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「ざっくばらん」の語源は?江戸時代から使われる言葉の由来と本当の意味を解説

「ざっくばらん」の語源は?江戸時代から使われる言葉の由来と本当の意味を解説

「ざっくばらんに話しましょう」と普段何気なく使いますが、「なぜ“ざっくばらん”と言うの?」と聞かれると、意外と答えに困るものです。

「ざっくり」と関係があるのか、「四角張らん」が変化したのか、それとも外国語や方言なのか、音だけを聞いても由来が想像しにくい言葉でしょう。

実は「ざっくばらん」は、少なくとも1767年の江戸時代の文献にすでに登場しています。

さらに1780年には、現在ではほとんど聞かない「ざっくばらり」という形も記録されています。

ただし、古くから使われていることは確認できても、語源そのものは完全に解明されているわけではありません。

この記事では、「ざっくばらん」の本当の意味から、有力とされる語源説、江戸時代の用例、「四角張らん説」の気になるところまで、確認できる事実と推測を分けながらわかりやすく紹介します。

言葉の由来だけでなく、「ざっくばらんは大雑把という意味なのか」「漢字はあるのか」「フランクとは何が違うのか」といった疑問もまとめて解決していきます。

目次

「ざっくばらん」の意味とは?語源を知る前にサクッと確認

「ざっくばらん」は「遠慮がなく率直で、気取らない様子」

「ざっくばらん」の中心的な意味は、遠慮せず率直で、心の内を隠さないことです。

現在の国語辞典でも、「心中をさらけ出して隠し事をしない」「遠慮がない」「つくろわない」といった意味が示されています。

そのため、「ざっくばらんに話す」と言われたら、単に楽しく雑談するという意味ではありません。

立場や形式を必要以上に気にせず、本当の考えや気持ちを率直に話す、というニュアンスが含まれています。

たとえば、上司が部下に「今日はざっくばらんに意見を聞かせてほしい」と言ったとします。

これは「言葉遣いを乱していい」という意味ではなく、「遠慮しすぎず、本当に思っていることを聞かせてほしい」という意味です。

「ざっくばらんな人」という使い方なら、気取ったところがなく、相手に対して自然体で接する人を表します。

ここで大切なのは、「率直さ」と「飾らなさ」の両方が含まれているところです。

「率直」という言葉だけなら、本当の考えを隠さず伝えることに重点があります。

「ざっくばらん」には、そこへさらに「堅苦しくない」「気取っていない」という柔らかな雰囲気が加わります。

だからこそ、「ざっくばらんな会話」「ざっくばらんな人柄」という言い方が自然に感じられるのでしょう。

「ざっくばらん」の中心的な意味は「大雑把」ではない

「ざっくばらん」を「ざっくり」と似た言葉だと考え、「大雑把」「適当」という意味だと思うことがあります。

しかし、現在一般的に使われる「ざっくばらん」の中心的な意味は、大雑把であることではなく、遠慮せず率直であることです。

「ざっくり説明する」と「ざっくばらんに説明する」では、意味が変わります。

「ざっくり説明する」は、細部を省き、大まかな内容を説明するという意味で使われます。

「ざっくばらんに説明する」であれば、形式張らず、本音を交えながら率直に説明するという意味になります。

ただし、「ざっくばらんには大雑把という意味が絶対にない」とまで言うのも正確ではありません。

過去の文章には、「無造作」「簡単で飾り気がない」といった意味に近い使われ方も確認できます。

たとえば、小島烏水の『不尽の高根』では、崩れた石が無造作に放り出されている様子に「ざっくばらん」が使われています。

北大路魯山人も1952年の『握り寿司の名人』で、江戸前寿司について、簡単で飾らない調理方法という文脈で「ざっくばらん」を使用しています。

このような用例を見ると、「取りつくろわない」という意味が、人の態度だけでなく、物事のやり方や状態にも広がって使われたことがわかります。

とはいえ、現代の日常会話で「ざっくばらんに話す」と言えば、基本的には「大雑把に話す」ではなく、「遠慮せず率直に話す」と理解するのが自然です。

「ざっくばらんに話す」はどんな場面で使う?

「ざっくばらん」がもっとも使いやすいのは、お互いに構えすぎず本音を話したい場面です。

たとえば、会議で堅い報告をするだけでは本当の問題点が見えてこないときに、「ここからはざっくばらんに意見を出してください」と促すことがあります。

この場合、発言の形式よりも、参加者が感じていることを素直に共有することが重視されています。

友人との会話なら、「今日はざっくばらんに話そう」と言えば、普段は言いにくい悩みや考えまで含めて気兼ねなく話そう、という雰囲気になります。

種田山頭火の文章にも、事情を包み隠さず説明する文脈で「ざっくばらんに」という使用例があります。

太宰治の『黄村先生言行録』にも、相手に対して直接的に条件を切り出す場面で「ざっくばらんに」が登場します。

こうした実例からも、「ざっくばらん」は長い間、本音を隠さず話す場面と相性のよい言葉だったことがわかります。

ただし、「ざっくばらんに話す」と「好き勝手に言う」は同じではありません。

ざっくばらんであることは、相手への礼儀を捨てることではないからです。

本音は伝えるけれど、相手への配慮は残すという距離感が、この言葉を上手に使うポイントです。

「ざっくばらん」の語源は「ざっく+ばらり」が有力?

「ざっくり」と「ばらり」が関係しているという語源説

「ざっくばらん」の語源としてよく知られているのが、「ざっくり」と「ばらり」のような擬態的な言葉が結びついたと考える説です。

「ざっくり」には現在、大まかにという意味がありますが、もともと物を大胆に切ったり割ったりする様子も表します。

この意味は決して新しいものではなく、『精選版 日本国語大辞典』が示す実例では、室町時代末から近世初期に成立した狂言資料にも、物を二つに割る場面で「ざっくり」が確認されています。

一方、「ばらり」は、物が散り落ちたり、糸や紐などが切れてほどけたりする様子を表す言葉です。

「ばらり」の散り落ちる意味は1474年の『報恩録』に、紐などが切れる意味は1508年の『六物図抄』に用例が確認されています。

つまり、「ざっくばらん」が文献に現れる1767年より前から、「ざっくり」と「ばらり」に相当する表現は存在していました。

そこから、「ざっくり割る」「ばらりとほどく」という動きが、心の内側を隠さず見せるという比喩につながったのではないか、と考えるわけです。

意味のつながりとしては非常にわかりやすい説です。

ただし、「昔の人が『ざっくり』と『ばらり』を組み合わせてこの言葉を作った」と直接証明する記録が残っているわけではありません。

そのため、これは確認された事実ではなく、言葉の形と意味から考えられている語源説として理解する必要があります。

「心をざっくり割って、ばらりと明かす」は覚え方として考えよう

「ざっくばらん」の語源を説明するとき、「心の殻をざっくり割って、ばらりと明かす」という表現が使われることがあります。

確かに、このイメージなら現在の意味を非常に覚えやすくなります。

閉じていた心を思い切って開き、中にある考えを隠さず見せる姿を想像すれば、「遠慮せず率直」という意味につながるからです。

ただし、この説明を昔から残る由来話そのものだと思わないほうがよいでしょう。

確認できるのは、「ざっくり」に切る・割る意味があることと、「ばらり」に散る・ほどける意味があることです。

そこから「心をざっくり割って、ばらりと明かす」という説明を作るのは、語源を理解しやすくするための解釈を含みます。

言葉の由来では、こうした「意味がきれいにつながる説明」と「史料で証明されている事実」が混ざりやすいため注意が必要です。

とはいえ、このイメージが現在の「ざっくばらん」という言葉の感覚によく合うことは確かです。

何かを包んだままにせず、思い切って開く。

その感覚が、「隠し事をしない」「取りつくろわない」という意味と重なります。

「腹を割って話す」という日本語を思い浮かべると、さらにイメージしやすいでしょう。

語源として断定するのではなく、言葉の意味を理解するための覚え方として利用するのがおすすめです。

髪の乱れや「取りつくろわない姿」と結びつける説もある

「ざっくばらん」には、髪をきちんと整えず、乱れたままにしている状態と関係するのではないかという説も伝わっています。

1899年から1900年に刊行された増補版『俚言集覧』は、江戸期の俗語などを収めた辞書として国立国会図書館にも所蔵され、デジタル化されています。

この資料の「ざっくばらり」に関する項目について、髪が乱れる様子を表す語との関係を推測しているとする語源資料があります。

この考え方では、髪形や身なりを細かく整えない姿から、「体裁を気にしない」「取りつくろわない」という意味へ広がったと考えます。

現在の「ざっくばらん」にも、「気取らない」「つくろわない」という意味があるため、意味のつながりは理解できます。

ただし、この説についても、それだけで語源が確定するわけではありません。

『俚言集覧』の記述自体も、語源を断定する形ではなく推測として扱われています。

つまり、「ざっく+ばらり説」と同じように、古い言葉の姿を考えるための材料のひとつです。

語源を調べると、魅力的な説明ほど「これこそ正解」と言いたくなります。

しかし、「ざっくばらん」の場合は、複数の説を残したまま考えるほうが、現在わかっている事実に忠実です。

実は「ざっくばらん」の語源は完全に確定していない

結局のところ、「ざっくばらん」の語源は完全には確定していません。

語源について考える際に重要なのは、「最古の用例」と「言葉が誕生した瞬間」は同じではないという点です。

1767年に文献上の用例があるからといって、1767年に突然この言葉が作られたわけではありません。

話し言葉では、それより前から使われていた可能性があります。

反対に、現在ある言葉の意味を組み合わせて「きっとこうやって生まれたはずだ」と説明しても、それだけで歴史的な事実にはなりません。

「ざっくり」と「ばらり」の組み合わせによる説明についても、国語学者の飯間浩明氏が語源を検討した際、擬態語による合成という説明を紹介しつつ、最終的には確定できない問題として扱っています。

そのため、読者としてもっとも正確な理解は、「語源には複数の説があり、一つに断定できない」と覚えておくことです。

そのうえで、「ざっくり」「ばらり」のような擬態的表現との関係を考える説が知られている、と付け加えるのがよいでしょう。

語源がわからないことは、調査不足を意味するとは限りません。

250年以上前の話し言葉がどのように誕生したのかを完全に証明すること自体が難しいのです。

だからこそ、「わかっていること」と「推測されていること」を分けることが、この言葉を正しく知る近道になります。

「ざっくばらん」は江戸時代からある!古い用例をたどる

1767年にはすでに「ざっくばらん」が使われていた

「ざっくばらん」という響きだけを聞くと、昭和や平成に生まれた比較的新しい言葉のようにも感じます。

しかし、その歴史はかなり古く、少なくとも江戸時代中期までさかのぼれます。

現在確認できる早い用例のひとつが、明和4年にあたる1767年の『川柳評万句合』です。

『精選版 日本国語大辞典』も、この1767年の例を「ざっくばらん」の初出実例として掲げています。

1767年は、明治元年の1868年より約100年も前です。

つまり、私たちが今も「ざっくばらんに話そう」と使っている言葉は、江戸の町で川柳が盛んだった時代にもすでに使われていたことになります。

ここで興味深いのは、現在とほぼ同じ「ざっくばらん」という語形が残っている点です。

何百年も前の日本語には、現代では意味がわかりにくい言葉も数多くあります。

その中で「ざっくばらん」は、音の形も意味の中心も大きく変えずに生き残ってきました。

もちろん、1767年が言葉の誕生年という意味ではありません。

文献に書き残される前から、人々の会話では使われていた可能性があります。

それでも、少なくとも250年以上前に使用実績があることは、語源を考えるうえで非常に重要な手がかりです。

「最近のくだけた言い方」に聞こえるのに、実は江戸時代から続いているという意外な歴史こそ、この言葉の面白いところです。

1780年には「ざっくばらり」という形も登場する

1767年の「ざっくばらん」から13年後の1780年には、「ざっくばらり」というよく似た形が確認できます。

記録されているのは、江戸時代の川柳集として知られる『柳多留』十五編です。

『精選版 日本国語大辞典』では、この1780年の例を「ざっくばらり」の初出実例として掲載しています。

意味は、現在の「ざっくばらん」とほぼ同じで、率直で飾らない様子や、そのような人物を指します。

さらに「ざっくばらり」は江戸時代だけで消えたわけではありません。

1882年の歌舞伎作品『三題噺魚屋茶碗』にも「ざっくばらり」の用例が残されています。

ここからわかるのは、昔の人が「ざっくばらん」という一つの形だけを使っていたわけではないということです。

少なくとも「ざっくばらん」と「ざっくばらり」という近い形が存在し、長い期間にわたって使われていました。

ただし、「ざっくばらりが先に生まれて、短くなってざっくばらんになった」と説明することには問題があります。

現在確認できる文献では、「ざっくばらん」が1767年、「ざっくばらり」が1780年だからです。

実際の話し言葉でどちらが先だったのかまではわかりません。

したがって、「ざっくばらりから必ずざっくばらんへ変化した」と断定せず、江戸時代には複数の近い形が使われていたと理解するほうが正確です。

「ざっくばれん」など、昔は語形に揺れがあった

現在は「ざっくばらん」がほぼ定着していますが、歴史をたどると別の形も見つかります。

『精選版 日本国語大辞典』では、「ざっくばらん」と同じ意味を持つ形として「ざっくばらり」と「ざっくばれん」が示されています。

こうした違いは、言葉が人から人へ口頭で伝わる過程を考えると、それほど不思議ではありません。

現在でも、話し言葉の中では発音が縮まったり、濁ったり、語尾が変わったりすることがあります。

まして、全国共通の音や表記が現代ほど強く意識されていなかった時代なら、似た形が並んで使われることは十分考えられます。

ただし、語形の似ている言葉を見つけたからといって、すぐに「こちらが元の言葉だ」と決めることはできません。

どの言葉がいつ生まれ、どの形からどの形へ変化したのかを知るには、年代の異なる文献を積み重ねて調べる必要があります。

「ざっくばらん」の面白いところは、完成された一語が突然現れたのではなく、似た響きの形が複数確認できるところです。

その中で「ざっくばらん」という形が生き残り、現在の一般的な表現として定着しました。

何気なく口にしている六文字の言葉にも、何世代もの話し言葉の変化が隠れていると考えると、少し違った聞こえ方をするのではないでしょうか。

「四角張らん」が語源という説は本当なのか?

「四角張らぬ」が変化したという説とは

「ざっくばらん」の由来として、「四角張らぬ」や「四角張らん」が変化したのではないか、という説を見かけることがあります。

一見すると、かなり説得力がありそうです。

「四角張る」には、物の形が角張っているという意味のほか、改まって堅苦しい態度を取るという意味があります。

その反対である「四角張らない」なら、「堅苦しくしない」という意味になります。

「ざっくばらん」も、気取らず堅苦しくない態度を表すため、意味だけを見ると非常によく似ています。

そこから、「しかくばらぬ」の音が縮まり、「さくばらん」のような形を経て「ざっくばらん」になったのではないかと考えるわけです。

語源の説明として覚えやすいことも、この説が広まりやすい理由のひとつでしょう。

しかし、意味が似ていることは、語源が同じである証拠にはなりません。

言葉には、まったく別の成り立ちなのに偶然意味や音が似ることがあります。

そのため、「四角張らないという意味だから、四角張らんが語源に違いない」と結論を出すことはできません。

語源を判断するには、意味だけでなく、実際の用例が登場した年代や途中の語形も確認する必要があります。

古い用例の年代を見ると「四角張らん説」は断定できない

「四角張らん説」を考えるうえで興味深いのが、文献に残る年代です。

「ざっくばらん」は1767年の『川柳評万句合』に用例が確認されています。

一方、「四角張る」が「堅苦しい態度を取る」という意味で使われた例として、『精選版 日本国語大辞典』が掲げる早い実例は1817年の『柳多留』六十九編です。

確認できる用例だけを比べると、「ざっくばらん」のほうが50年早いことになります。

さらに1780年には、「四角張らん」からは少し説明しにくい「ざっくばらり」という形も文献に残されています。

こうした点を見ると、「四角張らんが変化してざっくばらんになった」と簡単に決めることはできません。

ただし、これだけで「四角張らん説は絶対に間違い」とするのも早計です。

1817年の実例は、「四角張る」という言葉が1817年に誕生したことを意味しないからです。

実際の会話では、それ以前から使われていた可能性があります。

古い言葉を調べるときは、「現時点で確認できる最古の文献」と「本当の誕生時期」を区別する必要があります。

したがって、四角張らん説については、「意味のつながりはわかりやすいが、現在確認できる史料から語源と断定することは難しい」とするのが無理のない結論です。

結局「ざっくばらん」の語源はどう覚えればいい?

いくつも説が出てくると、結局何を覚えればよいのかわからなくなってしまいます。

そこで、確実な事実と語源説を分けて整理してみましょう。

確実に確認できるのは、「ざっくばらん」が1767年の文献にあり、「ざっくばらり」が1780年の文献にあることです。

また、「ざっくり」には物を大胆に切ったり割ったりする古い用法があり、「ばらり」にも物が散ったり紐がほどけたりする古い用法があります。

そのため、このような擬態的な表現の組み合わせから「ざっくばらん」が生まれたと考える説には、意味の面で理解しやすいつながりがあります。

しかし、それを直接証明する資料までは確認されていません。

四角張らぬ説や、髪の乱れから考える説についても同様です。

そのため、人に説明するときは、「語源は完全にはわかっていないが、『ざっくり』と『ばらり』のような擬態的な言葉との関係を考える説が知られている」と答えるのが安全です。

続けて、「少なくとも江戸時代中期にはすでに『ざっくばらん』が使われていた」と付け加えれば、かなり正確な説明になります。

語源には、ひとつのきれいな答えがあるとは限りません。

わからない部分を無理に埋めず、確認できるところまでを知ることも、言葉の歴史を楽しむ大切な姿勢です。

「ざっくばらん」にまつわる素朴な疑問をまとめて解決

「ざっくばらん」に漢字はある?外来語や方言なの?

「ざっくばらん」は音だけを聞くと、漢字を当てた熟語や、外国語を日本語風にした表現のようにも感じられます。

しかし、一般的には「ざっくばらん」とひらがなで表記します。

現在の主要な国語辞典でも、ひらがなの「ざっくばらん」として掲載されています。

インターネット上では漢字を当てた表記を見かけることがありますが、それを語源を示す正式な漢字表記と考える根拠はありません。

音に後から漢字を当てることと、その漢字から言葉が生まれたことはまったく別だからです。

また、「フランク」と意味が近いため、外国語が変化した言葉なのではないかと思う人もいるかもしれません。

「フランク」は英語の frank に由来する外来語ですが、「ざっくばらん」は1767年の江戸時代の資料にすでに現れています。

そのため、「フランク」が日本語化して「ざっくばらん」になったと考えることはできません。

特定の地域だけで使われる方言として生まれたと断定できる資料も、今回確認した範囲では見当たりません。

一般の国語辞典に収録され、江戸期以降の複数の文献に使用例が残る日本語として考えるのが自然です。

響きは少し変わっていますが、その歴史はれっきとした日本語の中にあります。

「フランク」「率直」「腹を割って話す」と何が違う?

「ざっくばらん」とよく似た言葉に、「フランク」「率直」「腹を割って話す」があります。

どれも本音を隠さない雰囲気を持っていますが、少しずつ重点が違います。

「率直」は、ありのままで隠すところがないことを意味します。

「率直な意見を聞かせてください」と言えば、飾った答えではなく、本当に思っている意見を求める表現になります。

「フランク」は、英語の frank に由来し、気取ったところがなく率直な様子を表します。

「フランクな上司」と言えば、肩書きを強く意識させず、親しみやすく接してくれる人物を想像しやすいでしょう。

「腹を割って話す」は、隠している本音や事情まで深く打ち明けるときによく使います。

それに対して「ざっくばらん」は、「率直さ」と「堅苦しくなさ」の両方を感じさせやすい言葉です。

使い分けを簡単にすると、次のようになります。

表現中心となるニュアンス向いている場面
ざっくばらん遠慮せず、気取らず本音を表す会話、人柄、意見交換
率直隠さずありのまま伝える日常会話、ビジネス、文章
フランク気取らず親しみやすい会話、人間関係、雰囲気
腹を割って話す深い本音や事情まで打ち明ける相談、交渉、重要な話し合い

「ざっくばらん」には、単に正直というだけでなく、「肩の力を抜いて話せる」という温度があります。

そこが、似た言葉との大きな違いです。

「ざっくばらんな人」は褒め言葉?失礼になることもある?

「ざっくばらんな人」という表現は、基本的には好意的に使うことができます。

気取らない、裏表が少ない、話しやすい、本音で接してくれるといった人物像を表せるからです。

「ざっくばらん」という言葉自体にも、心の内を隠さず、つくろわないという意味があります。

そのため、「社長はざっくばらんな人なので、若手社員ともよく話している」という文章なら、親しみやすい人柄を評価していると受け取れます。

ただし、「遠慮がない」という特徴は、場面によってマイナスにもなります。

相手の気持ちを考えずに何でも言う人を「ざっくばらんすぎる」と表現すれば、無遠慮さへの批判になります。

ここで覚えておきたいのは、「ざっくばらん」と「失礼」は同義ではないことです。

「ざっくばらんに話してください」と言われても、相手を傷つける言葉まで自由に言ってよいわけではありません。

敬語を完全にやめる必要もありません。

ビジネスの場でも、「ざっくばらんに意見交換できればと思います」のように使えば、形式だけの会議ではなく、率直な意見を出してほしいという意図を伝えられます。

ただ、取引先への正式な文書や非常に改まった場面では、「率直にご意見をお聞かせください」などの表現のほうが無難な場合もあります。

相手への敬意を保ちながら、本音を隠しすぎない。

そのバランスが、「ざっくばらん」という言葉を気持ちよく使うコツです。

「ざっくばらん」の語源・由来まとめ

「ざっくばらん」は、遠慮がなく率直で、気取らず心の内を表す様子を意味する言葉です。

現在では「ざっくばらんに話す」「ざっくばらんな人柄」のような使い方が一般的です。

語源については、一つの説に完全に決着しているわけではありません。

よく知られているのは、物を大胆に切ったり割ったりする「ざっくり」と、物が散ったりほどけたりする「ばらり」のような擬態的な言葉との関係を考える説です。

「ざっくり」の切る・割る用法も、「ばらり」の散る・ほどける用法も、「ざっくばらん」が文献に現れる以前から確認できます。

そこから「心をざっくり割って、ばらりと明かす」と説明されることがありますが、これは意味を理解しやすくするイメージを含む説明であり、言葉の誕生過程が史料で完全に証明されているわけではありません。

ほかにも「四角張らぬ」から変化したという説や、髪の乱れや取りつくろわない姿との関係を考える説があります。

一方、歴史的に確認できる重要な事実ははっきりしています。

1767年の『川柳評万句合』には「ざっくばらん」、1780年の『柳多留』には「ざっくばらり」が登場しています。

つまり、現在でも日常的に使うこの言葉は、少なくとも250年以上前の江戸時代から続いているのです。

語源について短く答えるなら、「完全には確定していないが、『ざっくり』と『ばらり』のような擬態的表現との関係を考える説が知られている」とするのが正確でしょう。

そして語源以上にはっきりしているのは、「ざっくばらん」が長い年月を経ても、「取りつくろわず、本当の気持ちを見せる」という感覚を伝え続けていることです。

言葉の響きはユーモラスなのに、その奥には江戸時代から続く長い歴史があります。

次に誰かから「ざっくばらんに話しましょう」と言われたときには、この不思議な言葉が少し違って聞こえてくるかもしれません。

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