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「かるた」の語源はポルトガル語?「carta」から歌留多・百人一首へつながる意外な歴史

「かるた」の語源はポルトガル語?「carta」から歌留多・百人一首へつながる意外な歴史

お正月の遊びとしておなじみの「かるた」。

百人一首やいろはかるたを思い浮かべると、昔から日本にある言葉のように感じます。

ところが、その名前は意外にもポルトガル語に由来します。

もとになったのは、カードなどを意味する「carta」という言葉です。

しかも、16世紀に日本へ伝わったカルタは、現在の百人一首とはまったく違う48枚の西洋系カードでした。

では、ポルトガルから伝わったカードが、なぜ「歌留多」と書かれるようになり、百人一首や花札などの日本らしい遊びへ変わったのでしょうか。

また、百人一首は鎌倉時代から存在するのに、なぜ札遊びの名前だけがポルトガル語なのでしょうか。

この記事では、かるたの語源から日本への伝来、天正かるたの姿、「歌留多」という漢字の理由、百人一首との違いまで、歴史資料をもとに分かりやすく解説します。

読み終えるころには、「かるた」という身近な言葉の向こうに、400年以上にわたる日本とヨーロッパの文化交流が見えてくるはずです。

目次

「かるた」の語源を結論から

まず結論からいうと、「かるた」の語源として一般に認められているのは、ポルトガル語の「carta」です。

16世紀後半にポルトガル系のカード文化が日本へ伝わり、「カルタ」という言葉も日本語として使われるようになりました。

現在の百人一首がそのままポルトガルから来たわけではありません。

外国から伝わったカード文化と、日本にもともとあった和歌や歌貝などの文化が結びつき、日本独自の歌がるたへ発展しました。

知りたいこと結論
「かるた」の語源ポルトガル語の「carta」
「carta」の意味手紙、地図、ゲーム用カードなど
日本へ伝わった時期16世紀後半の天正年間ごろ
当時のカード4種類、合計48枚の西洋系カード
「歌留多」の漢字音に漢字を当てた当て字
百人一首との関係外来のカード文化と日本の和歌文化が結びついて発展

かるたの語源はポルトガル語の「carta」

「carta」とはどんな意味の言葉?

「かるた」は、いかにも昔から存在する日本語のように聞こえます。

しかし、その名前の由来をたどるとポルトガル語に行き着きます。

語源とされている「carta」は、現在のポルトガル語でも使われている言葉です。

「手紙」という意味がよく知られていますが、それだけではありません。

地図という意味もあり、カードゲームで使う1枚1枚の札も「carta」と呼ばれます。

つまり、日本へ伝わった「カルタ」は、もともと札やカードに関係する言葉だったわけです。

神戸市立博物館に残る天正かるたの資料でも、カルタの語源はポルトガル語の「Carta」とされています。

さらに「carta」という言葉自体にも、もっと古い歴史があります。

ポルトガル語の「carta」は、ラテン語の「charta」を経て、紙を意味するギリシャ語の「khártes」へとさかのぼります。

紙や文書を表していた古い言葉が、やがてカードを表す意味でも使われるようになったのです。

この背景を知ると、「かるた」という言葉がなぜカード遊びを表すようになったのかも理解しやすくなります。

現在の日本では、百人一首やいろはかるたを連想することが多いため、「carta」と聞いても外国語とのつながりは感じにくいでしょう。

しかし名前だけをたどれば、日本の伝統遊びの向こう側にヨーロッパのカード文化が見えてきます。

「日本らしい遊びなのに、名前はポルトガル語由来」という点が、かるたの語源で最も面白いところのひとつです。

「かるた」はいつ日本に伝わった?

かるたにつながる西洋のカード文化が日本へ入ったのは、16世紀後半と考えられています。

具体的には、天正年間の1573年から1592年ごろにポルトガルからカードが伝わったとされています。

この時代は、ヨーロッパとの交流によって海外の品物や文化が日本へ入ってきた時期です。

カルタも南蛮貿易とともに日本へもたらされた遊戯のひとつでした。

ただし、現在の百人一首のような札がポルトガルから持ち込まれたわけではありません。

伝わってきたのは、剣や聖杯などが描かれたヨーロッパ系のカードです。

このカード文化をもとに、日本国内でも札が作られるようになりました。

代表的な資料が「天正かるた」です。

神戸市立博物館が所蔵する「天正かるた版木重箱」は、16世紀後期から17世紀前期に関係する資料で、ヨーロッパ製カードの特徴をよく残しています。

日本でカルタが使われていたことを示す文献も16世紀末には登場します。

『長宗我部氏掟書』には、文禄5年11月15日付の条文として、博奕やカルタなどの勝負事を禁じる内容が残っています。

この史料の西暦表記については、1596年として扱う研究と1597年として扱う資料があります。

そのため、この記事では「16世紀末にはカルタという言葉の使用が確認できる」と捉えるのが最も安全です。

禁止の対象としてカルタが明記されていることからも、当時すでに社会で認識される遊びになっていたことが分かります。

「かりうち」が語源という別説もある

「かるた」の語源について調べると、ポルトガル語の「carta」だけでなく、「かりうち」という日本の古い遊びに由来するという説を目にすることがあります。

「かりうち」は「樗蒲」と書き、中国から伝わった古い勝負遊びです。

その名称と「かるた」の音が近いことから、語源との関係を考える説があります。

ただし、現在の一般的な語源説明では、ポルトガル語の「carta」に由来する説が中心です。

実際に16世紀後半にはポルトガル系カードが日本へ入り、そのカードをもとにした天正かるたも作られています。

さらに16世紀末には「カルタ」という言葉そのものが文献に現れています。

つまり、外国からカード文化が入った時期と「カルタ」という言葉が日本の史料に登場する時期が歴史的に重なっています。

このため、「かるたの語源は何か」と簡潔に答える場合は、「ポルトガル語のcartaが語源とされている」と説明するのが適切です。

ただし、古い言葉の由来は、現代の録音や詳しい記録が残っているわけではありません。

別説が存在することまで知っておけば、「ほかの可能性が絶対にない」と必要以上に断定することも避けられます。

語源を調べる面白さは、単に答えをひとつ覚えることだけではありません。

その言葉が使われ始めた時代の交流や生活まで見えてくるところにあります。

ポルトガルから伝わった「かるた」はどんなものだった?

南蛮貿易とともに日本へ伝わったカード遊び

現在のかるたといえば、読み手が文章を読み、参加者が対応する札を素早く取る遊びを想像する人が多いでしょう。

ところが、日本へ最初に伝わった西洋系のカルタは、現在の百人一首とは見た目も遊び方も異なるものでした。

天正かるたには、パオと呼ばれる棍棒、コップと呼ばれる聖杯、オウルと呼ばれる貨幣、エスパーダと呼ばれる剣という4種類の紋標があります。

ハート、ダイヤ、クラブ、スペードを使う現在の一般的なトランプとは絵柄が違います。

それでも、複数の種類に分けられた札を一組にして遊ぶという点では、現在のカードゲームにつながる特徴を見ることができます。

カルタが伝わった当初は、勝負事や賭けをともなう遊びとしても使われました。

16世紀末の『長宗我部氏掟書』で禁止の対象になっていることからも、その性格の一端が分かります。

ここで重要なのは、海外から入ってきたカードが、その後ずっと外国製のまま使われていたわけではないことです。

日本人はカードをまねて国内でも作るようになりました。

現存する天正かるた関係資料には、日本国内で製造されたと考える根拠が残っています。

つまり、かるたの歴史は「外国製カードの輸入」だけでは終わりません。

外国文化を知り、日本国内で作り、さらに日本独自の遊びへ変えていく過程まで含んでいます。

この変化があったからこそ、数百年後には百人一首や花札のような、見た目には非常に日本らしい札文化が生まれていったのです。

天正かるたは48枚で現在のトランプとは少し違う

天正かるたの姿を具体的に知るうえで分かりやすいのが、札の構成です。

天正かるたには4種類の紋標があります。

それぞれの種類に1から9までの数字札が9枚あり、さらに女官、騎士、王の絵札が3枚加わります。

1種類につき12枚です。

12枚が4種類なので、1組は合計48枚になります。

一方、現在よく使われるトランプは、ジョーカーを除けば4種類に13枚ずつあり、合計52枚です。

どちらも4種類に分かれている点は似ていますが、同じ構成ではありません。

そのため、「天正かるたは昔のトランプそのもの」と説明すると少し雑になります。

「現在のトランプと同じく、ヨーロッパのカード文化につながる札だった」と考えると分かりやすいでしょう。

天正かるたの48枚という数字は、現在の花札を連想させるものでもあります。

現代の花札も、1月から12月まで4枚ずつ、遊びに使う札は合計48枚です。

ただし、枚数が同じだからといって、天正かるたがそのまま花札になったという意味ではありません。

その間にはウンスンカルタなどを含む長い変化の歴史があります。

カード文化が日本で形を変え続けてきた結果、現在の花札などにつながっているのです。

天正かるたはポルトガルから輸入された札そのものではない

ここは、かるたの歴史で誤解しやすいポイントです。

「ポルトガルからカルタが伝わった」と聞くと、現存する天正かるたもポルトガルで作られて日本へ運ばれてきたように感じるかもしれません。

しかし、天正かるたは、伝来した西洋系カードをもとに日本国内でも作られたものです。

神戸市立博物館に残る天正かるたの版木は、製作地として現在の福岡県大牟田周辺が推定されています。

その根拠のひとつが、同じ種類の現存札に残る「三池住貞次」という銘です。

三池は現在の福岡県大牟田市周辺に当たります。

版木そのものが残っていることも、日本国内でカードが印刷されていたことを考えるうえで重要です。

図柄にはヨーロッパ製カードの面影が強く残っていますが、後の時代になるにつれてデザインも日本化していきました。

ここには、日本が海外文化を取り入れるときの特徴がよく表れています。

最初は外国から新しい文化として入ってきても、それを国内で再現し、自分たちに使いやすい形へ変えていくことがあります。

かるたも、まさにそのような道を歩んだ遊びでした。

「ポルトガル生まれの遊びがそのまま残った」のではなく、「ポルトガル系カードを出発点として日本独自のカード文化が育った」と理解すると、その後の百人一首や花札へのつながりも見えやすくなります。

16世紀末には「カルタ」という言葉の記録が残っている

日本語としての「カルタ」がいつ使われ始めたのかを考えるとき、重要なのが『長宗我部氏掟書』です。

文禄5年11月15日付の条文には、博奕、カルタ、さまざまな勝負事を停止する内容があります。

岡山大学の研究では、この用例を1596年の例として扱っています。

一方、西暦1597年の記録として扱う歴史資料もあります。

この違いがあるため、単純に「1596年が絶対に最初」とだけ書くより、文禄5年11月15日付の史料に確認できると説明するほうが正確です。

少なくとも、16世紀末には日本で「カルタ」という言葉が使われていたことになります。

しかも、その史料は遊びを紹介するための文章ではなく、勝負事を禁じるためのものです。

新しい遊びだったにもかかわらず、規制の対象として名前を挙げられるほど知られていたことが読み取れます。

これは、カルタが日本へ伝わってから比較的早い段階で広まったことを考える手がかりになります。

現在ではお正月や子どもの遊びという穏やかな印象がありますが、初期のカルタには勝負や賭けの要素が強かったのです。

同じ「かるた」という言葉でも、16世紀と現代では思い浮かべる遊びが大きく変わっています。

その変化こそ、400年以上続くかるた文化の面白さでしょう。

なぜ「かるた」を「歌留多」と漢字で書くの?

「歌留多」「加留多」は音に漢字を当てた言葉

「かるた」を漢字で書くと「歌留多」となります。

漢字だけを見ると、「歌がたくさん残る」という意味から作られた言葉のようにも見えます。

しかし、「歌留多」という漢字が語源ではありません。

先にポルトガル語由来の「カルタ」という音が日本語として使われ、その音に漢字が当てられました。

「歌留多」のほかに「加留多」という表記もあり、いずれも当て字です。

つまり、「歌」「留」「多」という漢字をひとつずつ分解しても、「かるた」という言葉の本当の由来は分かりません。

外国から来た言葉を日本語の文字で表すためにつけられた漢字だからです。

現在なら外国語はカタカナで表すことが多いため、「カルタ」と書けば自然に見えます。

しかし、日本語では昔から外国語の音に漢字を当てる表記も使われてきました。

その結果、「歌留多」という一見すると非常に日本らしい漢字表記が残りました。

しかも、その後に歌がるたや百人一首が広まったことで、「歌」という漢字が遊びの内容にもよく合っているように見えるようになりました。

ここが少しややこしいところです。

「歌を使うから歌留多という名前になった」のではなく、「カルタ」という外来語に後から漢字を当てたと考える必要があります。

語源と漢字の意味を分けて考えると、混乱しにくくなります。

「骨牌」と書いて「かるた」と読む理由

かるたには「骨牌」という漢字表記もあります。

初めて見た人が「かるた」と読むのはかなり難しいでしょう。

「歌留多」「加留多」「骨牌」は、いずれもカルタを表す当て字として使われています。

一方、「骨牌」には「こっぱい」という読み方もあります。

獣骨などで作った牌を表す言葉として使われる場合もあります。

そのため、「骨牌」という漢字を見ただけで、ポルトガルから骨製のカードが伝わったと考えるのは適切ではありません。

日本へ伝わった西洋系カルタは、紙の札を使うカード文化です。

「骨牌」は日本語の中でカルタを表す漢字表記として使われるようになったもので、材料そのものを説明する名前として理解しないほうがよいでしょう。

現代の日常生活では「骨牌」という表記を見る機会は多くありません。

それでも、古い文学作品や辞書、歴史資料を読むと出会う可能性があります。

「かるた」というひとつの言葉に、カルタ、かるた、歌留多、加留多、骨牌と複数の書き方があること自体、日本語へ取り込まれてきた長い歴史を感じさせます。

外国語だった名前が、長い年月をかけて日本語としてなじんでいった証拠ともいえるでしょう。

「カルタ」「かるた」「歌留多」はどれが正しい?

「カルタ」「かるた」「歌留多」のどれを使えば正しいのか迷うことがあります。

結論としては、どれかひとつだけが正しく、ほかが間違いというものではありません。

いずれも実際に使われる表記です。

語源が外国語であることを分かりやすく示す場合は「カルタ」と書くと伝わりやすいでしょう。

現代の日本の遊びとして一般的に書く場合は「かるた」でも問題ありません。

歴史的な雰囲気を出したい場合や固有の名称では「歌留多」という漢字も使われます。

実際に歴史資料には「加留多」「賀留多」など、さらに別の漢字表記も見られます。

これは、外国語の音を日本語の文字へ移す過程で表記が固定されていなかったためと考えると分かりやすいでしょう。

現代の記事を書く場合は、読みやすさを考えて「かるた」で統一する方法が自然です。

語源を説明する部分だけ「ポルトガル語のcartaから来たカルタ」と書けば、外来語であることも伝えやすくなります。

古い資料名や作品名を紹介するときは、その資料で使われている正式な表記をそのまま使うのが適切です。

表記が複数あるからといって、語源まで複数あるわけではありません。

表記の歴史と語源の歴史を分けて考えることが大切です。

外国のカードが百人一首やいろはかるたになるまで

日本には「歌貝」や「貝覆い」という遊びがあった

百人一首かるたの歴史を理解するには、西洋からカードが入ってくる以前の日本にも目を向ける必要があります。

日本には、貝を使って組み合わせを探す遊びがありました。

特に歌がるたとの関係で重要なのが「歌貝」です。

歌貝では、一対の貝に和歌の上の句と下の句を書き、正しい組み合わせを探して遊びました。

室町時代ごろから行われていたとされています。

また、貝の左右を合わせる「貝覆い」など、貝を使った遊び文化も存在していました。

ここで気をつけたいのが、「百人一首かるたはポルトガルからそのまま伝わった」と考えないことです。

外国から入ってきたのはカードという新しい遊戯文化です。

一方、日本には和歌を使った遊びがありました。

この二つの流れが結びつき、紙の札を使って和歌の組み合わせを楽しむ歌がるたへ発展しました。

つまり、現代の歌がるたには外国文化だけでなく、日本でそれ以前から育っていた文化も含まれています。

どちらか一方だけを起源と考えるより、「西洋のカード形式と日本の和歌文化が出会って生まれた」と理解するほうが実態に近いでしょう。

現在の百人一首かるたが非常に日本らしく見えるのは、その後の日本独自の発展が大きかったからです。

西洋のカード形式と日本の和歌文化が融合した

ポルトガル系のカードと日本の歌貝には、大きな違いがあります。

天正かるたには剣、聖杯、貨幣、棍棒などの図柄が使われていました。

一方、歌貝では日本の和歌を上の句と下の句に分けて組み合わせます。

このまったく異なる二つの文化が、日本の中で結びつきました。

その結果として生まれたのが歌がるたです。

歌がるたでは、上の句に対応する下の句を探して取るなど、和歌を知っていることが遊びにつながります。

ここまで来ると、ポルトガルから入ってきた初期のカードとは、遊びの内容も見た目もかなり違います。

さらに、歌がるたの題材は百人一首だけではありませんでした。

江戸時代には、『伊勢物語』『源氏物語』『三十六歌仙』などを題材にしたさまざまなかるたが作られています。

つまり、「歌がるた」と「百人一首」は最初から同じ意味だったわけではありません。

和歌や文学作品を題材にした札の文化が広がる中で、百人一首を使ったものが特に広く親しまれるようになりました。

外国からカードの形式が伝わり、その器の中へ日本人が和歌や古典文学を入れたと考えると分かりやすいでしょう。

日本のかるたは、単なる外国文化のコピーではありません。

異なる文化を組み合わせ、新しい遊びへ作り変えた結果なのです。

百人一首とかるたは同じもの?

「百人一首」と「かるた」は、厳密には同じものではありません。

ここを整理すると、語源の疑問もかなり分かりやすくなります。

『百人一首』は、100人の歌人から一首ずつ和歌を選んだ歌集です。

現在よく知られる小倉百人一首は、鎌倉時代初期の1235年ごろに成立したとされています。

一方、「かるた」は札や、札を使った遊びを表す言葉です。

ポルトガル系カードが日本へ伝わったのは、それより300年以上後の16世紀後半です。

つまり、百人一首という和歌の集まりは、ポルトガル系カードが日本へ来るよりずっと前から存在していました。

後の時代になって、その百人一首を札にして遊ぶようになったものが「百人一首かるた」です。

この違いを知らないと、「百人一首は鎌倉時代からあるのに、なぜ名前がポルトガル語なのか」という疑問が生まれます。

答えは簡単です。

百人一首という歌集の名前がポルトガル語由来なのではなく、その歌を遊戯用の札にした「かるた」という仕組みの名前がポルトガル語由来だからです。

小倉百人一首を使ったかるたは江戸時代に広まり、木版印刷による大量生産が可能になると、より多くの人が楽しむようになりました。

現代では「かるた」と聞くと百人一首を連想しやすいため、両者が最初から同じものだったように感じます。

歴史の順番を知れば、実際には「古くからあった百人一首」と「後から入ってきたカード文化」が結びついたことが分かります。

歌がるた・百人一首・いろはかるたへ発展

日本に入ったカルタ文化は、その後ひとつの形だけで残ったわけではありません。

日本の生活や言葉に合わせて、さまざまな種類のかるたへ発展しました。

和歌を使う歌がるたでは、百人一首を題材にしたものが特に広く知られるようになります。

江戸時代には木版印刷によって札の大量生産が可能になり、百人一首かるたは大名や公家などだけでなく、庶民にも広がっていきました。

一方、和歌ではなく、文字やことわざを使って楽しむ「いろはかるた」も生まれました。

このように、「かるた」という言葉の中には、同じ遊び方だけが含まれているわけではありません。

歌を覚えて取るものもあれば、ことわざや文字を使うものもあり、絵を楽しむものもあります。

百人一首かるたも時代とともに変化しました。

もともとは一首を上の句札と下の句札に分けていましたが、江戸末期から明治期にかけて、上の句札は一首すべてを書いた現在の読み札に近い形へ変化しました。

さらに1904年には、現在につながる競技かるたのルールが整えられました。

こうして見ると、現在私たちが知っているかるたも、最初から完成した形で存在したわけではありません。

16世紀に外国から入ったカード文化が、日本の和歌、文字、印刷文化などと結びつきながら何百年も変化してきた結果なのです。

「かるた」の語源を知ると面白い日本語の豆知識

「カード」と「かるた」は遠い親戚のような言葉

「carta」と「card」は見た目も音も少し似ています。

これはまったくの偶然ではありません。

英語の「card」は、古フランス語の「carte」や中世ラテン語の「carta」「charta」などにつながる言葉です。

ポルトガル語の「carta」も、ラテン語の「charta」につながります。

つまり、日本語の「かるた」と「カード」は、直接同じ外国語から同じ時期に入ってきたわけではありませんが、遠くさかのぼると共通する言葉の系統が見えてきます。

現代日本語では、「カード」といえばトランプの札、クレジットカード、ポイントカードなど幅広いものを指します。

それに対して「かるた」といえば、百人一首やいろはかるたなど、日本の伝統的な札遊びを指すことが多くなっています。

同じようなルーツを持つ言葉でも、日本へ入った時代や経路が違うと、まったく別の言葉として定着することがあります。

「かるた」は16世紀のポルトガルとの交流を感じさせる古い外来語です。

一方、「カード」は現在では外来語であることが分かりやすいカタカナ語として使われています。

数百年という時間の差が、日本語の中で二つの言葉を別々のものにしたと考えると面白いでしょう。

かるたの語源を知ることは、単なる遊びの歴史だけでなく、日本語が外国語を取り込んできた歴史を知ることにもつながります。

花札も日本の「かるた」の一種

花札は、現在では「かるた」と別の遊びとして認識されることが多いでしょう。

しかし、歴史的には日本のかるた文化につながる存在です。

花札は「花かるた」とも呼ばれ、日本のかるたの一種です。

その歴史は安土・桃山時代の天正かるたや、江戸時代前期のウンスンカルタにつながり、江戸時代中期には現在使われる花札の形ができたとされています。

花札には1月から12月までの季節に関係する植物などが描かれています。

遊びに使う札は各月4枚ずつで、合計48枚です。

松、梅、桜、藤、菖蒲など、日本の自然や季節感を強く感じさせるため、ヨーロッパ系カードとのつながりを知らなければ完全な日本生まれの遊びに見えます。

しかし、その歴史をたどると、やはり16世紀に入ってきたカード文化へ行き着きます。

これは、かるた文化が日本でどれだけ大きく姿を変えたかを示す分かりやすい例です。

「外国から来たものを日本風に変えた」という一言だけでは足りないほど、長い年月をかけて独自の文化へ育っています。

百人一首と花札は見た目も遊び方もまったく違います。

それでも大きな歴史の流れで見ると、どちらも日本で育った札文化の仲間として見ることができます。

かるたが正月遊びとして知られるようになったのは後のこと

現在では、かるたは羽根つきやすごろくと並び、お正月を連想させる遊びです。

しかし、日本へカードが入ってきた16世紀から正月遊びだったわけではありません。

初期のカルタは勝負事や賭けと結びついており、禁止令の対象にもなっていました。

その後、歌がるたやいろはかるたなど、日本独自の札遊びが発達します。

百人一首かるたも江戸時代には広く親しまれるようになり、木版印刷による大量生産によって庶民にも普及しました。

現在の辞書では「かるた」が新年の季語として扱われるほど、正月との結びつきが定着しています。

ただし、「ある一つの出来事が原因で正月遊びになった」と断定できる単純な歴史ではありません。

そのため、「冬は家に集まるから正月遊びになった」などと理由をひとつに決めてしまうのは避けたほうがよいでしょう。

確実にいえるのは、外国から伝わった初期のカルタと、現在のお正月に遊ばれるかるたでは、役割も遊び方も大きく変化していることです。

400年以上のあいだに、賭けをともなうカードから、和歌や言葉を楽しむ遊び、そして競技として楽しまれるものまで、非常に幅広く発展してきました。

私たちが「日本のお正月らしい」と感じるかるたも、長い文化の変化の結果なのです。

「かるた」の語源・由来まとめ

「かるた」の語源として一般に認められているのは、ポルトガル語の「carta」です。

ポルトガル語の「carta」には手紙や地図のほか、ゲームで使うカードという意味があります。

16世紀後半の天正年間ごろ、ポルトガル系のカード文化が日本へ伝わりました。

当時の天正かるたは、棍棒、聖杯、貨幣、剣という4種類の紋標を使い、合計48枚で構成されていました。

さらに重要なのは、天正かるたが単なる外国製カードの輸入品ではなく、日本国内でも作られていたことです。

現存する札の銘などから、福岡県の三池地方で製造されたものがあったと推定されています。

16世紀末の『長宗我部氏掟書』には、すでに「カルタ」という言葉も確認できます。

一方、日本にはカードが伝わる以前から、和歌の上の句と下の句などを合わせる歌貝の文化がありました。

外来のカード文化と日本の和歌文化が結びついた結果、歌がるたが発達し、その中で百人一首かるたも広く親しまれるようになります。

ここで覚えておきたいのは、「百人一首」と「かるた」はもともと別のものだということです。

百人一首は鎌倉時代から存在する歌集であり、それを後の時代に札にしたものが百人一首かるたです。

「歌留多」という漢字も語源ではありません。

ポルトガル語由来の「カルタ」という音に漢字を当てた表記です。

さらに日本のカード文化は、いろはかるた、花札、競技かるたなど、さまざまな方向へ発展しました。

つまり、現在では昔ながらの日本文化に見えるかるたは、外国文化と日本文化が出会い、何百年もかけて変化した結果として生まれた遊びなのです。

「かるた」というわずか3文字の言葉を調べるだけで、ポルトガルとの交流、南蛮貿易、日本の和歌文化、百人一首、花札まで歴史がつながっていきます。

何気なく使っている身近な言葉にも、想像以上に長い旅が隠れていることが分かります。

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