も存在していたことは、語源を考えるうえでかなり重要です。

単純に「穴が小さいから排泄量が少ない」という身体的な話から生まれたのではなく、「狭い・広い」という空間の大きさを人間の度量に重ねた可能性を考えやすくなるからです。

もちろん、それだけで語源が確定するわけではありません。

言葉は会話の中で生まれることが多いため、文字として残った最初期の用例より前から口頭で使われていた可能性もあります。

そのため、「1780年に生まれた言葉」と断定するのも適切ではありません。

正確に言うなら、1780年の資料にすでに現在につながる表現が確認できる、というところまでが史料から言える事実です。

「尻の穴が小さい」と「ケツの穴が小さい」は基本的に同じ意味

現在は「ケツの穴が小さい」と「尻の穴が小さい」の両方を耳にします。

意味については、基本的に同じものと考えて問題ありません。

「尻」は人体の臀部を指し、「けつ」も同じ部位を指す語として使われています。

ただし、言葉から受ける印象にはかなり差があります。

「尻」もくだけた場面で使われますが、「ケツ」はさらに俗っぽく、荒い響きを持ちます。

そのため、「尻の穴が小さい人ですね」と言っても十分失礼ですが、「ケツの穴が小さい奴だ」と言えば、より直接的な悪口として聞こえやすくなります。

歴史的には表記も一定ではありません。

1780年の用例は「穴」を「けつ」と読ませる形で採録されています。

一方、1787年の『通言総籬』では「尻」を「ケツ」と読ませる用例が確認できます。

さらに1915年の長谷川如是閑『搦手から』になると、「お尻の穴の小さな」という、現代人にもそのまま意味がわかる形が現れます。

この流れを見ると、「穴」「尻」「ケツ」、「狭い」「小さい」という要素が時代によって組み合わされながら、現在の言い方に近づいてきた様子が見えてきます。

したがって、どちらか一方がまったく別の語源を持つ言葉だと考える必要はありません。

表現の違いはあっても、人間の度量の狭さを身体の「穴」の大きさで表すという中心部分は共通しています。

「ケツの穴が小さい」の語源を古い文献からたどる

1780年『風来六部集』には「穴の穴が狭い」が登場する

語源を考えるなら、まず実際に残っている古い文章を見る必要があります。

重要な資料の一つが、平賀源内の『風来六部集』です。

国立国会図書館の書誌では、風来山人による『風来六部集』について、安永9年、つまり1780年の序を持つ資料が確認されています。

平賀源内というと、発明家や蘭学者という印象が強いかもしれません。

しかし、戯作にも関わった人物であり、『風来六部集』には『放屁論』『放屁論後編』など、題名からしてかなり大胆な作品が収められています。

その『放屁論後編』に、「穴のせまい仕送り用人」という表現があります。

現代語の感覚なら、「ケツの穴の狭い仕送り用人」といったところです。

ここで大切なのは、「小さい」ではなく「狭い」だったことです。

現在は「穴が小さい」と言うことが多いものの、古い段階では空間的な幅を表す「狭い」が使われていました。

さらに、この表現は単に身体的特徴を描写しているわけではありません。

語義として、けち、吝嗇、度量が狭い、小心といった人間の性質を表します。

この時点ですでに、身体の「狭さ」と心や度量の「狭さ」が重なっているわけです。

1780年というと、現在から240年以上前です。

現代でもほぼ同じ意味の言葉が通じることを考えると、かなり息の長い表現だと言えるでしょう。

江戸時代の「穴の穴が狭い」はケチや度量の狭さを表していた

古い用例を見ると、「穴が狭い」という表現には複数の性格評価が含まれていました。

特に重要なのが、「けち」と「度量が狭い」が同居していることです。

現代人の感覚では、この二つは少し違うように思えます。

お金を出したがらない人と、他人のミスを許さない人は、必ずしも同じ性格ではないからです。

しかし、両者には「余裕がない」という共通点があります。

自分の持っているものを他人に回す余裕がない。

他人の失敗を受け流す余裕がない。

思い切って行動する精神的な余裕がない。

こうした性質を一つのイメージでまとめると、「狭い」という言葉は非常に使いやすかったのでしょう。

日本語には、心理状態を空間で表現する言い方が数多くあります。

「心が広い」「了見が狭い」「器が大きい」「懐が深い」などがわかりやすい例です。

どれも実際の心臓や器、懐の寸法を測っているわけではありません。

目に見えない性格を、目に見える空間の広さや大きさに置き換えて理解しています。

「穴が狭い」も、こうした比喩の仲間として考えると不自然ではありません。

ただし、「だから確実にこの比喩から生まれた」とまでは言えません。

1780年の用例は、その時点ですでに表現が成立していたことを示すものであり、誕生した瞬間を記録したものではないからです。

語源を考えるときは、「古い用例がある」と「そこで言葉が生まれた」を混同しないことが大切です。

1787年には反対表現「穴の穴が広い」も使われている

語源を考えるうえで、とても面白い資料が1787年の『通言総籬』です。

『通言総籬』は山東京伝の洒落本で、天明7年、1787年の序を持ち、江戸の蔦屋重三郎から刊行された資料が国立国会図書館に残されています。

その自序には、「何ぞ尻の穴の広ことをしらん」という用例が確認できます。

つまり、「穴が狭い」の反対側に「穴が広い」という言い方が実際に存在したのです。

「穴の穴が広い」は、度量が広い、大胆であるという意味を持ちます。

一方で、文脈によっては「ずうずうしい」という意味にもなります。

ここが非常に興味深いところです。

広ければ必ず立派な人というわけではありません。

広すぎれば、大胆を通り越して図々しいという評価にもなるわけです。

この「狭い」と「広い」の対立は、語源を考える際の大きな手がかりになります。

もし「穴が小さいのは便を少ししか出さないから、物を出し惜しみするケチを意味する」という説明だけで成立した言葉なら、反対の「穴が広い」が「度量が広い」「大胆」という意味を持つことまで、きれいには説明できません。

それよりも、「狭い空間」と「狭い度量」、「広い空間」と「広い度量」を重ねた比喩と考えるほうが、対になった二つの表現を理解しやすくなります。

もちろん、これも語源を完全に証明するものではありません。

ただ、1780年代に「狭い」と「広い」の両方が人物評価として使われていたことは、語源を考えるうえで無視できない事実です。

1915年には現在に近い「尻の穴が小さい」が確認できる

江戸時代には「狭い」という形が確認できますが、近代になると現代とほぼ同じ「小さい」という表現が現れます。

1915年刊の長谷川如是閑『搦手から』には、「お尻の穴の小さなこと」という用例が確認されています。

『搦手から』は大正4年に至誠堂書店から刊行された書籍で、著者名は当時の本名である長谷川萬次郎と記録されています。

この段階まで来ると、現代の「尻の穴が小さい」とほとんど変わりません。

時系列を簡単に整理すると、次のようになります。

確認できる用例を時系列で整理
1780年

『風来六部集』所収『放屁論後編』に「穴のせまい」。けち、度量が狭い、小心などの意味。

1787年

山東京伝『通言総籬』に「尻の穴の広」。度量が広い、大胆、ずうずうしいなどの意味。

1915年

長谷川如是閑『搦手から』に「お尻の穴の小さな」。現在の表現に近い形。

こうして見ると、「狭い」という古い表現から「小さい」という現在一般的な形へ、少なくとも表現上の変化があったことがわかります。

ただし、1780年から1915年まで一直線に「狭いから小さいへ変化した」と証明できる資料がそろっているわけではありません。

途中の時代に両方の表現が並行して使われていた可能性もあります。

そのため、「1915年に小さいへ変わった」という意味ではありません。

確実に言えるのは、江戸時代には「狭い」が確認でき、1915年には現在と同じ「小さい」の形が確認できるというところまでです。

言葉の歴史は、一本の線というより、複数の言い方が競い合いながら少しずつ形を変えていくものです。

この表現も、その典型例なのかもしれません。

なぜ“ケツの穴”で人間の器を表すのか?語源の説を検証

「穴が狭い=度量が狭い」という比喩から生まれた説

現在残っている用例を並べると、最も理解しやすいのが「空間の狭さを人間の度量の狭さに重ねた」という考え方です。

1780年には「穴のせまい」が、けち、度量が狭い、小心といった意味で使われています。

1787年には、その反対となる「尻の穴の広」が、度量が広い、大胆という意味で使われています。

この対称性はかなりわかりやすいものです。

狭い人は受け入れられる範囲が小さい。

広い人は受け入れられる範囲が大きい。

こうした感覚は、現代の「心が狭い」「心が広い」とほぼ同じです。

「器が小さい」「器が大きい」も構造は同じでしょう。

人間には物理的な「心の広さ」も「器の大きさ」もありませんが、誰でも意味を理解できます。

その意味では、「穴が狭い」という表現だけが特別に不思議な比喩だったわけではありません。

ただし、なぜ数ある身体部位の中から「尻の穴」が選ばれたのかという疑問は残ります。

ここについては、確実な起源を示す史料が確認できません。

江戸時代の戯作や洒落本には、身体や排泄を笑いに変える表現も多く、「ケツ」という俗っぽい身体語が人物評価の比喩に使われても不思議ではない文化的背景はあります。

ただ、それを直接「この文化が語源だ」と結論づけるのは行き過ぎです。

史料から確実に読み取れるのは、「狭い」と「広い」が度量の評価と対応して使われていたという事実です。

そのため、語源を説明するときには、「度量の広狭を身体の穴の広狭にたとえた可能性が考えやすい」とするのが慎重な説明になります。

「出すものが少ない=金を出さないケチ」が由来という説は本当?

  • 「出す量が少ないからケチ」という説明は、話としてはわかりやすいものの、今回確認した古い用例だけでは語源として証明できません。
  • 1787年には反対の「穴が広い」が度量の広さや大胆さを表していました。
  • 確定した事実と、後から考えられた可能性のある説明は分けて読むのが大切です。

インターネット上などでは、「穴が小さいと出るものが少ないため、金や物を出し惜しみする人を表すようになった」という説明を見かけることがあります。

話としては非常にわかりやすく、一度聞けば忘れにくい説です。

しかし、この説明を確定した語源として扱うのは避けたほうがよいでしょう。

今回確認できた1780年の『放屁論後編』には、「穴のせまい」という表現そのものは残っていますが、「排泄物を少ししか出さないから金銭を出し惜しみする人を意味するようになった」という由来説明は確認できません。

さらに、1787年には反対となる「穴が広い」が「度量が広い」「大胆」という人物評価に使われています。

この事実まで含めると、「出す量」の話だけで説明するより、「狭い・広い」という大きさの対比が中心にあると考えたほうが自然です。

もちろん、「出し惜しみ」のイメージが意味の形成にまったく影響しなかったと証明することもできません。

1780年の段階で「けち」という意味が含まれているため、排泄と金品を「出す」という感覚が何らかの連想を生んだ可能性までは否定できないからです。

ただし、可能性と事実は別です。

語源記事でありがちな失敗は、「話として面白い説明」を「歴史的に証明された説明」に変えてしまうことです。

この言葉の場合、江戸期の用例までは確認できます。

しかし、その表現を最初に考えた人物が何を連想していたのかまではわかりません。

したがって、「出す量が少ないからケチ」という説は、面白い解釈の一つとして紹介することはできても、確定した語源として断言するのは難しいと言えます。

「広い」と「狭い」が対になっていたことが語源を考えるヒントになる

語源を考えるとき、現在残っている「小さい」だけを見ていると、どうしても「なぜ小さいのだろう」と考えてしまいます。

しかし、江戸時代までさかのぼると、中心にあった言葉は「狭い」です。

そして、その反対には「広い」が存在します。

この二つを並べると、言葉の構造が急にはっきりしてきます。

狭い場所には多くのものを受け入れられません。

広い場所なら、多くのものを受け入れられます。

そこから「度量が狭い」「度量が広い」という人物評価につながるのは、日本語としてそれほど不自然ではありません。

現代でも「あの人は懐が深い」と言います。

もちろん、本当に服の懐部分を測っているわけではありません。

「受け入れる余地がある」という空間的な感覚を、人間の包容力に重ねています。

「器が大きい」も同じです。

江戸時代の「穴が狭い・広い」も、こうした身体や物理空間を利用した比喩表現として見ると理解しやすくなります。

さらに、「穴が広い」が必ずしも褒め言葉だけではなく、「ずうずうしい」という意味も持っていた点も面白いところです。

度量が広いのは立派ですが、遠慮がなさすぎれば図々しくなる。

つまり、「広ければ広いほど良い」という単純な尺度ではありません。

この微妙な意味の揺れを見ると、単なる生理現象の説明ではなく、人間の態度や度胸を面白おかしく身体の大きさに置き換えた表現だった可能性がより考えやすくなります。

語源を完全に確定できなくても、反対表現まで調べることで、言葉がどのような発想で使われていたのかはかなり見えやすくなります。

結局どの説が有力?史料で確認できる事実と俗説を分けて考える

史料で確認できること

  • 1780年に「穴のせまい」という用例がある。
  • 1787年に反対の「尻の穴の広」という用例がある。
  • 1915年に現在に近い「お尻の穴の小さな」という用例がある。

断定できないこと

  • この表現が最初に生まれた正確な時期。
  • 最初に使った人物や、誕生した具体的な場面。
  • 排泄量と金品の出し惜しみを直接結びつけたことが語源だという説明。

ここまでを整理すると、確実に確認できる事実と、そこから推測できることを分ける必要があります。

まず事実として、1780年の『風来六部集』所収『放屁論後編』には、「穴のせまい」という表現が確認できます。

その表現には、けち、吝嗇、度量が狭い、小心といった意味があります。

1787年の山東京伝『通言総籬』には、反対方向の「尻の穴の広」という表現があります。

こちらには、度量が広い、大胆、場合によっては図々しいという意味があります。

1915年になると、『搦手から』に現代とほぼ同じ「お尻の穴の小さな」という用例が確認できます。

ここまでは資料で確かめられます。

一方、「便を少ししか出さないからケチを意味するようになった」「排泄量と金銭の出し惜しみを重ねて生まれた」といった説明は、今回確認した古い用例そのものから証明できるものではありません。

したがって、現時点では「狭い・広いという身体的な空間のイメージを、度量の狭さ・広さに重ねた表現」と見るのが、残っている用例との整合性が高い説明です。

ただし、それも「語源が完全に証明された」という意味ではありません。

言葉が文字資料に現れる以前から口頭で使われていた可能性がある以上、本当の誕生場面まで突き止めることは困難です。

語源を調べるときに大切なのは、「わからない部分を面白い物語で埋めないこと」です。

この表現については、「江戸時代にはすでに存在し、当時から度量やけち、小心を表していた」というところだけでも十分に興味深い事実です。

「ケツの穴が小さい」をもっと深く知るための豆知識

「ケツの穴が広い・太い」という反対表現も実在する

現代では「ケツの穴が小さい」は比較的知られていますが、反対の表現を耳にする機会はほとんどありません。

ところが、歴史的には「穴の穴が広い」という言い方が存在します。

さらに「広い」だけでなく、「太い」という形も同じ系統の表現として記録されています。

意味は、度量が広い、大胆であるというものです。

現代語なら「肝が据わっている」「器が大きい」に近いでしょう。

ただし、先ほど触れたように「ずうずうしい」という意味にもなります。

つまり、「穴の広さ」は包容力だけでなく、遠慮のなさや大胆さまで表していたことになります。

この反対語の存在は、「穴が小さい」という現在の表現を理解するうえでとても重要です。

現代人は「小さい」という言葉だけを知っているため、そこに特殊な生理的意味を探したくなります。

しかし、江戸時代には「狭い人」と「広い人」を対にして人物の性格を表せたわけです。

そう考えると、むしろ「心が狭い・広い」の下世話なバージョンと考えたほうが理解しやすいかもしれません。

表現そのものは下品ですが、比喩の仕組みは意外なほど普通です。

「心が広い」と言えば上品に聞こえ、「尻の穴が広い」と言えば一気に江戸の戯作らしい笑いを帯びる。

言っていることの構造は似ているのに、選ぶ身体部位によって印象が大きく変わります。

この言葉が長く残った理由の一つには、意味が一瞬で伝わるだけでなく、少々乱暴で印象に残る表現だったことも関係しているのかもしれません。

「狭い」から「小さい」へ言い方はどう変化した?

現在は「ケツの穴が小さい」という形が一般的ですが、古い用例では「狭い」が確認できます。

1780年の『放屁論後編』では「穴のせまい」です。

一方、1915年の『搦手から』では「お尻の穴の小さな」という形が確認できます。

ここから少なくとも、近代までに「小さい」という表現も定着していたことがわかります。

「狭い」と「小さい」は完全に同じ意味ではありません。

「狭い」は空間の幅や余裕が少ないことを表し、「小さい」は対象全体のサイズが小さいことを表します。

しかし、「穴」という言葉と組み合わせると、両者はかなり近い感覚になります。

「狭い穴」と「小さい穴」を想像すると、どちらも通れる範囲や受け入れられる量が少ないからです。

そのため、日常会話の中で「狭い」と「小さい」が入れ替わっていったとしても不思議ではありません。

ただし、「いつ、どの地域で、なぜ小さいが優勢になったのか」まで示す資料は、今回確認した範囲では得られませんでした。

したがって、「狭いが小さいへ変化した理由はこれだ」と断言することはできません。

わかっているのは、18世紀後半には「狭い」が使われ、20世紀初頭には「小さい」も確認できるということです。

言葉の変化は、誰かがルールを決めて一斉に起こるわけではありません。

似た表現が長く併存し、使いやすい形が徐々に広がることがあります。

この言葉も、「狭い」から現在の「小さい」へ、長い時間をかけて表現の中心が移っていった可能性があります。

「ケチ」と「ケツの穴が小さい」に直接の語源関係はある?

  • 「けち」という語そのものは1603年から1604年成立の『日葡辞書』にすでに確認できます。
  • 当時の「けち」は、現在の金品を惜しむ意味ではなく、不吉・縁起が悪いといった意味でした。
  • 音が似ていることだけを理由に、両者を同じ語源と考えることはできません。

音が少し似ているため、「ケチはケツの穴が小さいことの略なのでは」と考えたくなる人もいるかもしれません。

しかし、言葉の歴史を見ると、この説明は成り立ちにくいことがわかります。

「けち」という語は、1603年から1604年に成立した『日葡辞書』にすでに用例が確認されています。

この時代の「けち」は、現在の「金品を惜しむ人」という意味ではなく、不吉なことや縁起の悪さを表す語として記録されています。

一方、「金銭や品物を惜しがって出さない」という現在につながる「けち」の意味については、19世紀初頭の『浮世風呂』の用例が採録されています。

これに対し、「穴のせまい」は1780年の資料です。

つまり、「けち」という語そのものは、「穴が小さい」という表現よりずっと前から存在しています。

そのため、「ケチ」という言葉が「ケツの穴が小さい」を短くしたものとして誕生したと考えるのは難しいでしょう。

ただし、意味の上では両者が接近しています。

1780年の「穴のせまい」には、すでに「けち」という意味が含まれています。

そのため、語源が同じではなくても、日常語の中で「金品を惜しむ」「みみっちい」「度量が狭い」といった意味が重なっていったと考えることはできます。

音が似ていることと、語源が同じことは別です。

語源を調べるときには、この二つを分けて考える必要があります。

現代で使うと失礼?類語や自然な言い換えも知っておこう

  • 「ケツ」はかなりくだけた俗語で、相手に直接使うと強い悪口として受け取られる可能性があります。
  • 度量の狭さなら「器が小さい」「心が狭い」、金銭面なら「金銭に細かい」など、場面に合った言い換えが無難です。
  • 職場や公的な場では、相手への直接的な表現として使わないほうがよいでしょう。

現在でも意味は十分通じますが、日常生活で気軽に使える表現とは言いにくいでしょう。

「ケツ」という言葉自体がかなり俗語的であり、相手の人格を否定する意味も含むためです。

友人同士で冗談として使われることはあっても、職場や公的な場で相手に直接言えば、かなり攻撃的に受け取られる可能性があります。

意味に応じて言い換えるなら、「器が小さい」「度量が狭い」「心が狭い」「細かいことにこだわる」などが使えます。

金銭面について言いたいのであれば、「けち」「出し惜しみする」「金銭に細かい」などのほうが意味を限定できます。

気の小ささを表すなら、「小心だ」「気が小さい」「思い切りが悪い」などが近くなります。

つまり、この表現には複数の意味が含まれているため、いつでも一つの言葉に置き換えられるわけではありません。

「あの程度のミスをいつまでも責めるなんて、心が狭い」という場面なら、「器が小さい」が自然でしょう。

「数十円の違いまで延々と請求する」という場面なら、「金銭に細かい」「けち」が近くなります。

江戸時代の用例に「けち」「度量が狭い」「小心」という複数の意味が含まれていたことを考えると、この使い分けが必要になる理由もよくわかります。

言葉としては面白く、歴史もあります。

しかし、歴史のある慣用句だからといって、現代で誰に使っても問題ないわけではありません。

意味を知ることと、実際に相手へ投げつけることは分けて考えたほうがよい表現です。

まとめ

この記事の結論
  • この表現は少なくとも江戸時代までさかのぼって確認できます。
  • 1780年には「穴のせまい」、1787年には反対の「尻の穴の広」が使われています。
  • 1915年には現在に近い「お尻の穴の小さな」という用例が確認できます。
  • 語源そのものは一つに断定できませんが、「狭い・広い」と人間の度量を重ねた表現とみると史料との整合性があります。

「ケツの穴が小さい」は、単なる現代の下品な悪口ではありません。

少なくとも江戸時代までさかのぼって、現在につながる用例を確認できます。

1780年序の『風来六部集』所収『放屁論後編』には「穴のせまい」という表現があり、けち、度量が狭い、小心などの意味で使われていました。

さらに1787年の山東京伝『通言総籬』には、反対となる「尻の穴の広」という表現が確認でき、度量が広い、大胆といった意味を持っていました。

1915年の長谷川如是閑『搦手から』には、現代とほぼ同じ「お尻の穴の小さな」という用例が残っています。

この歴史を踏まえると、「穴が小さいため排泄物を少ししか出さず、それが金品を出し惜しみする人の意味になった」という説明だけを確定した語源として扱うのは難しいでしょう。

むしろ、「狭い」と「広い」が対になって度量の大小を表していたことから、空間の広さを人間の器や包容力に重ねた表現だった可能性が考えやすくなります。

ただし、言葉が最初に生まれた瞬間を記録した史料があるわけではないため、最終的な語源を一つに決めつけることはできません。

わからない部分を無理に埋めなくても、「240年以上前の江戸時代に、すでに今とほぼ同じ感覚で使われていた」という事実だけで十分に面白い言葉です。

普段何気なく聞く乱暴な言い回しにも、調べてみると意外なほど長い歴史が隠れています。

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