「木で鼻をくくる」という言葉を見て、「どうやって木で鼻をくくるの?」と不思議に思ったことはないでしょうか?
実は、この言葉を現在の「くくる」という意味から考えても、語源にはたどり着けません。
もともとの表現は「木で鼻をこくる」でした。
「こくる」とは、強くこするという意味の古い言葉です。
つまり、もともとは「木で鼻をこする」というイメージの表現だったのです。
現在の「くくる」は「こくる」が誤って使われ、その形が長く使われるうちに定着したものとされています。
しかも、1703年の文献にはすでに「木で鼻こくったやうな返事」という用例が残っており、300年以上前から無愛想な返事を表す言葉として使われていました。
ただし、「昔は紙が高価だったので木片で鼻を拭いた」「丁稚には鼻紙を使わせなかった」といった有名な話については、語源そのものと同じ確かさで確認できるわけではありません。
この記事では、確実にわかっている事実と、由来として語られている説を混同しないようにしながら、「木で鼻をくくる」という不思議な表現の正体をわかりやすくたどっていきます。
「木で鼻をくくる」とは?意味をまず簡単に理解しよう
「木で鼻をくくる」の読み方と意味
「木で鼻をくくる」は、「きではなをくくる」と読みます。
意味は、相手に無愛想な態度を取ったり、冷淡にあしらったりすることです。
たとえば、困ったことがあって相談したのに「知りません」「無理です」とだけ言われ、それ以上まともに取り合ってもらえなかったとします。
このような、こちらを突き放すような冷たい応対を「木で鼻をくくったような返事」と表現できます。
大切なのは、単純に「断る」という意味ではないことです。
頼み事を断られても、事情を聞いたうえで丁寧に説明してもらえれば、普通は「木で鼻をくくられた」とは感じません。
相手の気持ちに向き合おうとせず、そっけなく扱うような態度に重点がある言葉です。
そのため、人の性格そのものを決めつけるよりも、その場での「返事」「態度」「対応」「挨拶」などについて使うと意味が伝わりやすくなります。
一言で覚えるなら、「冷たく、そっけなくあしらうこと」と考えておけばよいでしょう。
「冷たく無愛想にあしらう」とはどんな状態?
「木で鼻をくくる」が表す冷たさは、怒鳴ったり悪口を言ったりするような激しいものとは少し違います。
むしろ、感情を見せず、相手とまともに関わろうとしないような冷たさです。
たとえば、質問をした相手から「そこに書いてあります」とだけ返され、目も合わせてもらえなかったとします。
言われた内容そのものは間違っていなくても、受け取る側は「ずいぶん冷たい対応だな」と感じるでしょう。
このような場面に「木で鼻をくくる」がよく合います。
反対に、激しく怒って怒鳴り散らしている人を指して、この言葉を使うことはあまりありません。
怒りを爆発させる態度よりも、そっけなく突き放す態度を表す言葉だからです。
「冷たい」という一語でも、人の態度にはいろいろな種類があります。
無視する、馬鹿にする、怒鳴る、嫌味を言うといった態度と比べると、「木で鼻をくくる」は「まともに取り合わず、愛想なく応じる」というニュアンスが強いと考えるとわかりやすいでしょう。
どんな態度なら「木で鼻をくくる」と表現できる?
自然に使えるかどうかは、「相手とのやり取り」があるかを考えると判断しやすくなります。
相談したところ、「それは私には関係ありません」と冷たく言われた。
お願いをしたところ、理由も聞かずに「無理」と一言で断られた。
問い合わせをしたところ、面倒そうな態度で最低限の返事しかされなかった。
このような場面なら、「木で鼻をくくったような対応だった」と表現できます。
一方、いつも静かで口数の少ない人だからといって、それだけで「木で鼻をくくる人」とはいえません。
無口でも、質問には丁寧に答えてくれる人もいるからです。
また、きっぱり断ること自体も「木で鼻をくくる」と同じではありません。
断る理由を説明し、相手への配慮を見せているなら、少なくともこの慣用句が表す冷淡さとは違います。
言葉の意味を正確につかむには、「何を言ったか」だけではなく「どのように応じたか」に注目するのがポイントです。
なぜ「木で鼻をくくったような返事」とよく言うの?
「木で鼻をくくる」は、「木で鼻をくくったような返事」という形で特によく使われます。
実は、この組み合わせはかなり古くから存在します。
文献上の初出例として挙げられている1703年の『好色敗毒散』には、「木で鼻こくったやうな返事」という表現が記録されています。
現在なら「木で鼻をくくったような返事」にあたる言い方です。
300年以上前でも、返事のそっけなさを表す言葉として使われていたことになります。
返事と相性がよいのは、人の冷たさが特にわかりやすく表れる場面だからでしょう。
相談やお願いをした側は、答えの内容だけでなく、相手の言い方や表情からも気持ちを感じ取ります。
丁寧に説明されれば納得できることでも、一言だけで突き放されると強い冷たさを感じることがあります。
「木で鼻をくくったような返事」という言い方には、そのような温かみのなさまで含めて表現できる便利さがあります。
「鼻を木で縛る」という意味ではない
この言葉がわかりにくい最大の原因は、現在の「くくる」という言葉から意味を考えてしまうことです。
現代の日本語で「くくる」といえば、「ひもで荷物をくくる」のように、縛ったりまとめたりする意味を思い浮かべます。
そう考えると、「木で鼻をくくる」は鼻を木に縛り付けるような奇妙な光景になってしまいます。
しかし、語源上はそのような意味ではありません。
本来は「木で鼻をこくる」でした。
「こくる」には「強くこする」という意味があります。
そのため、古い形を現在の言葉に近づければ「木で鼻を強くこする」という意味になります。
そして「こくる」が誤って「くくる」と言われるようになり、その形が慣用化しました。
つまり、「くくる」の意味を一生懸命考えても答えが出ないのは当然なのです。
現在の表現には、昔使われていた別の動詞の名残が隠されています。
「木で鼻をくくる」の語源は「木で鼻をこくる」だった
本来の言い方は「木で鼻をこくる」
語源を理解するうえで最も重要なのが、「くくる」は本来の形ではなかったという点です。
古い形は「木で鼻をこくる」です。
「こくる」が「くくる」へ変わったことで、現在の私たちには意味を想像しにくい表現になりました。
1703年の『好色敗毒散』には、「木で鼻こくったやうな返事」という形が残っています。
つまり、少なくともこの用例では、現在のような「くくる」ではありません。
「こくる」という動詞自体も、昔の日本語の中で実際に使われていました。
文献上では1275年の『名語記』に「こくる」の用例が確認されており、「強くこする」「こすって取る」といった意味を持っていました。
この事実を知ると、「木で鼻をくくる」という言葉の見え方が大きく変わります。
謎の慣用句だったものが、「昔の動詞が姿を変えて残った表現」だとわかるからです。
「こくる」とはどんな意味の言葉?
「こくる」は、単純な「こする」よりも強い動きを表す言葉でした。
「強くこする」「こすって取る」「こそげる」「はぎ取る」といった意味が確認されています。
現在の日常会話ではほとんど耳にしないため、「木で鼻をこくる」と聞いても、かえって意味がわからない人も多いでしょう。
しかし、昔は実際に使われていた動詞です。
「木で鼻をこくる」を文字どおりに受け取るなら、木を使って鼻をこするような動作を表していたことになります。
ここで重要なのは、「こくる」という言葉がこの慣用句のためだけに作られたわけではないことです。
1275年の用例では別の対象を「こくる」という形で使われており、独立した動詞として存在していました。
その動詞が「木で鼻をこくる」という表現の中に入り、後世になると「こくる」という言葉自体が馴染みの薄いものになっていったと考えると、現在の不思議さも理解しやすくなります。
なぜ「こくる」が「くくる」に変わったの?
現在の形になった理由について確実にいえるのは、「くくる」は「こくる」の誤用が慣用化したものだということです。
ただし、「誰が最初に間違えたのか」「なぜ間違いが一気に広まったのか」といった細かな経緯までは明らかではありません。
そのため、「発音が似ていたからこう変化した」といった理由を確定事項として説明することはできません。
残された用例を追うと、変化の様子はある程度見えてきます。
1703年の『好色敗毒散』では「木で鼻こくった」という形です。
1797年成立の『諺苑』にも「木で鼻をこくった」という形が記録されています。
一方、1883年の歌舞伎『金看板侠客本店』には「木で鼻をくくった」という現在と同じ形の用例があります。
少なくとも残された文献を見る限り、江戸時代には「こくる」が使われ、明治時代には「くくる」の形も定着していたことがわかります。
言葉は一日で切り替わるものではありません。
多くの人が何度も使ううちに、誤って生まれた形が普通の表現として残ることもあるのです。
「くくる」はもともと誤用なら、今使うのも間違い?
ここで気になるのが、「もともと誤用なら、今も『くくる』と言うのは間違いなの?」という疑問です。
結論からいうと、現在「木で鼻をくくる」と使うことに問題はありません。
「くくる」はもともと「こくる」の誤用でしたが、その形が慣用化し、現在の言葉として定着しています。
そのため、現代の文章でわざわざ「木で鼻をこくる」と直す必要はありません。
むしろ、「木で鼻をこくる」と書けば、語源を知らない人には意味が伝わりにくくなるでしょう。
言葉では、「もともとの形」と「現在一般的に使われている形」が異なることがあります。
現在の標準的な表現は「木で鼻をくくる」であり、「こくる」はその由来を説明するときに登場する古い形と考えるとわかりやすいでしょう。
昔の誤用が何世代にもわたって使われ、やがて普通の日本語になる。
この変化そのものも、「木で鼻をくくる」の語源の面白いところです。
「木で鼻を括る」と漢字で書いてもいい?
「くくる」は漢字で「括る」と書けるため、「木で鼻を括る」という表記も使われます。
この漢字表記も現在の表現として確認できます。
ただし、語源を考えると少し不思議です。
もともとの動詞は「こくる」だったため、「括る」という漢字の意味からこの慣用句が生まれたわけではありません。
現在の「くくる」という語形に合わせて「括る」と表記されていると理解するとよいでしょう。
夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、「木で鼻を括ったような挨拶」という形が登場します。
文章を書くときは、「木で鼻をくくる」とひらがなにしても、「木で鼻を括る」と漢字で書いても意味は通じます。
一般向けの記事や読みやすさを重視する文章なら、「くくる」とひらがなで書くほうが素直でしょう。
一方、語源を説明するときは「括るという漢字そのものが由来ではない」と知っておくと混乱しません。
なぜ木で鼻をこするの?有名な由来説を検証
「昔は紙が貴重だったから木で鼻を拭いた」という説
「木で鼻をくくる」の由来としてよく知られているのが、昔は紙が貴重だったため、紙の代わりに木で鼻を拭いたという説明です。
昔の日本では、現在のティッシュのように誰もが鼻紙を気軽に大量消費できたわけではありません。
鼻紙の歴史を調べた資料には、武家でも経済的な理由から紙を使える範囲が限られていた時期や、庶民に鼻紙が十分行き渡っていなかった時期があったことが記されています。
1700年の『御前義経記』には、一定の身分以下の武士は鼻紙を使わず、人目を避けて手鼻をかんだという記述も紹介されています。
ここから、「昔は鼻をかむための紙が今ほど身近ではなかった」という背景は確認できます。
しかし、紙が貴重だったことと、「その代わりに木片で鼻を拭く習慣が一般的だった」ということは別です。
今回確認できる古い用例や辞書資料からは、「紙がないため木片で鼻を拭いたことが、この慣用句の直接的な起源である」とまでは断定できません。
したがって、「昔の人は紙の代わりに木で鼻を拭いていたから生まれた言葉」と一本の物語にしてしまうより、紙事情は背景として考えられるものの、直接の成立過程には不明な点が残ると理解するのが正確です。
木で鼻をこすると嫌な顔になるから、無愛想の意味になった?
もう一つ理解しやすい説明があります。
硬い木で鼻を強くこすれば痛かったり不快だったりするため、顔をしかめ、その表情が無愛想に見えたことから現在の意味になったという考え方です。
たしかに、想像すると意味はつながります。
柔らかい紙ではなく木で鼻をこすれば、にこやかな表情にはなりにくそうです。
しかし、「顔をしかめた表情が無愛想に見えたことが直接の語源である」と確認できる古い記録があるわけではありません。
ここも、納得しやすい説明と、文献で確認できる事実を分ける必要があります。
確実なのは、1703年の時点ですでに「木で鼻こくったやうな返事」という比喩的な使い方が存在したことです。
つまり、18世紀初めにはすでに、単なる鼻の動作を指すだけではなく、人の無愛想な応対を表す言葉になっていました。
そこへ至るまでの途中で、どのような連想が働いたのかは完全にはわかっていません。
語源は、もっともらしい説明だからといって必ず史実とは限らないのです。
「丁稚や奉公人は紙を使わせてもらえなかった」という話は本当?
さらに具体的な説として、「商家の丁稚や奉公人は貴重な鼻紙を使わせてもらえず、木で鼻をこすっていた」という話があります。
話として非常に印象に残るため、語源の説明として覚えやすい内容です。
しかし、この具体的な生活習慣までを語源として裏付ける史料は、今回確認した範囲では確かめられませんでした。
昔、鼻紙が今ほど誰にでも気軽に使えるものではなかったことは確認できます。
江戸時代には紙を再利用する文化も発達し、再生紙が鼻紙などの日用品として利用されていました。
だからといって、「丁稚は必ず木片で鼻を拭いた」とまではいえません。
「丁稚奉公があった」「紙が貴重だった」「木で鼻をこくるという言葉があった」という別々の事実をつなげれば、もっともらしい物語は作れます。
しかし、語源を正確に知るなら、その物語をそのまま史実と考えないことが大切です。
現時点では、丁稚や奉公人の話は確定した語源として覚えるより、「語源を説明する際に語られることのある説」として扱うのが適切でしょう。
事実として確認できる部分はどこまで?
ここまでの内容を整理すると、確実に押さえられる部分と、不明な部分がはっきりします。
まず、「こくる」という動詞が存在し、「強くこする」という意味を持っていたことは確認できます。
次に、「木で鼻をこくる」という古い形が存在し、「くくる」は「こくる」の誤用が慣用化したものだということも確認できます。
さらに、1703年には「木で鼻こくったやうな返事」という無愛想な返事を表す使用例があります。
一方、「なぜ木だったのか」「どのような実際の動作から比喩が生まれたのか」「誰が最初にこの言い回しを使ったのか」までは、はっきりしていません。
紙が十分に使えなかった時代があったという歴史的背景は確認できますが、それだけで木片を使う習慣を証明することはできません。
語源について調べるときは、「ここまではわかる」「ここから先は推測を含む」と分けることが大切です。
「木で鼻をくくる」は、すべてが一つのきれいな物語として解明されている言葉ではありません。
その曖昧さも含めて知っておくほうが、結果として語源を正しく理解できます。
結局、語源はどう覚えればいい?
細かな説がいくつもあるため、「結局どう覚えればいいの?」と思った人もいるでしょう。
最も重要なのは、たった二つです。
一つ目は、本来「木で鼻をこくる」と言ったことです。
二つ目は、「こくる」が強くこするという意味だったことです。
そして、「くくる」はその「こくる」が誤って使われ、慣用化した形です。
ここまで覚えれば、この言葉の語源として最も大切な部分は理解できています。
「昔は木片で鼻水を拭いたから」とまで暗記する必要はありません。
そこは語源の細部として確定していない部分が残るからです。
「鼻を木で縛るのではなく、もともとは木で鼻をこするという表現だった」と覚えるのが、わかりやすく正確です。
「木で鼻をくくる」という言葉を次に見たとき、「くくるは元の言葉ではない」と思い出せれば、意味もかなり忘れにくくなるでしょう。
「木で鼻をくくる」はいつからある?古い用例から歴史をたどる
1703年には「木で鼻こくった」という用例がある
現在確認できる重要な古い用例が、1703年の浮世草子『好色敗毒散』にあります。
そこでは、「木で鼻こくったやうな返事」という形で使われています。
現在の言い方に直せば、「木で鼻をくくったような返事」にかなり近い表現です。
ここから二つの重要なことがわかります。
一つは、当時は「くくる」ではなく「こくる」という形が使われていたことです。
もう一つは、すでに無愛想な返事を表す比喩として使われていたことです。
つまり、1703年の段階では「木で鼻をこする」という実際の動作だけを意味する言葉ではありませんでした。
すでに人の冷たい応対を表現する慣用的な言い方になっていたのです。
ただし、1703年がこの言葉の「誕生日」という意味ではありません。
文献に残っている古い例が1703年ということであり、それ以前に話し言葉として使われていた可能性はあります。
言葉の誕生と、現存する最古級の記録は必ずしも同じではないことも覚えておきましょう。
江戸時代にはすでに現在に近い意味だった
1703年の用例が面白いのは、語形だけでなく意味も現在とかなり近い点です。
「木で鼻こくったやうな返事」という言い方から、人の返事がそっけない様子を表していることがわかります。
現在でも、「受付で木で鼻をくくったような返事をされた」のように使えます。
300年以上の時間が流れても、「返事」と組み合わせて冷淡な応対を表す使い方が残っているわけです。
この点は、語源を考えるうえでも重要です。
「こくる」が「くくる」に変わったことで、「冷たい態度」という意味が生まれたわけではありません。
まだ「こくる」だった時代から、すでに現在に近い意味が存在していたからです。
つまり、意味の成立と、「こくる」から「くくる」への語形変化は別の出来事として考える必要があります。
今の形だけを見て語源を推測すると、この順番を取り違えてしまいやすいので注意しましょう。
1797年には現在と違う「さっぱりする」の意味も記録されている
この言葉の歴史には、少し意外な記録も残っています。
1797年成立の『諺苑』には、「木で鼻をこくったやう」という表現について、「さっぱりした」という意味が記録されています。
現在「木で鼻をくくる」と聞いて、「さっぱりする」という意味を思い浮かべる人はほとんどいないでしょう。
今では、無愛想にふるまう、冷淡にあしらうという意味が一般的です。
しかし、昔の言葉は必ずしも現在とまったく同じ意味だけで使われていたとは限りません。
時代によって別の意味が存在したり、複数の意味が並んで使われたりすることがあります。
ただし、この「さっぱりする」という意味がどれほど広く一般に使われていたかは、この記録だけから判断できません。
また、「さっぱりする」という意味が変化して現在の「冷淡」に直接つながったと断定することもできません。
重要なのは、「木で鼻をこくる」という表現には、長い歴史の中で意味の幅もあったということです。
語源を一つの単純な物語だけで説明しきれない理由の一つでもあります。
明治時代には「こくる」から「くくる」へ
現在の「くくる」という形は、少なくとも明治時代の文献では確認できます。
1883年の歌舞伎『金看板侠客本店』には、「木で鼻をくくった」という用例が記録されています。
1703年の例では「こくった」だったため、残された用例を比べるだけでも語形が変化していることがわかります。
ただし、「1703年にはこくる、1883年からくくる」ときれいに区切れるわけではありません。
言葉は多くの場合、古い形と新しい形がしばらく共存しながら変化していきます。
書き言葉より先に話し言葉で変化していた可能性もあります。
そのため、「何年に誤用が始まった」というところまで正確に決めることはできません。
確実にいえるのは、江戸時代の文献に「こくる」があり、明治時代には現在と同じ「くくる」の実例が確認できることです。
長い年月をかけて、元は誤った形だった「くくる」が一般的な言い方になっていった様子が見えてきます。
夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場する
現在の「木で鼻を括る」という形は、夏目漱石の代表作『吾輩は猫である』にも登場します。
作中には、ある人物が冷たい応対をできなかったことを「木で鼻を括ったような挨拶も出来ず」と表現する場面があります。
『吾輩は猫である』は1905年から1906年にかけて『ホトトギス』に発表された作品です。
ここでは「返事」ではなく「挨拶」と組み合わされています。
1703年の用例では「返事」、漱石の作品では「挨拶」です。
時代は大きく離れていますが、どちらも人と人との応対が冷たいかどうかを表している点では共通しています。
また、漱石の時代にはすでに「こくる」ではなく「括る」と表記されていることも興味深いところです。
現在私たちが使っている形が、少なくとも明治時代には文学作品の中でも使われていたことがわかります。
「木で鼻をくくる」の使い方を例文と似た言葉で理解しよう
自然に使える例文
実際に文章で使うなら、「木で鼻をくくったような」という形が便利です。
「相談したのに、担当者から木で鼻をくくったような返事をされてしまった。」
この場合は、相談に対して親身になってもらえず、冷たい返事をされた様子を表しています。
「困っている事情を説明したが、彼は木で鼻をくくるような態度だった。」
こちらは、発言だけではなく表情や振る舞いまで含めて冷淡だったことを表せます。
「問い合わせをしたところ、木で鼻をくくったような対応をされて驚いた。」
窓口や電話、接客などの場面でも使える表現です。
「お願いしてみたが、木で鼻をくくったように断られた。」
この場合、断られたことそのものより、「断り方があまりにも冷たかった」というニュアンスがあります。
丁寧に理由を説明して断られた場合なら、この表現はあまり合いません。
相手との間に温かみがなく、取り付く余地がないような印象を受けた場面で使うと自然です。
「態度」「返事」「対応」と組み合わせると使いやすい
「木で鼻をくくる」は、人の応対に関係する言葉と組み合わせると意味が伝わりやすくなります。
特に自然なのが「返事」です。
1703年の用例にも「木で鼻こくったやうな返事」という組み合わせがあります。
「態度」もよく合います。
「部下の相談に木で鼻をくくったような態度を取った」とすれば、相談をまともに受け止めず、冷たくあしらった様子が伝わります。
「対応」と組み合わせれば、仕事や接客など幅広い場面で使えます。
「挨拶」との組み合わせも実際に古くからあり、『吾輩は猫である』には「木で鼻を括ったような挨拶」という表現があります。
反対に、人の応対とは関係のない物や風景を形容すると不自然になります。
「木で鼻をくくったような商品」「木で鼻をくくったような天気」とは普通いいません。
誰かが誰かにどう応じたのかを思い浮かべると、使い方を間違えにくくなります。
「木で鼻をかむ」という似た表現もある
「木で鼻をくくる」には、「木で鼻をかむ」という関連表現もあります。
「木で鼻をこくる」と同じく、無愛想にふるまう、冷淡にあしらう意味につながる表現として記録されています。
また、「木っ端で鼻かむ」という類似した言い方もあります。
「木っ端」とは、斧やのこぎりなどで木を切ったときに出る木の切れ端のことです。
こうした関連表現を見ると、「木」と「鼻」という組み合わせが「木で鼻をくくる」だけに突然現れたものではないことがわかります。
ただし、「木で鼻をかむ」や「木っ端で鼻かむ」が先に生まれ、それが直接「木で鼻をこくる」へ変化したとまでは確認できません。
似た表現が存在することと、どちらがどちらの起源であるかは別の問題です。
語源としては、現在の「くくる」が古い「こくる」から変化したことを中心に覚えておけば十分です。
関連する言い回しまで知っておくと、「木と鼻」という独特な組み合わせが昔の日本語の中で使われていたことを、より立体的に理解できます。
「けんもほろろ」とはどう違う?
意味が近い言葉に「けんもほろろ」があります。
「けんもほろろ」は、頼み事や相談などを無愛想に拒絶する様子を表すときに使われます。
「お願いしてみたが、けんもほろろに断られた」という言い方が典型的です。
「木で鼻をくくる」とかなり近い意味ですが、注目する部分が少し違います。
「木で鼻をくくる」は、相手の返事や態度そのものが冷淡であることを表しやすい言葉です。
一方、「けんもほろろ」は、こちらの頼みや相談を相手が冷たく拒絶したという場面によく合います。
たとえば、「受付の人は木で鼻をくくったような態度だった」なら、何かを明確に断られていなくても使えます。
「受付でお願いしたが、けんもほろろに断られた」なら、拒否されたことがより前面に出ます。
完全に意味が同じではないため、場面によって使い分けると文章のニュアンスがより正確になります。
「取り付く島もない」「鼻であしらう」との違い
「取り付く島もない」も、相手の冷たい態度を表す言葉です。
こちらは、相手があまりにつっけんどんで、話を続けたり頼み込んだりするきっかけさえつかめない状態に向いています。
「何度か説明しようとしたが、取り付く島もなかった」といった使い方です。
「木で鼻をくくったような返事をされ、取り付く島もなかった」と二つを組み合わせても自然です。
「鼻であしらう」は、相手の話をまともに取り合わず、軽く扱うような態度を表します。
こちらは、冷たさに加えて「相手を重要だと思っていない」「まともに相手をする気がない」というニュアンスを感じやすい言葉です。
それに対して「木で鼻をくくる」は、相手を見下しているとは限りません。
無愛想で、冷たく突き放すような応対なら使えます。
「木で鼻をくくる」は冷淡な応対、「取り付く島もない」は話を続ける余地のなさ、「鼻であしらう」はまともに取り合わず軽く扱う態度、と整理すると違いがわかりやすいでしょう。
「木で鼻をくくる」語源・由来まとめ
「木で鼻をくくる」は、相手に無愛想にふるまったり、冷淡にあしらったりすることを意味します。
一見すると「木で鼻を縛る」という意味に見えますが、それは語源とは関係ありません。
もともとの形は「木で鼻をこくる」でした。
「こくる」は「強くこする」という意味を持つ言葉で、文献上では1275年の用例まで確認できます。
現在の「くくる」は、この「こくる」が誤って使われ、その形が慣用化したものです。
1703年の『好色敗毒散』には、すでに「木で鼻こくったやうな返事」という使用例が残っています。
さらに1883年には「木で鼻をくくった」という形が確認でき、1905年から1906年に発表された夏目漱石の『吾輩は猫である』にも現在と同じ「括る」を使った表現が登場します。
一方、「紙が貴重だったので木片で鼻を拭いた」「丁稚には鼻紙を使わせなかった」「木でこすると顔をしかめるため無愛想の意味になった」といった細かな由来については、確定していない部分があります。
昔は鼻紙を誰もが自由に大量に使える状況ではなかったことは確認できますが、それだけで木片を使う習慣を語源として証明することはできません。
そのため、語源を最もわかりやすく正確に覚えるなら、「鼻を木で縛る言葉ではなく、昔は『木で鼻をこくる』といい、『こくる』は強くこするという意味だった」と覚えるのがおすすめです。
そこから誤用の「くくる」が定着し、現在まで残ったと理解すれば、不思議だった言葉の形もすっきりつながります。
