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「へちまもない」の語源とは?なぜヘチマ?意味・由来を江戸時代までさかのぼって解説

「へちまもない」の語源とは?なぜヘチマ?意味・由来を江戸時代までさかのぼって解説

「夢もへちまもない」「理想もへちまもない」と聞いて、なぜ突然ヘチマが登場するのか気になったことはありませんか?

意味だけなら「そんなことを言っている場合ではない」と理解すればよいのですが、調べてみると、この表現は江戸時代初期の文献にまでさかのぼります。

しかも「ヘチマは役に立たなかったから」という単純な由来だけでは説明できず、1628年の『醒睡笑』には「へち馬の皮」という意外な話まで残されています。

さらに植物名の「へちま」にも、「いろは歌」が関係するという有名な説があります。

この記事では、「へちまもない」の意味から古い用例、なぜヘチマなのか、植物名そのものの由来まで、確認できる資料をもとに分かりやすく解説します。

目次

「へちまもない」とは?最初に意味をわかりやすく解説

「へちまもない」は「そんなことは問題にならない」という意味

「夢もへちまもない」「理想もへちまもない」のような言葉を聞いて、「どうして急にヘチマが出てくるの?」と不思議に思った人も多いでしょう。

この表現で使われる「へちま」は、話題に出ているものを取るに足りないものとして強く退けるための言葉です。

たとえば「今は締め切り直前だから、休憩もへちまもない」と言えば、「休憩について考えている場合ではない」という強い意味になります。

単純に「休憩できない」と伝えるよりも、「そんなことを言っている状況ではない」という感情まで含んでいるのが特徴です。

「へちま」には植物の名前とは別に、つまらないものや取るに足りないものを表す用法が記録されており、「○○もへちまも」の形では前の言葉を強く否定する働きをします。

つまり、現在この言い回しを理解するうえでは、「ヘチマという野菜がない」という意味に取る必要はありません。

「そんなものを問題にしている場合ではない」「そんな理屈は通用しない」と考えると、かなり意味をつかみやすくなります。

本来は「○○もへちまもない」という形で使う

「へちまもない」だけを取り出して耳にすることもありますが、基本的には前に別の言葉を置いて使います。

「理想もへちまもない」「面子もへちまもない」「遠慮もへちまもない」といった形です。

ここで大切なのは、「AもBもない」と単純に二つの物が存在しないことを伝えているわけではない点です。

「理想もへちまもない」なら、理想とヘチマの両方が存在しないという話ではありません。

「今の状況では理想など持ち出している場合ではない」と、最初に置かれた言葉を勢いよく切り捨てています。

日本語には、同じような仕組みを持つ「相談もへったくれもない」「理由も何もない」などの表現があります。

助詞の「も」についても、「Aもへったくれもない」「Aも何もない」のような形で、Aが本来の意味や価値を持たないことを強調する用法が確認されています。

そのため「○○もへちまもない」は、言葉の形だけを見るよりも「○○なんて言っていられない」と置き換えると自然に理解できます。

なぜ「へちま」を付けると強い否定になるのか

現代人にとって一番引っかかるのは、やはり「なぜヘチマなのか」という部分でしょう。

現在の語義では「へちま」そのものに、つまらないものや取るに足りないものという比喩的な意味があります。

そのため「理想もへちまもない」と並べると、最初の「理想」まで取るに足りないものと同列に置かれたような効果が生まれます。

これは、相手が大切だと思っているものをわざとくだけた言葉と並べて、価値を引き下げる表現だと考えると分かりやすいでしょう。

たとえば大変な仕事を前にして「格好も何もない」と言えば、「格好を気にする余裕などない」という意味になります。

「格好もへちまもない」も、働きとしてはかなり似ています。

ただし、ここから「植物のヘチマそのものが昔から無価値だった」と結論づけるのは早すぎます。

古い文献をたどると、「へちま」という言葉が取るに足りないものを表すようになった経緯には、単純な植物の評価だけでは説明できない興味深い記録が残っているからです。

「夢もへちまもない」など具体例で意味を確認

言葉の意味は、実際の文章に入れてみるとよく分かります。

「明日の朝までに完成させなければならないのだから、睡眠もへちまもない」と言えば、「寝たいなどと言っていられない」という切迫した状態です。

「ここまで被害が広がったら、体裁もへちまもない」なら、「見た目や世間体を気にしている場合ではない」という意味になります。

「好き嫌いもへちまもないから、とにかく食べなさい」と言えば、好き嫌いについて議論する余地そのものを否定しています。

共通しているのは、前に置かれた言葉を普通に否定するだけでなく、「今さらそんなことを持ち出すな」という強い感情が加わることです。

そのため、穏やかな会話よりも、焦っている場面や腹を立てている場面、相手の言い分を強く退けたい場面で似合う表現です。

意味だけなら「そんなことは関係ない」と言い換えられますが、「○○もへちまもない」には昔ながらの勢いとユーモアがあります。

そこが、この少し変わった言葉が今も記憶に残りやすい理由の一つでしょう。

現代では古い言葉?今使うとどんな印象になる?

「○○もへちまもない」は、現代の日常会話で誰もが頻繁に使う言葉とは言いにくい表現です。

使えば意味が伝わる場面はありますが、少し古風で威勢のよい言い回しとして響くことがあります。

時代劇や昔の小説にありそうな雰囲気を感じる人もいるでしょう。

一方で、「仕事もへちまもないよ」のようにあえて使うと、普通に「仕事どころじゃない」と言うよりも味のある表現になります。

ただし、相手の意見や価値観を強く切り捨てるニュアンスがあるため、丁寧な場では注意が必要です。

上司や取引先に「説明もへちまもありません」と言えば、かなり強い態度に聞こえる可能性があります。

家族や親しい人との会話、あるいは文章の中で少しユーモラスに強調したい場合のほうが使いやすいでしょう。

昔の言葉だから使えないのではなく、強さと古風さを理解して使うことが大切です。

「へちまもない」の語源は?江戸時代までさかのぼって調べる

「へちま」には「つまらないもの」という意味がある

語源を考える前に押さえておきたいのが、「へちま」という言葉には植物以外の意味も存在することです。

現在確認できる国語辞典の語義には、「つまらないもの」「取るに足りないもの」という比喩的な意味があり、「○○もへちまも」の形で否定を強める用法も記録されています。

つまり「夢もへちまもない」のヘチマは、現代の意味だけを考えるなら「取るに足りないもの」に近い存在です。

ところが、ここで新たな疑問が生まれます。

なぜ植物のヘチマが「取るに足りないもの」を表すようになったのでしょうか。

「食べてもおいしくなかったから」「皮が役に立たなかったから」など、もっともらしい説明はいくつも考えられます。

しかし、歴史的な記録を見ると事情はそれほど単純ではありません。

17世紀の文献には「へちまの皮とも思わぬ」という表現が登場し、そこでは植物とは異なる語源説明が示されています。

語源を知るには、現在の辞書的意味からさらに古い時代へさかのぼる必要があります。

1628年の『醒睡笑』にも「へちま」の表現が登場

重要な資料が、安楽庵策伝による笑話集『醒睡笑』です。

国立公文書館によると、策伝はこの笑話集を寛永5年、つまり1628年に京都所司代の板倉重宗へ献じています。

国立公文書館には内閣文庫本の『醒睡笑』も保存され、画像が公開されています。

その本文には「へちまの皮とも思はぬとは」という一節があります。

現在の言葉に直せば、「へちまの皮ほどにも思わない」「まったく問題にしない」といった意味につながる表現です。

さらに興味深いのは、『醒睡笑』がその言葉の由来について独自の説明を載せていることです。

その内容では、紀伊国の山中にある「大へち」「小へち」と呼ばれる険しい道と、そこで使われていた馬が登場します。

つまり、少なくとも1628年の時点で「へちまの皮」に近い表現が知られていたことは確認できます。

『心中天の網島』の「なごりもへちまもなん共ない」

さらに約90年後、近松門左衛門の『心中天の網島』にも、現在の「○○もへちまもない」にかなり近い表現が登場します。

作中には「なごりもへちまもなん共ない」という言い回しが確認されています。

「なごりも何もない」と強く否定するような使われ方で、すでに「○○もへちまも」という型が成立していたことが分かります。

『心中天の網島』は享保5年、1720年12月6日に大坂の竹本座で初演された近松門左衛門の世話物です。

この年代は意外と重要です。

インターネット上では『心中天の網島』の用例を1729年とする記述も見られますが、国立劇場の文化デジタルライブラリーが示す初演年は1720年です。

少なくとも江戸時代前期から中期にかけて、「へちま」が相手の言葉を強く退ける表現として使われていたことは、こうした実例から確認できます。

「○○もへちまもない」という形はどう生まれた?

「○○もへちまもない」がどの瞬間に成立したのかを、一つの資料だけから断定することはできません。

分かるのは、1628年の『醒睡笑』には「へちまの皮とも思わぬ」に当たる表現があり、1720年初演の『心中天の網島』には「なごりもへちまもなん共ない」という用例が残っていることです。

ここから、17世紀から18世紀初めにかけて、「へちま」が「取るに足りない」「気にもしない」といった感覚と結びついて使われていた様子を読み取れます。

そして「Aもへちまもない」という形になると、Aと取るに足りないものを並べることで、Aの価値まで一気に引き下げる効果が生まれます。

これは現代の「相談もへったくれもない」と非常によく似た仕組みです。

「へったくれ」も、とるに足りないことやつまらないことをののしる語で、「○○もへったくれも」の形で否定を強めます。

日本語では、このように意味の薄い言葉や軽蔑を含む言葉を二つ目に置いて、最初の語を強く打ち消す表現が作られてきたことが分かります。

語源について確実にわかっていること・わからないこと

ここまでの情報を整理すると、確実に確認できることと、推測にとどまることを分ける必要があります。

確実なのは、「へちま」が16世紀末には植物名として記録されていること、1628年の『醒睡笑』に「へちまの皮とも思わぬ」という表現があること、1720年の『心中天の網島』に「なごりもへちまもなん共ない」という用例があることです。

一方、「植物のヘチマが役に立たなかったため、この表現が生まれた」と断定できる資料は確認できません。

むしろ『醒睡笑』自身は、紀伊国の険しい道で使われた馬の皮を「へち馬の皮」とする説明を記しています。

ただし、『醒睡笑』は笑話集であり、その中に記された語源説明そのものが歴史的事実であるとまでは断定できません。

したがって最も安全なのは、「江戸時代初期にはすでに使われていたが、成立の決定的な語源までは確定できない」と考えることです。

語源の面白さは、もっともらしい話を一つ選ぶことではなく、残っている記録を年代順に比べるところにあります。

なぜ「ヘチマ」が「つまらないもの」のたとえになったのか?

「役に立たない植物と思われていたから」という説

「へちまもない」の由来については、「ヘチマは見た目のわりに役に立たないと思われていたため、つまらないものの象徴になった」という説明を耳にすることがあります。

確かに、言葉としての「へちま」が「取るに足りないもの」を意味するようになったこと自体は確認できます。

しかし、「植物が役立たずだったこと」が直接の原因だったとするところまで話を進めると、根拠は弱くなります。

歴史資料には「へちまの皮とも思わぬ」という表現がありますが、『醒睡笑』が載せている由来話は植物の価値ではなく、「へち馬」という別の言葉に結びついています。

また、実際のヘチマは昔も今も複数の用途を持つ植物です。

そのため、「何の役にも立たない植物だったから」という一文だけで語源を説明するのは避けたほうが正確です。

言葉の中で「つまらないもの」という意味を持つようになった事実と、その意味が生まれた理由は分けて考える必要があります。

「食べられないから価値がない」という説明は正しい?

ヘチマをほとんど食べない地域に住んでいると、「ヘチマはたわしにするだけで食べられない」と思ってしまうかもしれません。

しかし、これは事実ではありません。

農林水産省が紹介する沖縄県の郷土料理「ナーベーラーンブシー」では、ヘチマが主要な食材として使われています。

沖縄ではヘチマを「ナーベーラー」と呼び、味噌煮だけでなく味噌汁やカレーの具材にも使われています。

熊本大学薬学部薬用植物園の資料でも、若い果実やつぼみ、若葉を揚げ物、汁物、漬物などに利用できることが紹介されています。

したがって「ヘチマは食べられないから無価値とされた」という説明を、そのまま語源として採用することはできません。

熟しすぎた果実は食用には向きませんが、それと植物全体の価値は別の話です。

身近な食文化を知らないことで生まれた説明を、昔からの語源だと思い込まないように注意したいところです。

実際にはヘチマは食べられる!沖縄などでは身近な野菜

沖縄料理で使われるヘチマは、たわしになるほど熟したものではなく、若くやわらかい果実です。

農林水産省が掲載している「ナーベーラーンブシー」では、ヘチマを豚肉や島豆腐とともに味噌で煮込みます。

加熱するとヘチマ自身から水分が出るため、その汁を生かして仕上げるのも料理の特徴です。

本州などでヘチマと聞くと、学校で育てた植物や乾燥させたたわしを思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし地域が変われば、同じ植物が普通の食材として食卓に並びます。

この事実を知るだけでも、「ヘチマは役に立たないから悪い意味になった」という説明に慎重になるべき理由が分かります。

語源を考えるときには、現在の自分の生活圏でのイメージだけを昔の人々にも当てはめないことが重要です。

たわし・化粧水にもなるのになぜ「取るに足りないもの」に?

ヘチマには食用以外の利用法もあります。

熟した果実から果皮や果肉を取り除いて残った網目状の繊維は、いわゆるヘチマたわしとして利用できます。

茎から採取するヘチマ水も、化粧水などに利用されてきました。

つまり植物として見れば、食べ物にもなり、生活用品にもなり、水も利用できる植物です。

それにもかかわらず言葉の世界では「つまらないもの」という意味を持つようになっています。

ここに、語源研究の難しさがあります。

物の実際の価値と、その名前が比喩として持つ意味は必ずしも一致しません。

「へちま」という言葉が軽んじる表現になったからといって、本物のヘチマまで無価値だったとは限らないのです。

「なぜヘチマなのか」は断定できない部分もある

現在確認できる資料だけから、「なぜ取るに足りないものの代表がヘチマになったのか」を一つの理由に絞るのは難しいといえます。

特に注目したいのが、『醒睡笑』にある「へち馬」の話です。

本文では、紀伊国の山中に「大へち」「小へち」と呼ばれる険しい道があり、そこで使われる馬はやせ、皮を取っても傷だらけで役に立たなかったため、「へち馬の皮とも思わぬ」と言ったのだろうと説明されています。

この説明が歴史的に正しい語源なのか、それとも当時すでに存在した言葉に後から付けられた話なのかは、この資料だけでは決められません。

ただ、少なくとも「ヘチマという植物が役立たずだったから」という単純な説明よりも、古い時代から複数の解釈が存在していたことは分かります。

語源に関して最も正確な答えは、「江戸時代初期にはすでに似た表現があり、成立理由には不明な部分が残っている」です。

はっきりしない部分を無理に断定しないことこそ、語源を調べるときには大切です。

そもそも植物の「へちま」という名前はどこから来た?

ヘチマは昔「糸瓜(いとうり)」と呼ばれていた

植物の「へちま」という名前そのものにも、よく知られた語源説があります。

漢字では「糸瓜」と書きます。

この字をそのまま読めば「いとうり」です。

熟した果実の中に繊維が網のように残る姿を考えると、「糸」と「瓜」を組み合わせた漢字はイメージしやすいでしょう。

そして「糸瓜」の読みが変化して「とうり」となり、さらに「へちま」になったという説明があります。

ただし注意したいのは、現在確認されている資料では「へちま」という語そのものが1595年の『羅葡日辞書』にすでに現れていることです。

つまり、少なくとも16世紀末には「へちま」に近い呼び名が使われていました。

植物名の由来も数百年前にさかのぼる話なので、後世に作られた説明と実際の言葉の変化を慎重に分けて考える必要があります。

「いとうり」が「とうり」に変化したという説

有名な説明では、最初に「糸瓜」を「いとうり」と呼び、そこから最初の「い」が落ちて「とうり」になったとされます。

日本語では長く使われる言葉の音が省略されたり変化したりすること自体は珍しくありません。

問題は、その次の変化です。

「とうり」がそのまま「へちま」になったのなら、音が大きく違いすぎるように感じます。

そこで登場するのが、「いろは歌」を使った言葉遊びのような説明です。

この説は『大言海』などにも記されていることが、国立国会図書館のレファレンス協同データベースにまとめられています。

「へちま」という不思議な音を説明する話として非常に印象的なので、現在まで広く知られるようになったのでしょう。

「と」は「へ」と「ち」の間だから「へち間」になった?

いろは歌の並びを思い出してみましょう。

「いろはにほへとちりぬるを」と続きます。

ここで「と」の前を見ると「へ」、後ろを見ると「ち」です。

つまり「と」は「へ」と「ち」の間にあります。

そこで「とうり」の「と」を「へ」と「ち」の間にある文字と考え、「へち間」と呼び、それが「へちま」になったというのが有名な説です。

言葉遊びとしては驚くほどきれいにできています。

「なぜ全く違う音になったのか」という疑問にも、なるほどと思わせる答えになっています。

ただし「話としてうまくできていること」と「歴史的に証明されていること」は同じではありません。

この点が、ヘチマの名前を紹介するときに最も注意したい部分です。

有名な「いろは歌説」は確定した語源ではない

「へ」と「ち」の間に「と」があるから「へち間」という説は有名ですが、唯一確定した語源と考えるのは避けたほうがよいでしょう。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースでは、「へ」と「ち」の間から来たとする説のほか、「ヘスヂミ」という語から来たとする別説も紹介されています。

つまり、植物名の「へちま」にも複数の語源説があります。

語源には文字として残る以前の話し言葉の変化が関わるため、決定的な証拠が残っていないケースは珍しくありません。

「へち間説」は覚えやすく、日本語らしい言葉遊びでもあるため魅力的ですが、「これが絶対に正しい」とまで言うことはできません。

記事や会話で紹介するときも、「有力な説の一つ」「よく知られた説」と表現するのが適切です。

植物名の語源と「へちまもない」の語源を混同しないことが大切

ここまで読むと、二種類の語源が頭の中で混ざりやすくなります。

一つは「植物がなぜヘチマと呼ばれるのか」という名前そのものの語源です。

もう一つは「なぜ『○○もへちまもない』という表現が生まれたのか」という慣用表現の語源です。

この二つは同じ問題ではありません。

植物名については「糸瓜からとうりへ変わり、『と』が『へ』と『ち』の間にあるため『へち間』になった」という説があります。

一方、「へちまの皮とも思わぬ」という表現については、1628年の『醒睡笑』が「へち馬の皮」に結びつける別の説明を残しています。

さらに1720年の『心中天の網島』では、すでに「なごりもへちまもなん共ない」という形で使われています。

この三つを分けて考えると、「ヘチマという名前の由来が、そのまま『へちまもない』の由来」という誤解を避けられます。

「へちまもない」の使い方・類語を知れば意味がもっとよくわかる

「へちまもない」を使ったわかりやすい例文

実際に使うなら、「そんなことを気にしている場合ではない」という場面が向いています。

たとえば大雨の中で家から避難しなければならないときに、「服装もへちまもないから、すぐ外へ出よう」と言えば、服装を選んでいる余裕はないという意味になります。

仕事が予定より大幅に遅れている場面なら、「昼休みもへちまもないと言いたいところだけど、少しは休もう」のような使い方もできます。

試合終了直前なら、「作戦もへちまもない、全員で攻めるぞ」といった勢いのある表現も考えられます。

どの場合も、前に置いた言葉そのものを否定しているというより、「それについて考える余裕や必要がない」と強調しています。

この感覚が分かれば、自分で別の例を作るのも難しくありません。

ただし言葉の勢いが強いので、相手の考えを尊重したい場面では「今はそれを考える余裕がありません」などに言い換えたほうが穏やかです。

「へったくれもない」と「へちまもない」の違い

意味が非常に近いのが「○○もへったくれもない」です。

「へったくれ」は、とるに足りないことやつまらないことをののしる言葉で、「友情もへったくれもない」のように使われます。

仕組みは「○○もへちまもない」とほぼ同じです。

どちらも前に置いた言葉を強く退け、「そんなものを問題にしている場合ではない」という意味を表します。

違いを挙げるなら、「へったくれ」のほうが現在でも意味を推測しやすく、少し荒っぽい響きがあります。

「へちま」は植物の名前としての印象が強いため、知らない人には意味が取りにくい反面、独特のユーモアがあります。

また「へったくれ」の古い実例としては、1754年の浄瑠璃『小野道風青柳硯』に「断りもへったくれも入らぬ」という用例が記録されています。

江戸時代の日本語には、こうした言葉を加えて否定を強調する表現がいくつも存在していたことが分かります。

「どうもこうもない」との違い

「どうもこうもない」も、意味が近そうに見える言葉です。

ただし使い方には少し違いがあります。

「どうもこうも」は打ち消しを伴って「全然」「まったく」という意味を表す用法が記録されています。

たとえば「状況はどうなの?」と聞かれて「どうもこうもないよ」と答えれば、「説明するまでもなく大変だ」「どうしようもない」というニュアンスになります。

一方、「夢もへちまもない」は「夢」という具体的な言葉を取り上げ、その価値を強く退けています。

そのため「○○もへちまもない」は、何を問題外としているのかをはっきり示したいときに向いています。

「どうもこうもない」は状況全体への困惑や否定、「○○もへちまもない」は特定の考えや事情への強い否定と考えると使い分けやすいでしょう。

「○○もへちまもあるか」という言い方もある

否定を強める日本語には、「○○もへちまもない」以外にも「○○もへちまもあるか」のような言い回しがあります。

「あるか」は形としては疑問文ですが、実際には「そんなものがあるものか」という反語です。

したがって「理由もへちまもあるか」と言えば、「理由など問題ではない」という強い否定になります。

「あるか」「あるものか」という形は、話し手の感情が表面に出やすい表現です。

「ない」と言い切るよりも、相手の発言をその場ではね返すような勢いが加わります。

現代の日常会話では少し芝居がかった感じになることもありますが、文学作品やセリフでは人物の感情を短く伝えられます。

「へちま」という言葉自体に古風な味があるため、現代的で淡々とした文章より、会話文やくだけた文章のほうがなじみやすいでしょう。

「へちまもない」の語源と意味を最後に30秒でおさらい

「○○もへちまもない」は、前に置いた言葉を「そんなものを問題にしている場合ではない」と強く退ける表現です。

「へちま」には、植物名とは別に「つまらないもの」「取るに足りないもの」という意味があります。

この系統の表現は少なくとも江戸時代初期までさかのぼることができ、1628年の『醒睡笑』には「へちまの皮とも思わぬ」、1720年初演の『心中天の網島』には「なごりもへちまもなん共ない」という用例が残っています。

ただし「植物のヘチマが役に立たなかったから生まれた」と断定することはできません。

『醒睡笑』には紀伊国の険しい道と「へち馬の皮」を結びつけた別の由来話が残っているためです。

植物名の「へちま」についても、「糸瓜」から「とうり」になり、「と」がいろは歌の「へ」と「ち」の間にあるため「へち間」と呼ばれたという説がありますが、別説も存在します。

結局、この言葉の面白さは「ヘチマが出てくる変な慣用句」というだけではありません。

400年近く前の記録までたどっても、言葉の由来をめぐる物語が一つに決まらないところに、日本語の奥深さがあります。

「○○もへちまもない」語源・由来まとめ

「○○もへちまもない」は、「○○など問題ではない」「○○について言っている場合ではない」という気持ちを強く表す言葉です。

現在の「へちま」には、植物名のほかに「つまらないもの」「取るに足りないもの」という比喩的な意味があります。

古い記録をたどると、1628年の『醒睡笑』には「へちまの皮とも思わぬ」という表現があり、1720年初演の『心中天の網島』では現代にかなり近い「なごりもへちまもなん共ない」という言葉が使われています。

ここから、少なくとも江戸時代には「へちま」が何かを軽く扱ったり、強く否定したりする言葉として使われていたことが分かります。

ただし「なぜヘチマなのか」という疑問には、単純な答えを出せません。

「役に立たない植物だったから」という説明だけでは、食用、たわし、ヘチマ水などに利用されてきた事実と合わない部分があります。

さらに『醒睡笑』には「へち馬の皮」に由来するとする古い説明も残されています。

植物名そのものについても「糸瓜からとうりへ変化し、いろは歌で『と』が『へ』と『ち』の間だから『へち間』になった」という有名な説がありますが、これも唯一確定した説ではありません。

そのため「へちまもない」の語源をひと言で説明するなら、「江戸時代初期にはすでに似た表現が確認できるが、なぜ『へちま』が否定の言葉になったのかは断定できない」が最も正確です。

何気ない一言から400年ほど前の笑話集や浄瑠璃にまでつながっていくのですから、日本語の語源というのはなかなか侮れません。

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