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「挨拶」の語源は禅宗?「押す・迫る」から今の意味になった意外な由来をわかりやすく解説

「挨拶」の語源は禅宗?「押す・迫る」から今の意味になった意外な由来をわかりやすく解説

朝になれば「おはようございます」、人と会えば「こんにちは」と声をかける。

挨拶は、私たちの生活の中でもっとも身近なコミュニケーションの一つです。

ところが「挨拶」という漢字を一文字ずつ調べてみると、「押す」「迫る」という、現在の穏やかなイメージとはまったく違う意味が現れます。

さらに歴史をたどっていくと、中国で人を押しのけて進む表現として使われた言葉が、禅の世界で相手の悟りを確かめる真剣な問答となり、やがて日本で応答や返礼、人との付き合いを表す言葉へ変化してきたことが分かります。

では、なぜ「押す」「迫る」という言葉が、現在の「おはようございます」や「こんにちは」を表すようになったのでしょうか。

この記事では、「挨」と「拶」の漢字本来の意味から、禅語の「一挨一拶」、1430年の『申楽談儀』に見られる用例、現在の意味へ変化するまでの流れを順番に解説します。

「挨拶の語源は禅宗」という有名な説明だけで終わらせず、その一つ前の中国語での意味や、『碧巌録』との関係、誤解されやすい「心を開く」という説まで詳しく見ていきましょう。

目次

「挨拶」の語源とは?まず結論をわかりやすく解説

「挨拶」はもともと「おはよう」という意味ではなかった

私たちは朝になれば「おはようございます」と言い、人と会えば「こんにちは」と声をかけます。

そのため、「挨拶」という言葉には、礼儀正しく声をかけるという意味が最初からあったように思えるかもしれません。

しかし、挨拶の語源をさかのぼっていくと、もともとの意味は現在とはかなり違います。

「挨」には「押す」「押しのける」「迫る」「近づく」といった意味があり、「拶」には「迫る」「押し寄せる」という意味があります。

つまり、現在のような「こんにちは」という社交的な意味から始まった言葉ではありません。

さらに歴史をたどると、中国では宋代ごろから、群衆の中でほかの人を押しのけながら前へ進むような意味の口語表現として使われていました。

その言葉が禅の世界に入ると、物理的に人を押すのではなく、問答によって相手へ迫り、その悟りや力量を確かめる意味で用いられるようになります。

そこから日本で「応答」「返礼」といった意味へ広がり、やがて人と会ったり別れたりするときに交わす言葉や動作を表す現在の「挨拶」へつながっていきました。

挨拶の語源がおもしろいのは、「押す」という一見まったく関係なさそうな意味と、「おはようございます」という現在の意味の間に、禅の問答という重要な段階があることです。

語源をたどると中国の「押す・迫る」という言葉に行き着く

「挨拶は禅宗から生まれた言葉」と説明されることがあります。

大きな流れとしては間違いではありませんが、より正確に理解するなら、その一つ前までさかのぼる必要があります。

日蓮宗の仏教語解説では、「挨」も「拶」も押す、迫るという意味があり、宋代ごろから見られる口語表現では、群衆がほかの人を押しのけて進む意味だったことが示されています。

つまり、「挨拶」という言葉の土台には、人に優しく声をかけるイメージではなく、前へ押し進んでいく力強いイメージがあります。

その後、禅では相手に問いを投げかけ、相手の境地へ迫っていく行為を表すようになりました。

物理的に相手へ迫る意味から、言葉や行動によって相手の内面へ迫る意味へ変化したと考えると、二つの意味がつながります。

そして、問いかける側だけでは禅の問答は成立しません。

相手が何らかの形で応じることによって、初めてやり取りになります。

この「働きかけと応答」が、日本で「返事」「返礼」「人との応対」といった意味へ発展していく重要な橋渡しになりました。

「押す」から突然「こんにちは」になったわけではなく、意味が少しずつ広がってきたのです。

禅宗の「一挨一拶」が現在の意味につながった

挨拶の語源を理解するときに欠かせないのが、「一挨一拶」という禅語です。

一般には「いちあいいっさつ」と読みます。

禅では、師が弟子へ言葉や動作で働きかけ、その反応を通じて悟りの深さを確かめたり、修行僧同士が互いの境地を探ったりすることがありました。

現在の学校の試験のように、決められた答えを暗記しているか確認するものではありません。

問いをどう受け止め、どう返し、どのように振る舞うかまで含めて相手を見る真剣なやり取りでした。

臨済宗大本山円覚寺が紹介する『碧巌録』第二十三則の垂示にも、「一挨一拶」という表現が登場し、相手の「深浅」を見ようとする文脈で使われています。

この使われ方を見ると、「挨拶」が単なる礼儀ではなく、相手へ働きかけて、その反応を受け取る双方向の行為だったことが分かります。

現在の「おはようございます」は禅の問答とは目的も緊張感もまったく違いますが、自分から相手へ言葉を送り、相手がそれに応じるという構造には共通するものがあります。

中国から禅、日本へと意味が変化した流れ

挨拶の意味の変化は、大きく分けると三つの段階で考えると分かりやすくなります。

最初は、中国で使われていた「押す」「迫る」「人を押しのけて進む」という意味です。

次に禅の世界へ入り、問答をしかけながら相手の悟りや力量を確かめる意味へ変化しました。

そして日本では、問いと答えという限定された場面から離れ、「応答」「返事」「返礼」「人への応対」といった幅広い人間関係の言葉として使われるようになります。

さらに時代が進むと、人と会ったときや別れるときに交わす言葉や動作も「挨拶」と呼ばれるようになりました。

現在でも「朝の挨拶」だけでなく、「式典で挨拶する」「引っ越しの挨拶に行く」「挨拶状を送る」など、幅広い意味で使います。

これは、挨拶という言葉が一つの意味を捨てて別の意味へ変わったというより、人と人との「働きかけと応答」を中心にしながら、使える範囲を少しずつ広げてきた結果だと考えると理解しやすいでしょう。

「挨拶という言葉」と「挨拶する行為」の起源は分けて考えよう

ここで混同しないようにしたいのが、「挨拶という言葉の語源」と「人間が挨拶をするようになった起源」です。

挨拶という語については、中国語での用法から禅での問答を経て、日本で現在のような意味へ広がってきた流れをたどれます。

一方、人と出会ったときに声をかけたり、頭を下げたり、身ぶりで敬意や友好を示したりする行為そのものが禅から始まったという意味ではありません。

世界を見れば、握手、抱擁、お辞儀、合掌など、文化によってさまざまな挨拶の方法があります。

したがって、「挨拶という日本語が禅と深く関係している」という事実から、「人類の挨拶という習慣が禅宗から始まった」と結論づけることはできません。

言葉の歴史と、人間の行動や習慣の歴史は別々に考える必要があります。

ここを区別しておくと、「挨拶の起源は禅宗」という説明を必要以上に広く受け取らずに済みます。

「挨」と「拶」は何を意味する漢字なのか

「挨」は「押す・押し進む」を意味する

「挨」という漢字を単独で使う機会は、現代の日常生活ではほとんどありません。

そのため、「挨拶」という二文字を一つの記号のように覚えていて、それぞれの漢字の意味を考えたことがない人も多いでしょう。

漢字ペディアでは、「挨」には「おす」「ひらく」「おしのける」、さらに「せまる」「近づく」という意味が示されています。

つまり、「挨」は最初から礼儀や親しさを表すための字ではありません。

前にあるものを押したり、相手へ近づいたりする力のある動きを表します。

この意味を知ると、禅で相手の境地へ問いを通して迫る行為に「挨」という文字が使われたことも理解しやすくなります。

現在の「挨拶」だけを見れば、「押す」という意味とのつながりはほとんど感じられません。

ところが言葉の歴史を途中まで戻ると、漢字の意味と禅の用法が自然につながってきます。

「拶」は「迫る・押し寄せる」を意味する

「拶」も、「挨」と同じように日常で単独使用することがほとんどない漢字です。

「拶」には「せまる」「おしよせる」という意味があります。

つまり、「挨」と「拶」はどちらも、何かへ近づき、押し迫る方向の意味をもっているのです。

漢字ペディアでも、「挨拶」はもともと「おしすすむ」意味だったことが示されています。

現在の私たちは「挨拶」という言葉を聞くと、笑顔で頭を下げる様子を思い浮かべます。

しかし二文字の本来の意味を見ると、むしろ勢いよく前へ進んでいくような印象があります。

この意外なギャップが、挨拶の語源を知るうえで最大のおもしろさの一つです。

「挨拶」はもともと「押して進む」という意味だった

「挨」と「拶」を合わせると、「押して進む」「押し迫っていく」というイメージになります。

これは、現在のように人間関係を円滑にするための言葉とはかなり違います。

ただし、意味の変化にはつながりがあります。

禅では、相手に問いを投げかけ、返ってきた反応を見ながらさらに迫ることで、相手の悟りや力量を確かめました。

身体で押すのではなく、言葉や動作によって相手へ迫るのです。

そこで「押す」「迫る」という言葉が、禅の問答を表すのに使われるようになりました。

さらに問答には必ず受け答えが伴うため、「挨拶」は次第に応答や返事そのものを表すようになります。

ここまでたどると、「押して進む」と「こんにちは」が完全に無関係ではないことが分かります。

宋代には群衆が押しのけて進む表現として使われていた

「禅宗が挨拶の語源」と覚えている人にとって意外なのが、禅語として使われるより前の段階です。

中国では宋代ごろから、「挨拶」が群衆の中でほかの人を押しのけながら前へ進む意味の口語表現として確認されています。

つまり、最初から精神的な修行を表す高尚な言葉だったわけではありません。

かなり具体的な身体の動きを表す言葉だったのです。

そこから、相手へ問いをしかけ、その内面へ迫っていく禅の意味が生まれました。

言葉は、具体的な動作から抽象的な意味へ広がることがあります。

「挨拶」も、その変化を非常に分かりやすく見ることのできる例です。

「挨」と「拶」を挨拶以外でほとんど見ないのはなぜ?

「挨」も「拶」も常用漢字ですが、現代の日本語では「挨拶」以外で目にする機会がかなり限られています。

そのため、多くの人はそれぞれの漢字を独立した文字としてではなく、「挨拶」という一つの言葉として覚えています。

実際に漢字ペディアで「拶」を調べると、一般的な熟語として示される中心的な言葉も「挨拶」です。

見慣れているのに、一文字だけ取り出すと急に難しい漢字に感じるのはこのためです。

ところが一文字ずつ意味を確認すると、「押す」「迫る」という昔の姿が浮かび上がります。

日常的に使う言葉ほど、まとまりとして覚えているため、漢字本来の意味を意識しなくなることがあります。

「挨拶」は、その代表的な例といえるでしょう。

禅宗の「一挨一拶」とは?なぜ問答が「挨拶」になったのか

「一挨一拶」の読み方と意味

「一挨一拶」は「いちあいいっさつ」と読む禅語です。

禅の世界では、師が弟子へ問いをしかけたり、修行僧同士が言葉や動作を交わしたりすることで、相手の悟りの深さを確かめました。

ここでいう挨拶は、相手を気持ちよくするための社交辞令ではありません。

相手の理解が表面的なものなのか、それとも修行によって深く身についているのかを確かめる真剣なやり取りです。

「挨」と「拶」がもつ「押す」「迫る」という意味も、このような場面で生きてきます。

相手へ働きかけ、反応を引き出し、その奥へさらに迫っていくからです。

現代の「こんにちは」という一言と比べればかなり違いますが、人と人との間で何かを交わすという点では、現在の挨拶につながる要素をすでにもっていました。

禅僧は問答によって相手の悟りの深さを確かめていた

禅では、単に教えを言葉で覚えるだけでは十分ではないと考えられてきました。

そのため、問いに対してどのように反応するのか、どのように振る舞うのかを通じて、その人の境地を確かめるやり取りが重視されます。

『碧巌録』第二十三則の垂示には、「一言一句」「一機一境」「一出一入」「一挨一拶」と並べたうえで、相手の「深浅」を見ようとする表現があります。

つまり、言葉だけではなく、働きや行動、出入り、一つ一つの応答まで含めて相手を見ようとしていたわけです。

こうした文脈に置くと、「挨拶」は単なる会話とは違います。

相手の状態を探り、自分もまた相手から見られる、緊張感を伴うコミュニケーションでした。

だからこそ、「押す」「迫る」という力強い漢字が使われたのでしょう。

師匠と弟子だけでなく修行者同士でも行われていた

一挨一拶というと、師匠が弟子を試す場面だけを思い浮かべるかもしれません。

しかし、師から門下の僧へ働きかける場合だけでなく、修行僧同士が互いの悟りの深浅を確かめる場合にも行われました。

ここには、現代の挨拶につながる重要な特徴があります。

それは、挨拶が一方通行ではないということです。

相手へ何かを投げかけ、相手が応じ、その反応をこちらが受け取ります。

現代でも、自分が「おはようございます」と言って、相手から同じように返事が返ってくると、そこで初めてコミュニケーションが成立した感覚があります。

もちろん、禅の修行と日常の朝の挨拶を同じものとして扱うことはできません。

それでも、相手へ働きかけ、相手も応じるという双方向性は、長い意味変化の中でも残り続けた特徴の一つと考えられます。

「押す・迫る」が言葉による問答を表すようになった理由

物理的に人を押す言葉が、なぜ精神的な問答を表すようになったのでしょうか。

理解する鍵は、「相手へ迫る」という共通したイメージです。

群衆を押しのけて進む場合は、身体を使って前へ進みます。

一方、禅の問答では、問いや行動を通して相手の悟りや理解の深さへ迫ります。

手段は違いますが、どちらにも「前へ進み、対象へ迫っていく」という動きがあります。

日蓮宗の仏教語解説でも、中国語で人を押しのけて進む意味から、禅で相手の悟りの浅深を測るために問答をしかける意味へ転じた流れが示されています。

語源を知るときに、この途中の段階を飛ばしてはいけません。

ここを飛ばすと、「押すという言葉が、なぜ挨拶になったのか」という一番大切な疑問が残ってしまうからです。

『碧巌録』が「挨拶」という言葉の始まりなの?

『碧巌録』に「一挨一拶」が登場することから、「挨拶という言葉は『碧巌録』で生まれた」と受け取る人もいるかもしれません。

しかし、『碧巌録』は「一挨一拶」のよく知られた用例の一つであり、「挨拶」という語そのものがそこで初めて作られたと断定することはできません。

禅語としての「挨拶」は宋代の禅籍に複数の用例が確認されており、『碧巌録』だけを言葉の出発点とするのは正確ではありません。

円覚寺が紹介しているのは、『碧巌録』第二十三則の垂示に「一挨一拶」が実際に現れるという事実です。

そのため、「『碧巌録』に有名な用例がある」と理解するのが適切です。

語源を説明するときは、有名な文献に載っていることと、その文献が言葉の初出であることを分けて考える必要があります。

「挨拶」はいつから現在の意味になった?日本での意味の変化

中世の日本では「応答・問答」の意味で使われていた

中国の禅で使われた「挨拶」は、日本に入ったあとも、まず問答や応答に関係する言葉として使われました。

そこから次第に禅の専門的な場面を離れ、日常的なやり取りを表す言葉へ広がっていきます。

この変化は、「ある年から突然意味が変わった」というものではありません。

古い意味と新しい意味が重なりながら、少しずつ使われる範囲が広がっていったと考える必要があります。

その過程で、「相手へ問いをしかける」という意味から、「相手に応じる」「返事をする」「人に対して適切に振る舞う」といった意味が生まれました。

現在の挨拶につながる大きな転換点は、禅僧同士の専門的な問答を表す言葉が、一般の人間関係でも使える「応対」の言葉になったことです。

1430年の『申楽談儀』にはすでに社交的な用例がある

日本で「挨拶」が一般的な人との応対へ広がっていたことを示す興味深い例があります。

1430年の『申楽談儀』には、「人の挨拶大事なるべし」という用例が残っています。

『申楽談儀』は、能楽を大成した世阿弥の芸談を伝える資料として知られ、国立国会図書館にも所蔵されています。

ここでの「挨拶」は、禅僧が相手の悟りを試す専門的な問答そのものではなく、人への応対や振る舞いに関係する文脈です。

つまり、少なくとも室町時代前期には、「挨拶」が禅の専門用語だけではなく、人間関係の中での応対を表す方向へ広がっていたことが分かります。

「禅の問答から、いつの間にか現代の挨拶になった」と曖昧に考えるより、こうした具体的な用例を見ると意味変化の途中がはっきりします。

この1430年の例は、挨拶という言葉が専門用語から日常語へ移っていく過程を知るうえで重要な手がかりです。

「返事・返礼・人への応対」へ意味が広がった

禅の問答には、問いかけと応答があります。

そのため「挨拶」が一般社会へ広がっていく中で、「返事」「受け答え」「返礼」といった意味が生まれたことは理解しやすいでしょう。

浄土真宗本願寺派の仏教語解説でも、禅で悟りの深浅を試す意味から転じて、応答や返礼、儀礼や親愛の言葉として使われるようになったことが説明されています。

現代日本語にも、その名残はあります。

たとえば「何の挨拶もない」という言い方では、単に「こんにちはと言わなかった」という意味だけではなく、返事や返礼がないという意味で使われる場合があります。

「お世話になった人へ挨拶に行く」という表現も、単なる「こんにちは」ではなく、お礼や報告を含むことがあります。

現在の「挨拶」は、朝夕の決まり文句よりもずっと広い意味をもっています。

その広さは、禅の問答から応答、返礼、人付き合いへと意味が広がってきた歴史の中で生まれたものなのです。

『日葡辞書』からも当時の広がった意味が見えてくる

日本語の歴史を考えるうえで重要な資料の一つに、『日葡辞書』があります。

『日葡辞書』の原本は、イエズス会によって長崎で1603年に刊行され、1604年に補遺が刊行されました。

この辞書は当時の日本語をポルトガル語で説明したもので、17世紀初頭に日本語がどのように使われていたのかを知る貴重な資料です。

「挨拶」についても、人との付き合いや応対に関係する意味の用法が確認できます。

これは、17世紀初頭には「挨拶」が禅の世界だけでなく、一般的な人付き合いを表す言葉として定着していたことを示す材料になります。

さらに1430年の『申楽談儀』の用例と並べて見ると、室町期から近世初頭にかけて、現在につながる社会的な意味が広がっていった様子が見えてきます。

中国から現代日本までを時系列で整理するとよく分かる

挨拶の語源と意味の変化を時系列にすると、全体像が分かりやすくなります。

時代・段階主な意味や使われ方
中国・宋代ごろ人を押しのけて進む、押す、迫る
禅での用法問答によって相手の悟りや力量を確かめる
日本の中世問答、応答、返事、人への応対へ広がる
1430年『申楽談儀』人との応対に関係する「挨拶」の用例が見られる
1603〜1604年『日葡辞書』一般的な人付き合いに関係する用法が確認できる
現代出会いや別れの言葉、返礼、式典での言葉、訪問など幅広い意味で使用

この流れで重要なのは、「押す」という意味から「こんにちは」へ突然変わったのではないことです。

「相手へ迫る」「問答をする」「応答する」「人へ適切に応対する」という段階を経ながら、現在の意味へ近づいてきました。

語源から現代までを一本の線として見ると、意味が大きく変わったように見える「挨拶」にも、意外なほど一貫したつながりがあることが分かります。

「挨拶」の語源についてよくある疑問と意外な豆知識

「挨拶の語源は禅宗」とだけ覚えるのは正確?

「挨拶の語源は禅宗」という説明は、大まかな理解としては間違いではありません。

現在の日本語につながる大きな転換点が、禅で使われた「一挨一拶」にあるからです。

ただし、さらに一段深く調べると、「挨拶」という表現には禅以前の中国語での意味があります。

宋代ごろには、人を押しのけながら進む意味で使われていました。

より正確に整理するなら、「中国語の押す・迫るという意味をもつ言葉が禅で問答を表すようになり、その用法を経て日本で応答や返礼、現在の挨拶へ広がった」となります。

つまり、禅宗は非常に重要ですが、言葉の歴史すべての出発点ではありません。

検索して知った情報を人に説明するときも、「禅宗が語源」で終わるより、この一段前まで話せるとより正確です。

「心を開いて相手に近づく」が本来の意味という説は本当?

挨拶について、「挨は心を開く、拶は相手に近づくという意味なので、挨拶とは心を開いて相手に近づくこと」と説明されることがあります。

人間関係の大切さを伝える言葉としては、とても分かりやすい表現です。

しかし、これをそのまま歴史的な語源として扱うのは適切ではありません。

漢字ペディアで確認できる「挨」の字義は「おす」「ひらく」「おしのける」「せまる」「近づく」であり、「拶」は「せまる」「おしよせる」です。

特に、「心を開く」という意味が語源として直接示されているわけではありません。

「心を開いて相手に近づく」は、現代の挨拶の意義を分かりやすく説明するための解釈として受け取るのがよいでしょう。

語源として確認できる事実と、そこから生まれた教訓的な説明を分けることが大切です。

挨拶する習慣そのものも仏教から始まったの?

挨拶という言葉に禅が深く関係していることから、「人と会ったときに挨拶する習慣も仏教から始まったのでは」と思う人もいるでしょう。

しかし、「挨拶」という日本語の歴史と、人が出会った相手へ礼や友好を示す習慣の歴史は別の問題です。

日本でも「挨拶」という語が現在の意味になる以前から、人に対する礼や応対が存在していました。

世界にも、お辞儀や握手、合掌、抱擁、言葉による呼びかけなど、さまざまな形の挨拶があります。

そのため、人間が挨拶をする行為そのものを禅宗が始めたと考えることはできません。

禅との関係を明確に確認できるのは、主に「挨拶」という言葉が現在の日本語へ発展していく歴史です。

言葉の起源と文化的な行動の起源は、切り分けて理解しましょう。

「一挨一拶」は「いちあいいっさつ」と読む?「いちあいいちさつ」?

一般的な読み方は「いちあいいっさつ」です。

漢字だけを見ると「一挨一拶」なので、「いちあいいちさつ」と一文字ずつ読みたくなるかもしれません。

しかし、「一冊」を「いっさつ」と読むように、「一拶」の部分も「いっさつ」と読む形が用いられています。

臨済宗大本山円覚寺でも『碧巌録』第二十三則の「一挨一拶」を取り上げており、禅における相手の力量を試す意味を解説しています。

挨拶の語源を誰かに説明するときには、「一挨一拶、いちあいいっさつ」と覚えておけばよいでしょう。

なお、『碧巌録』にこの表現があることと、そこで初めて「挨拶」という言葉が生まれたことは同じではないので、この点も合わせて覚えておくと正確です。

語源を知ると「挨拶には返事がある」ことのおもしろさも見えてくる

誰かに「おはようございます」と言われたら、自分も「おはようございます」と返すことが多いでしょう。

これは現代の礼儀や習慣として身についているものですが、挨拶の歴史を知ると別のおもしろさも見えてきます。

禅での一挨一拶は、一方が一方的に言葉を発して終わるものではなく、相手へ働きかけ、その反応から相手の状態を確かめるやり取りでした。

その後、「挨拶」は応答や返礼という意味でも使われるようになります。

もちろん、この語源があるから「現代でも必ず挨拶を返さなければならない」という規則が生まれたと断定することはできません。

しかし、「挨拶」という言葉が長い歴史の中で、人と人が働きかけ合い、応じ合う行為を表してきたことは確かです。

何気ない「おはよう」のやり取りにも、長い言葉の歴史を重ねて見ることができます。

「挨拶」の語源・由来まとめ

「挨拶」は、最初から「おはようございます」や「こんにちは」を意味していた言葉ではありません。

「挨」には押す、押しのける、迫る、近づくという意味があり、「拶」には迫る、押し寄せるという意味があります。

中国では宋代ごろから、群衆の中でほかの人を押しのけて進む意味の口語表現として使われていました。

それが禅の世界へ入ると、問いをしかけながら相手の悟りや力量へ迫る意味となり、「一挨一拶」と呼ばれる真剣な問答へつながりました。

その後、日本では問答だけでなく、応答、返礼、人への応対を表す言葉へと意味が広がります。

1430年の『申楽談儀』には「人の挨拶大事なるべし」という、すでに人への応対に関係した用例が残っています。

さらに1603年から1604年に刊行された『日葡辞書』の時代には、一般的な人間関係の中で使われる言葉としても確認できるようになります。

こうした長い変化の先に、現在の「おはようございます」「こんにちは」などの言葉や動作を表す挨拶があります。

そのため、「挨拶の語源は禅宗」とだけ覚えるより、「中国語の押す・迫るという意味から禅の問答へ進み、日本で応答や返礼を経て現在の意味へ広がった」と理解するほうが正確です。

また、『碧巌録』には有名な「一挨一拶」の用例がありますが、『碧巌録』そのものを「挨拶という言葉の初出」とすることもできません。

「心を開いて相手に近づく」という説明についても、現代的な教訓としては分かりやすいものの、「挨」と「拶」の歴史的な字義そのものとは分けて考える必要があります。

普段は数秒で終わってしまう挨拶ですが、「挨拶」という二文字の後ろには、中国から禅、中世日本、そして現代へと続く長い歴史があります。

毎朝何気なく交わしている「おはようございます」も、語源を知ったあとでは少し違って見えてくるのではないでしょうか。

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